2. 事件

授業が始まり、終わり、次の授業が始まり、終わり。

そうやって淡々と時間が過ぎて。

今日も私は、進学塾に行き、そしてシャワーを浴びてご飯を食べて寝るのだろう。


――――――教室の窓際から帯びた光


クラスメート達の頬を赤く染めていた。

生徒達の口からは、今夜のドラマのこととか、ワールドカップのこととか話題が途切れない。

開いた窓から、秋を思わせる涼しげな小風が入る。

校庭からは、ボールを打つ音。

合わせて、男女混ざる掛け声。

そして笑い声。

これなのかな。そう思う。

色々な物事に事欠かない学校。

人間社会の縮図を知る場所なのかな。


清佳の様子が夏休み前とは違っている。

放課後。彼女はポーチ片手に一目散にトイレに駆け込んだ。

鏡の前に立ち、一心に化粧を始めたのだった。

別に珍しいことではないけれど。

他の子も化粧をして、私服に着替えてと校庭を過ぎてサッと門を抜けていく。

そんなこと、何度も目撃しているし。

清佳は今回初めてっていうだけのこと。

清佳がアイラインを引くのを終えるのを確認してから、彼女の背後で私は聞いた。

「マサシと会うの?」

「ん? んーん」なんだか気の抜けた返事をして、友人はリップスティックを取り出した。

私の存在などまるで気づかぬかのように無表情のまま。

彼女の唇が明るいピンク色に変わる。

いつもならアルバイトのために慌てて学校を出たり、アルバイトの休みの日は帰りに私と少し寄り道して本屋に入ったりしている。

清佳は、颯爽としたノリで校舎をでた。

私は従者のように彼女の後ろを付いていく。

門を出て、多くのクルマが行き交う道路沿いの広い歩道に出た。

その時、友人は黙ったままの私に突然振り向いて声を発した。

「今日は、ここでバイバイね」

「は? 一緒にバスに乗らないの?」

「約束してるんだ」

「マサシと?」

清佳はニコニコしながら、私の問いを無視してサッと手を上げた。

と思うと、彼女は真っ赤な平べったいスポーツカーに向かって歓喜した飼い犬の尻尾のように何度も何度も振る。

私達の前に滑り込んできたスポーツカーは、異端児のようにどでかくエンジン音を唸らせていた。

窓越しは暗くてよく見えないが、運転席にいたのは短髪で黒髪の若い男だった。

相手はマサシではない。夏休みの最中に、サークルで知り合った大学生なんだろうと軽く考えた。


清佳は助手席に乗り込む間際、私に小さく手を振った。


じゃね。また明日――――――…


この彼女の挨拶が、私の聞いたこの友人の最期の言葉になるなんて。

思いも寄らなかったのだ。


塾の時間。

真っ白な教室。

エアコンの効いた空間で、同じ志をもった生徒たちが真剣に講師の話を聞いている。

やはり、色んな子たちの居る学校の授業とは雰囲気が違う。

授業中に恋の話なんてする生徒は進学塾には皆無だ。

恋……か。

講師の話が耳に入れど、集中が出来なくてぼうっとしてしまう。

時折、フッと頭に浮かぶ、あの人。

バス停の、あの人は、いつもこの時間どこでなにをしているのだろう?


家に帰り、買い出しのために再び外に出ると、マサシが突然私の目の前に現れた。

すでに外は暗いけれど、商店街を歩いているので安全性には問題はない。

だけど、真っ赤にさせたマサシの猿顔に私は小さく悲鳴を上げてしまった。

「な、なによ、ビックリしたじゃない」

「わ、わりぃ、つか、そんなこと喋ってる場合じゃねえ!」

顔だけじゃなくて、両目も真っ赤だった。

直感が働いた。

「清佳になにかあったの?」短髪の男を思い浮かべながら聞く。

「そだよ! 携帯に連絡きて、助けてくれって清佳がっ」

驚愕した。

「いま清佳、どこにいるのよ!?」

「知るかよ! 清佳が行きそうな場所を捜してもいねえし、お前に連絡しても繋がらねえからここまできたんだよ!」

ハッとした。

鞄の中でマナーモードにしたままの携帯電話を思い出した。

鞄がない。アパートに鞄を置いて私は買いものに出かけていた。

急いで戻り着信履歴をみた。

手が震えた。

塾にいる時間帯にを示された、着信履歴。

マサシの名前に混じって、いくつもの清佳の名前が。

慌てて再び外に飛び出た。

傍らで揺れる、ピンクの亀のストラップ。

珍しいとかいって、清佳が私にお土産でくれたものだった。

「お前も、なんも分かんねえって言うし!」

マサシは悔しそうに何度もブロックの地面を蹴る。

ピアスに金髪。

真っ白なタンクトップにスカジャン羽織って、だぶだぶのパンツの組み合わせの出で立ち。

周囲の歩行者が我関せずと私達から距離を置いた。

だけどそんなこと気にしてる場合じゃない。

「清佳の親には言ったの!? 警察は!?」

「ああ。アイツの母親にも言ったさ、でも相手にしてもらえねえっ」

吐き捨てるように男は応える。

そうだった。清佳は、一人親である母親とは、ずっと疎遠になっていた。

彼女は実の父親の連れ子として、いまの母親の家に入った。

実の父親は、他のオンナと行方知れずになったらしい。

残された清佳。

その義理の母親には娘が一人いた。

清佳の血の繋がらない姉である美野里みのりだった。

自由気ままな清佳に対して、真面目な美野里を母親は可愛がっていた。

素行のあまり良くないマサシなどと付き合ってるんだから、清佳は余計に母親に嫌われているのだろうか。

どうして、マサシなんかと付き合うのだろう、と思う。

だけど、中学の卒業時、猿顔のマサシに告白したのは清佳のほうだった。

そんなマサシが泣きながら叫ぶ。

「いまさらだけど警察に連絡してくれ!」

目の覚めたように、私は警察に事の有様を説明したのだった。

警察の動きは殊の外早かった。

清佳の家に行き、母親からも聞き取りをして周辺の捜索を開始したようだった。


だけど、運命はまるで私達をあざ笑っているかのよう――――――


翌朝。

私達の住んでいる地域にある、普段人気のないガス管橋の下で、体中を何度も刺されて血みどろになった彼女の遺体が発見されたのだった。

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