ep.2-8 ネーヴの最期



 一方、囚人輸送部隊は夜半も日中も馬を駆け、丸一日後には帝都の部隊と落ち合う予定であった中腹の草原へと、予定よりもだいぶ早く到着することが出来た。

 夜の草原は昼間の暖かさを感じさせない冷たさを放っている。

 今日はここで野営かと、護送兵達が準備を進めていると遠くから馬のいななききが聞こえてきた。目をらして前方を注視していると、一塊いっかいの軍団が暗闇の中、此方へと駆けてくるのが見えた。その中に王旗を見つけ、護送兵達は口元をほころばせる。これで彼らの任務は終了である。


 寄ってきた王軍に身柄を引き渡すと口数も少なく、王軍はすぐさま来た道を引き返していく。その様子に首を傾げた兵達であったが、それを見送ったのであった。




 王軍の元へと身柄を移されたネーヴは、草原を抜けた辺りでようやく背を伸ばした。長時間の移動によりり固まってしまった関節がポキポキと小気味よい音を立てる。そして一日振りにその口を開いた。


「……ご足労お掛けした」

 その不可解な労いの言葉に、ネーヴの前をく兵は振り返る。

「なんだ、気味の悪い位に礼儀正しい奴だな……」

 その兵を無視してネーヴは言葉を続ける。

「我らが高貴なる帝王の御許みもとへはせつめが直に参る。貴公らも追って参じられよ」

 その言葉に兵は驚き、隣の兵士の甲冑を叩く。

「ちょ、コイツ何を言って……?」

 だが小突かれた兵士は黙したままである。その様子を怪訝けげんに思った兵は先頭を行く隊長に声を上げる。

「隊長! 捕虜ほりょが…!?」

 異常をしらせようと声を荒げた兵だったが次に発せられた隊長の言葉に絶句する。


「承知致した。我らは当初の通りに『捕虜の身を拘束したまま』王城へと帰還する」


 その言葉に頷いた捕虜は乗っている馬よりふわりと飛び降りた。

 何がどうなっている――、状況が飲み込めない兵は隊長と捕虜へと顔を向ける。しかし、この状況は……、


「もしや、これは仕組まれていたこと…。王が御子息へと、刺客しかくを――?」


 呆然と呟く兵をちらりと隣の兵士は見やった。死角となっている手は腰に下げられた剣へと伸びている。

 そんな事に気づかない兵は独り言を続ける。

「なんたる不敬ふけいだ、こんなこと、許されるものではない……。王は一体どうしてしまったというのだ……っ? おいお前、なぜ鞘から剣を……おい、まさか、やめ――!」


 ザン、と斬り捨てる音に兵の断末魔は短く終った。

 先程まで任務を共に遂行していた同胞どうほうは、今はその剣を友の血で濡らしている。その様子を見つめていた隊長は静かに踵を返し、帰路へと進路を取った。



 ネーヴにはそのようなやり取りに興味は無かった。既にその場を離れ、夜のろくに整備されていない小道を駆けて往く。

 目指すは帝都。

 彼の崇拝する唯一の至高――、フィッテッツオ帝国国王、ジュリアス・パッセ・ディスプロの足許あしもとへと。






 おごそかで重々しい空間。

 黒い大理石で作り上げられた謁見えっけんの間は、日も昇った時分だというのに仄暗い。

 黒と赤を基調に、暖かみはおろか安息さえ感じさせない空気。無駄なものの存在を許さないかのようなその空間は、この間を支配する者と同じであった。

 縦にどこまでも長い謁見の間の奥、他と隔して高い位置に巨大な王の座が構えられている。

 上質な赤のベルベットのその王座には、暗く光る黒い双眸が階下に平伏す男の背を感情もなく見下ろしていた。


 跳ね癖のある漆黒の長い髪、顎には威厳ある髭を蓄えているが、老いを感じさせず、未だ三英雄と称された当時の面影を失わずに居るその男、名はジュリアス・パッセ・ディスプロ。

 この帝国の絶対なる王である。

 王は誰もが凍て付くような瞳で、大した興味もなさそうに、自分の足元へ跪く男に声を掛ける。


「……息子はどうだったか?」

 その言葉に、元より深く頭を垂れていたネーヴだったが更にぬかづいた。

「……はっ、申し訳ございません……!」

「……私は謝罪が聞きたいのではない」

 王の言葉にネーヴはだらだらと背中に汗を伝うのを感じながら口を開く。

「ご子息様は……あちらでく治めていらっしゃいます。しかし、重臣達や部下とに溝があるようで……」

 ネーヴの報告に、無感情だった王の口元が緩く弧を描いた。

「そうか……あの者達は私の子飼の家畜共だ、ブレイは苦労しているだろうな……」

 微かな笑い声が聞こえ、ネーヴはこれ以上ない程に額付き王へと声を張る。


「今回の任、達することもできず、御許へと戻ること情けなく……っ! 我が高貴なる君、いま一度私めに命を御下し頂きたい! 必ずや御心を満たしてみせましょう……っ」

 必死に懇願こんがんする足許の男へ、「顔を上げよ」と静かに言葉を掛けた王は一つ、問いを掛けた。

「何故、お前を此処へ呼び戻したと思うか?」

 王の問いにネーヴはすかさず答えようとしたが、途中で詰まってしまう。

「それは、私めが――、……なにかまだお役に立つことが出来るから……でしょうか」

 その答えに王は口元を更に綻ばせた。瞳を閉じ、静かに低くわらうと、椅子の肘掛に肘を立て手の甲に頭を預け姿勢を崩す。

 その様子にネーヴは意図をめず困惑するばかりであった。

「ふふ……私がそんなことでお前のような輩を保護してやると? ……莫迦ばかな。お前が役に立たぬということは充分解っている。此度、お前を此処へ召還したのは、無能の部下の散り際をこの目に見る為だ」


 その言葉にネーヴは蒼白となりながらも必死に王へと嘆願たんがんする。


「そんな…! 私は……っ、まだお役に立ちたいのです! 行き倒れ、死ぬ手前の何も持たぬ子供であった私を拾い此処まで育てて頂いたのは貴方様です! 貴方様の敵は全てほふりましょう! ですから、どうか……」

 捨てられたくはない。

 その思いでネーヴは御前であることも忘れ、立ち上がると「どうか」と絶叫した。その身の内に王に拾われる前の、凄惨せいさんで惨めな幼い日の記憶がフラッシュバックする。

 自分を捨てた母、盗みをしてなんとか生きていたあの頃、初めて人を殺した路地裏、追われる日々、重ねられる罪。幸せなど知らなかった自分に差し伸べられた手。その先には今も褪せない至高の存在――、王よ。


 手に入れたものはいずれ失くしていくものであるが、貴方だけは。


「王よ……」


 震える口から零れたのは、心から敬愛する者の名。

 しかしネーヴの嘆願を聞いた王は鋭利で冷徹な言葉を吐いた。

「私は貴様の名も知らぬ」


 その言葉に、全ての力が抜けたネーヴは力なく膝をつく。そこへ階下の影から一人の影がネーヴに近付いた。

「王の御許だ、跪け」

 陰から出てきたのは右眼に眼帯をした若い女だった。手には柄が龍を模した、一メートルを超えるであろう長刀を持っている。虚ろなネーヴは女の言葉にピクリとも反応しない。


「貴様、」

 女が苛立ちを含ませたが、「よい」と王が遮る。

「名も知れぬ、我が愚兵よ。貴様の言葉が真であるなら、その命で私をたのしませるのもいとわないだろう?」

 王の言葉に頷くことも否定することもなく、ネーヴは膝をついたまま視線は床へと向いていた。しかしその瞳はもう、なにも映しはしていない。

 その様子に王は女へと視線を向ける。それを受けた女は黙したまま長刀をひるがえす。

 もう死んでいるも同然の、王への忠誠を誓った同胞である男へと――、鋭い切れ味を持つ女の愛刀が、無防備に差し出された首に向かって振り落とされた。



 噴き出す紅い血に染まりながらも、女はじっと、身も心も死んだ男の分断された身体を見つめていた。

 床に敷かれた赤い絨毯は、その色に更に深みを増す。


 黒と赤の間に王の低いわらいだけが響いていた。


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