11. 初恋
真っ白だったキャンパスが急に真ん中から裂け始め、漆黒の闇がじわりと拡がっていく。
宙に浮いて行方知れずだった、私の意識――――――――――――
再び現実に引き戻された。
乳白色の家の壁に、黒ではない、真っ赤な血が打ち上げ花火のような模様を映していた。
もっと表現するなら、威勢良く火の噴き上がった手筒花火のようだった。
子供の頃に祖父に連れて行ってもらった祭りで見たことがある。
私の血ではない。足下にマサシが背に壁をつけたまま絶命している。
白目を剥いた彼の顔は私に向いて、最後に何かを言いたげにぽかんと口を開けていた。
私の右手には彼の履いたブーツが握られている。
かかとの部分を彼の方に向けて。
彼のほぼ頭頂部分が、まるでぱっくり割られたスイカのようだ。
殴ったのは、他でもない、私。
こめかみに彼の蹴りを食らった瞬間、痛みを感じることなく私は私自身がなんなのかをうっすら思い起こした。
殻を割ってしまったのだ。
鉄のように硬いはずだった殻に、さらに永遠に解けることのない何重にも巻かれた鎖で固められて封印し続けたはずの、ヒトではないなにか。
私の意識が残ったままで、その、なにかはマサシのブーツを利き手に取って、強引に脱がして彼の目の前で高々と利き手を上げた。
ブーツが振り下ろされる時、すでに私は私ではなくなっていた、私は私の背後からマサシの堕ちていく様を見ていたのだった。
マサシの息の根が止まるのを認識した私が、後ろにいた私に振り向いた。
それは私ではなかった。
美野里。
頬は痩け、目の落ち窪んだ、マサシに言わせればまるでゾンビの形相。
どうしてアナタが? そう問うたはずなのに、彼女は無表情のまま私を見つめて姿を消したのだった。
意識が遠のき、真っ白な空間から私は目覚めた。
とうに現実に引き戻された、私。血のすえた臭いが鼻につく。
もう一度、美野里の写っていたはずの携帯画像を開いた。
清佳の隣にまで移動していたいたはずの美野里が、元の位置に戻るどころか始めからいなかったかのように消えてなくなっていた。
美野里のいた場所には、遠くの浜辺ではしゃぐ子供数人が写っている。
「なんなの? どうして?」
そんな言葉を何度も口ずさんで、警察を呼ぼうとダイヤルを押した。
刹那、ベッドの軋む音がした。
う、う、と若い男の苦しみに満ちた声がする。
私は部屋に飛び入ると、薄暗いなかで細い肢体が左右に揺れているのを見た。
咄嗟に明かりを点ける。
「うーっ! うーっ!」怒気も含んだ〈彼〉の声が何度も私に飛ぶ。
毎日目にする彼の制服姿。
猿ぐつわをさせられ、手錠や縄で完全にカラダの自由を封じられた初恋のひと。
「どうして!? なぜアナタが!?」不意に怒鳴ってしまった。
その時、彼の眉間に縦皺が寄った。
怒りの声がさらに大きく、そして途切れることなく何度も何度も続く。
縛られた両足が私の方にぴょこんぴょこんと曲げたり伸びたりしている。
まるで私に蹴りを食らわしているかのよう。ただ空を切っているだけで、当然に私に当たらない。
何故か私に攻撃的だ。
あ、そうか。
思わず、ふふっ、と笑ってしまった。
朝、バス停にいなかったのは当たり前。
昨晩、〈彼〉をこの部屋まで誘ってクスリを混ぜた飲み物を彼に飲ませて意識を失わさせたからだった。
でも、やったのは私ではない、美野里だ。
彼女の葬式の日私に絡んできた報道関係の男女。彼等に傷を負わせたのも、美野里。
だけど、私がしたことだ。
前の晩に、塾の帰りに目の前の〈彼〉が現れて話しかけてきたとき、私は美野里だった。
私、いや、私達の初恋。
赤がかった髪から覗く切れ長の目が、美野里と私を虜にした。
そして、いまは彼を虜にしている。
また、笑ってしまった。
「そうだ、アナタ、彼女いるっていったんだよね?」
私がそう問うても、相手は怒りの表情を崩さずに声を上げ続けていた。
「どうして、私に声をかけようとしたのかな?」
「うーっ!」
「私が一人暮らしをしているってこと知ったのは、アナタがオダショウゴ君から聞いたからなんだよね?」
「う、う?」
「シラを切ってもダメだよ、美野里が全てを知っているから」
「……」
「私の友達だった清佳に酒を飲ませて、で、酷い目に合わせて、で、怖くなって逃げていく彼女を口封じにメッタ刺しにしたのはやっぱりあのサークルの連中なんだ?」
〈彼〉は目を見開いて、首を左右に振る。
「あのサークルも性懲りもなく、次のレイプするターゲットを私にしたんだね? そして彼等はアナタに私を詮索させた」
この〈彼〉が、バス停で私に話しかけそうな表情をみせたのはそういうことだったんだ。
ハンガーにかかったアイボリー色のマフラーを一瞥すると、私の表情は歪んだ。
「で、なに? アナタが拉致されてアナタと連絡が取れなくなったサークルの連中は、マサシに私が清佳を殺した犯人だと嘘の情報を流したんだよね?」
それはどんな方法かは分からない、ただ、マサシを騙すほどの巧妙なやり口だったのだろう。
「そして、マサシがやってきた。彼も根が単純だからまんまと騙されたわけだ」
違う、と言いたげに彼は激しく首を振った。
だけど、どんなに否定されても私は信じない。
手に握った携帯電話を目の高さに上げた。
ピンクの亀が揺れている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます