はつこい。
吉川ヒロ
1. 開始
あの人が、チラと私を目にした――――――
胸が躍り、ふくらはぎから、もぞもぞとカラダが軽くなる。
鮮やかな空の青色を突き抜けて。
私は、人類初、セーラー服姿での宇宙旅行者になるところだった。
私と同じバスに、あの人は乗らない。
彼は行き先の違うバスに乗る。
いつもなら、彼は私の乗るバスにも目もくれず。
片手に持ったカバーの付きの文庫本に目を落としたまま。
だけどいま乗り込んだ瞬間、私は確かに彼の視線を感じたのだった。
バスに乗り込むと、いつものように
「おはよー」混み合うバスの中で私は、真ん中の一人がけの席に座る友人に声をかけた。
「おはよー」と、彼女は私と同じ鷹揚さで返す。
いつもの挨拶。
だけど、昨日までは夏休みだったから、ある程度の新鮮さはあった。
「朝もだんだん涼しくなってるし」
清佳の席の傍らにあるポールを掴んで体勢を維持しながら、いつものように私から話題を振った。
「だね、ちゅうか、マサシ、またバカやってん」
タイヤが火を噴くほどの急なUターンの如く、いきなり清佳は切り出した。
「は? なに?」
「死ねよ、アイツ」
眉根を寄せて彼女は吐き捨てた。
マサシ、とは、同じ中学校の卒業生。
勉強嫌いで、高校に行かずに職を転々として2年経つ。
清佳の彼氏。
友人が穏やかでない言葉を口にして、ツレである私は気が気でなかった。
「またなんかしたん?」
前に座っている老女の溜息が耳に伝わり、私は清佳に顔を近づけて小声で聞いた。
願いが届いたのか彼女は私の耳元に囁く。
「また、店をクビになったってさ」
「は、また……ね」
マサシはコンビニでアルバイトをしていた。
「店長と喧嘩してクビになったんだって、さ」
表情を変えずに彼女はそう言った。
清佳の怒りも分かる。
マサシは本当に辛抱することを知らない。
気に入らないと、すぐに暴れ出す。
それで様々な場所でトラブルを起こしては勤め先を辞めていた。
「バカだよ、アイツは、マジで」
そんな清佳こそ、なんで猿顔のマサシと付き合ってるんだろうって聞きたいけれど。
私の気になる、あの人―――――――
この地域でブレザーの制服なんて、一番賢い、あの私立高校。
縁なしの眼鏡がすごく似合ってて。
少し赤みを帯びた、耳を覆う長さのサラサラの髪が色白の肌に凄く合っていて。
背丈は、スラリと伸びた体躯をハッとさせるほどに印象づける長身で。
春の新学期に彼の姿を認めた瞬間、私はすぐに彼のことが好きになった。
いままで、私を夢中にさせる男子は皆無。
格好良いテレビタレントをみても、超の付くほど現実派の私にはただ空しいだけ。
名前すら知らない彼だけど、それでも毎朝、実際目にしてる。
勇気を振り絞って話しかけることも決して不可能じゃない。
そう。
毎朝、同じ時間に同じ場所でいつも彼と数分間、同じ空間を共有しているのだ。
都立照覧高校前バス停。
ぷしゅうと気の抜けた音を出してバスが停まる。
制服姿の男女のみが他の乗客を避けながら外に吐き出される。
隣を歩く清佳は、教室に着くまで終始マサシの愚痴をこぼしていた。
普段の付き合いも、最近あまりうまくいっていないらしい。
夏休みが始まったばかりの頃、清佳と一緒にいるマサシをみた。
髪を金髪に染めて、ピアスの数も増えて。
彼女によると、マサシは巷ではあまり聞こえの良くないチームに出入りしているらしい。
私は、そんな清佳に対して哀れむ気にもなるけれど。
(別れればいいじゃん)
友人の愚痴の最中、相槌を打つと同時に何度もそう思った。
清佳はぱっと見、10代向けの子のファッション誌の表紙に載っていそうな感じ。
スタイルの良さに合わさったかのように、さらに目鼻立ちも良い。
(なんで、マサシなんだろ?)
1年前に二人がつきあい始めた頃からずっと疑問に思ってる。
ながーい式が終わり、久しぶりの学校での授業が始まった。
私は、夏休みといえば、ほとんど進学塾で過ごしたと言っても良い。
清佳は、コンビニでアルバイトしたり、SNSで知り合った大学生のサークルのイベントを手伝ったりして忙しそうにしていた。
彼女と違って、私は勉学漬けだった。
だからといってはなんだが、正直、学校の授業は退屈だ。
塾で学ぶことの方が戦略的で、学校で学ぶことなど私にとってはひとつもない。
でも何事もなく卒業しなければ、しっかりとした学歴として遺すことが出来ない。
人生で、何度、学歴を書くことになるんだろう。
いまの私には分からない。
そもそも学校ってなんのためにあるんだろ?
なんか無駄なことを色々やらされているような気がする。
人生においてこんなこと役に立つの?
そんな疑問が湧く。
だけど、雑誌かテレビだか忘れたけれど誰かが言っていた。
生きていく上での糧になることは間違いない、と。
それを鵜呑みにする訳じゃないけれど、ちゃんと出席はする。
なんだろ糧って。
だからといって、学校に行くモチベーションが全くないわけではないけれど。
登校途中に、いつものバス停であの人に会えること。
それが私にとっては何よりも楽しみなのだ。
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