9. 屈折
え? ……なに?
的に向かってずんずん突き進む、私。
清佳の葬式の帰り道。
私は、厚化粧の女にインタビューを受けたが断ったのだった。
私は、何故か、その女の背後に向かって徐々に歩く速度を上げている。
夜のオフィス街。
人気のない寂しい路地裏で一人タバコを吸う女。
白のスーツ姿が世に出て働く女を醸し出させている。
私の存在に全く気づかず、女は携帯電話を耳に当てて楽しげに話していた。
利き手である私の右手にはカッターナイフ。
段ボール箱など容易に切り裂くことの出来そうなカッターナイフ。
事務用というより工業用というものだろうか。知らない。使ったことがない。多分。
何故、私はこんな物を手にしているのだろう。
何故、こんな場所にいるの?
何故? 何故?
刃の突き出たカッターナイフ。
冷たく尖ったその先は、腰のくびれた女の背中に向いていた。
何故? こんなこと……
だけど、標的を射た直後、私は合点した。
うっ、うっ、うっ、と女が呻き、次に、
「ぐげろろっろろろ!」
とゲロを吐いたような音を出した。
チラと女の顔をみると、予想通り、吐いたのは血反吐だった。
終わった――――――
この女で最後だった。最初にマイクを向けた男と、傍らのカメラマン、そしてまた別のインタビュアー。
同じ目に遭わせてやった。
忘れもしない。こいつらは、私と清佳とを比べるような発言をした。
私は、清佳より劣った人間だと?
そう言ってなくても、そう聞こえたんだよ。
クソ大人ども。
「ククククク」
利き手やカッターナイフに付着した女の血など気にもならない。
刃を戻して懐に入れる。
足早に女から離れている最中。
また、笑いが込み上げてきた。
クククククククク―――――――――
――――――
―――…
……
…
「はあっ!?」
目覚めの第一声だった。
気づけば、自室のベッドの上に私は半身を起こしていた。
暑くもないのに、着ていたパジャマが汗でぐしょぐしょに濡れている。
カーテン越しから、朝の日差しが部屋の中をほのかに明るくさせていた。
勉強机の上の置き時計を見ると、デジタルで7時過ぎを知らせていた。
あと10分ほどでアラーム音が鳴る。
私は怖い夢に起こされたのだと気づいたのだった。
それでも私は、右手を目の高さまで掲げて、手のひらと手の甲をひらひらと交互にみやった。
血の跡のないことにホッと息をつく束の間、自分自身に呆れて苦笑した。
当たり前か。
夢なんだから。
清佳のことや勉強とか様々なことでストレスが増大していたのか、それにしても恐ろしい夢をみたものだ。
そして・・・・・・
…――――――バス停に彼はいなかった。
バス停までの道すがら、日の光が歩道を照らしていたのに。
次第に雲行きが怪しくなってきている。
どんよりとした天気が私の気分を一層暗くさせていた。
なにか変だ。
バス待ちの人達が、なんとなく私から距離を置いて立っているような気がする。
それはバスの中でも同じだった。
いつものように車内の真ん中でポールを手にして立っている。
そんな私の周囲に誰もいない。
一人がけの席が空いている。優先席だから私は座らないが。
私の周囲に空間が出来、方々の片隅で立っている乗客。
すし詰めのようにしてバスの揺れに耐えていた。
なに? なんなの?
教室に入る。
いつものようにホームルームの始まる前のざわつき。
私の存在を皆が認めるとそれは一寸で止まった。
え? ……冗談はよして。
休憩時間。いつも仲良く話すクラス―メートの数人皆が皆、私に寄りつかない。
皆、席を離れて、教室の隅にかたまっては小声で何かを話している。
そして時折、こちらに視線を向ける。
私が気づくとサッと顔ごと逸らしていた。
心臓がバクバクして、脈の動きも早まっているのを感じる。
「時田さん」
授業の始まる直前、ようやく席に戻った隣の子の名を呼ぶ。
「え? え?」
相手は驚いたように背筋をピンと伸ばして、目を丸くして私を見た。
「どうしたの? 今日はみんな様子が変だよ?」
これ以上ない緊張感で私は彼女に聞いた。
「え? え? え?」
何度も、え? を繰り返し、彼女は他の子に顔を向ける。
彼女たちが目で合図をしているのが分かった。
なんの合図か。
私のことを無視しろということなのか。
一体なにが起こっているの?
私が何をしたというの?
全身が総毛立つ。
一日の授業が終わり、誰も居ない教室に私はぽつんと取り残されていた。
掃除当番はそそくさと道具を片付けて帰って行ったのだった。
結局、最後まで私に話しかける子はいなかった。
塾へ行っても同じ状況かも。
やはり予想通りだった。
特に席が決まっていない分、他の生徒達は各々私の席から一席分間を置いて座っている。
私の置かれた空間以外はぎゅうぎゅう詰めだった。バスの中の出来事を彷彿とさせた。
先生達はそのことに何も触れず淡々と授業を進めていた。
仲の良い子達も例外ではなかった。私が話しかけても逃げるように去っていく。
ところが、一人だけ例外が居た。
矢島という若い男性講師だ。
教室を出て行く私を彼は呼び止めた。
今日初めて人に話しかけられたことに心の底から驚く。
「な、なんでしょうか?」
「辺見さん、アナタ、つかれている」
矢島に表情はなかった。
ツカレテイル? ……疲れているって言っているのか。
それは自分自身よく知っている。
そんな気休めは聞きたくもない。
「失礼します」
彼に聞こえたかどうか分からないほどに小さな声を発して、軽く一礼をした。
「おい、だからさ」
彼は私の肩に手を掛けようとした。
もう、一人にして。そんな思いが強かった。
今日はバス停の〈彼〉に会えなくて。
そしてクラスメート達の無視。
塾の講師に話しかけられても少しも嬉しくなくて。
「嫌!」不意に叫んでしまい、居たたまれなくなる。
矢島の反応を伺うこともなく、私は、逃げるように廊下を駆けたのだった。
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