ep.3-19 口論


 そんなやり取りを知るわけもないブレイが階下に降りてきたのはそれからしばらくしてであった。

 階下の食堂には険悪な雰囲気がはびこり、食卓の上にぞんざいに腰を落とした不機嫌に黙り込むソーマと、若干困りつつも怒りの感情をあらわにしてソーマをにらみつけるルミナがいた。

 未だ顔色の優れない、半ば亡霊のような顔をしたブレイは二人に何事かと問いかける。すると、じりじりと睨み付けていたソーマから目線をブレイに合わせたルミナは、消化しきれない鬱憤うっぷんをぶつける、恰好かっこうの的を見つけて声を大きくした。

「遅いわよ、何やってんの!? こんな時に…! 外で何が起こってるか……知らないわけないでしょっ!?」

 その言葉にブレイは沈黙で応えつつ、辺りを見回し、背の高い金髪を捜すもその姿はどこにも見当たらない。

 その様子を見たルミナは半ばヒステリックに叫んだ。

「ソカロさんはいないわ! 行ってしまったのよ!!」

 ――いない?

 ――行ってしまった?

 痛む心臓を押さえるように、無意識に左胸に手を当てながらブレイは怪訝けげんな顔をした。

「何処に?」

 ブレイのその在り来たりな質問にルミナは理性を手放し、感情のままに怒鳴る。

「もおおおおお! 爆心地の方へよ!ヂニェイロ邸の方向!あのワケ分かんないのがいる方向!」

「行っちゃったの! ソカロさん!! お屋敷の使用人たちが心配なんだって!!」

 半分涙眼になりながらルミナは続ける。

「行っちゃダメだって、言ったわ! 私達の立場って、ここではお尋ね者なのよ!? とっとと帰るのが最後の任務でしょ!? それに…こんな大規模な攻撃……!」

「一体、私達に何ができるって言うの? ソカロさん……死んじゃったらどうするのよ! 意味ないじゃない! ああっもうワケ分かんない!もうヤダ!!」

 興奮の収まらないルミナに詰め寄られて、ブレイは言葉を挟むこともできない。

 なにも言えずに浅い呼吸を繰り返すブレイに、ルミナは畳み掛けるようにしてこの状況に対する憤りをぶつけ続ける。


 この突然の非常時と、予期せぬソカロの離脱。そしてそれを止められぬ自分の非力さへの苛立ちから、ルミナには沸き上がる感情を処理できない。処理できないから留まりを知らずに他所へと激流する。

 それは一重に、彼女の幼さが……相手への甘えとが原因であったが、その感情の瀑布ばくふを制したのは、先刻から一点を見つめ黙り込んでいた男の、地の底から引きりだしたような「黙れ」という低い声だった。


 たった三つの音にすぎない一言であったが、気圧されるような雰囲気にルミナは湧き出す雑言ぞうごんを引っ込め、いつの間にか詰め寄っていたブレイからおずおずと気まずげに体を離す。

 そして未だ収まらない、胸に渦巻く行き場のない叫びを抑えようと、深くゆっくりと呼吸を試みる。

 ブレイはルミナの怒声から解放され、無意識にきつく胸元を掴んでいた手を緩めた。

 その二人の様子をちらりと横目で確認したソーマは、ぽつりとソカロが屋敷の使用人の救出に向かった旨をブレイに報告し、食卓からのっそりと腰を上げた。

「おい、俺らはどーするよ、指揮官殿」

 ソーマは外の様子を窓から眺めながらブレイの答えを促す。

窓の外では未だ野次馬気分の、状況を分かっていない者や、爆心地の北方面へ向かう者、事態に恐れをなして逃げてくる者、それにならって慌てふためく者、さまざまな景色が流れていく。

「……俺なら、こんなの放っておいてさっさと街を出る」

 返答のない指揮官の言葉の代わりにソーマは自分の意見を述べる。

 ブレイはソーマの答えがもっともであると知っていた。しかし、その行動を自分は選択しないことも分かっていた。

「……できる限り、トランジニア住人の避難に尽力する」

 ブレイの言葉にソーマは窓に向けていた視線を顔色の悪い、脆弱ぜいじゃくな少年へと向ける。

「……おい、テメエもアイツと同じ馬鹿か?」

 冷えてはいるが、苛烈かれつな炎を焦がしながら、感情を殺してソーマは言葉を押し出す。疑うような底冷えのする視線を受けつつ、ブレイは震える唇で言の葉を紡ぎだした。

「あの爆撃は王軍の攻撃だ。どういう意図があってか……、父は……」


 ――嗚呼、どうして。

 どうして人は、思い通りには、願うようには動いてくれないのか。

 どうして貴方はこうやって自分を――。


 一度言葉を切ったブレイは憂いと悲しみと。

 渦巻く感情を体外へと送り出す空気にのせて、続く言葉と共に押し出した。

「……王は、王はトランジニアを潰す気だ」

 短い言葉であったが、言い終えたブレイは顔色を失くしていた。


 ブレイから明かされた衝撃の事実に、二人はしばし呆然とブレイを見つめる。ブレイは二人の視線をただ受けるのみでそれから二の句を次ごうとはしない。

 そんな中、ルミナがはっと我に返り口を開く。

「ちょ…っとちょっと! いきなり、なに。なんでここでおじ様が出てくるのよ。わけ分かんないって! だってどうして王軍がこんな……だってここは自国じゃない! 別に戦地でもなんでもない普通に人が暮らしてる、普通の街じゃないの!」

 最初はあまりの無茶苦茶なブレイの言葉に上手く言葉が出てこなかったルミナだが、再び疑問と怒りを覚えれば後は矢継ぎ早に言葉が飛び出した。

「どういうこと!? ブレイ!あんた、おじ様にここを落とすように伝書を出したの!?」

 その言葉にすかさずブレイは反論する。

「まさか!そんなことするわけないだろう! 伝達鳥が届くより先にあちらが動いていなければ、こんなに早く、あの正体不明のアーティファクトがここに配置されるものか!」

 そう、この攻撃と自分達の任務は別物であるはずだった。いったい何が起きたというのか。

 それはブレイにも推しはかれず、悔しさともどかしさから唇が切れるほどに力を篭めて歯噛みする。

「じゃあ一体なんで……!」

 ルミナが叫ぶ間にも、外からは低い地響きと喧噪けんそうが宿の中に届いていた。

 背景に流れるその様々な音は平和な街からは程遠い、ここが戦地になったことをひしひしと物語っている。

「クーデター、かもしれない……。しかしもう、こればかりは推測しかできない」

「はぁっ!? なに、なんでなんにも分からないのよ! アンタ、仮にも王の息子でしょ!? なにか知ってて当然なんじゃないの? なのに、なのに……!!」

 ブレイの言葉に尚も食って掛かろうとするルミナが身を乗り出した時、ルミナの後方からぬっと手が伸ばされた。

 その大きな手がルミナの視界を塞ぐと、いきどおるに任せた身体を押し止め後方へと引き寄せる。

「…ばかが、落ち着け」

 ルミナを後ろから胸元へと収めて落ち着かせているのは、先ほどから珍しく何も言葉を発していなかったソーマである。

「お前がここでいきり立っても状況は変わらねえんだよ。馬鹿みてえに叫び散すのはやめろ。アイツ責めたってイミねぇーの、本当は分かってんだろーが。」

 背を預けるようにして寄りかかったソーマから聞こえる、静かで規則正しい心音に、――目の前を覆う大きな右手に。視界を塞がれた暗闇の中で、ルミナは落とされた言葉に呼吸を整える。

 その様子をちらりと見ながらソーマが顎で扉を指す。

「とにかく、ここでくっちゃべってる間にも奴ら、ボロボロ死んでくぜ? あの大馬鹿ヤローも例外じゃあねえ。…で。どうすんだ、俺らは」

 ソーマの真剣な面持ちにブレイは口を引き結び、再度同じ指令を出す。

「一般人の救護、及び避難の誘導を行う。しかし無理はするな。状況をしっかり見極めろ」

 硬い声、硬い表情のままブレイは続ける。

「敵方はまだ王軍と決まったわけではないが、遭遇した場合はなるだけ戦闘は回避。無駄な時間はない。速やかにお前たちも街から出るんだ、合流は後ほど、街の外で……。いいな?」

 なんとか指揮官の顔を取りつくろったブレイの命にソーマは頷くと、ルミナの瞼の上から手をするりと退かす。

 そしてその手でルミナの背を軽く押して、そのまま戸外へと飛び出して行く。

 ルミナも押されてふらついた足をしっかりと地に踏み締めさせ、ブレイをちらりと見る。怯えたような、気まずそうな顔を浮かべて口を開きかけたが、結局なにも言えぬままソーマの後を追って戸外へと飛び出して行った。



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