第90話 ミカエラの願い


 俺の目の前には豆柴がお座りしている。

 念話が届いたので、恐らく中身は犬では無いと思われるのだが......


 なぜ、後ろ足で頭を掻いている?


『あう......犬の本能が......なんてハシタナイ......』


 見た目は超絶に可愛い豆柴なのだが、頭を掻き終わった後に、そう言って項垂れてしまった。

 どうやら、自分の行動をなげいている様子だ。


 現在の俺達は、ミカエラと名乗る可愛い豆柴と対面している処だ。

 カオルはといえば、恐らく糞神退治に出掛けたのだろう。

 しかし、俺達は完全に置いてけぼりを喰らい、更には嫁の整理を言いつかってしまった。

 そんな俺達に......いや、俺に豆柴は願い出たのだ。


『狼さん、お願いします。わたしに力を貸してくれませんか?』


 ん~、お願いされてもな~。俺もそれ処では無いし......


「ところで、ミカエラと言ったよな? お前って誰?」


 そう、豆柴が話をしてくるのは良いのだが、その名前を聞いても一体何なのかが全く解らない。

 故に、そう尋ねたのだが、それに答えたのはエアロだった。


「ああ、神だぞ? 現在七人いる神のトップだ」


 こいつが元凶なのか......


 ただ、不思議な事に以前のような憎悪がいてこない。


 まあ、それも当然か......現在の俺はとても幸せになったのだから。


 しかし、だからといって糞神を許した訳では無い。

 ということで、全く協力する気が無くなってしまった。


「さて、カオルを何とかしないと拙いけど、どうしたものかな」


 一気に豆柴から興味を失った俺は、ミカエラを無視して嫁達と話し始める。


『あう......ごめんなさい。神々の悪戯いたずらで酷い事をしたと思ってます。ですが、話を聞いて頂けませんか?』


 あまりの都合の良い話に、思わずえてしまう。


「悪戯で済む問題じゃね~! 今なら見逃して遣る。だから、消えろ!」


 悲しそうにしている豆柴を見ると、少し言い過ぎたような気もしたが、俺達に......いや、糞神がこの世界の者達に行った事に比べれば、如何という事はないだろう。


「クゥ~~~~ン」


 そう思いつつ視線を再び嫁達へ戻すと、悲しそうな犬の鳴き声が聞こえてくる。

 しかし、今更以いまさらもって糞神の戯言ざれごとなど聞く気も無い。随って、その声を無視しようとしたのだが、何故か豆柴が俺の脚にり寄って悲しそうな表情で見上げてくる。


 お前、ズルいぞ! その見た目は反則だ!


 そう。無類の動物好きである俺にとって、その悲し気に訴えかける表情を無視する事は、踏み絵を前にした信徒とも言える状態なのだ。


 くそっ! なんて姑息こそくな手を使って来るんだ!


 ミカエラの作戦に負けまいと、あれは糞神だと己に言い聞かせていると、犬好きのマルカが声を発した。


「お兄ぃ、ワンちゃん可哀想だよ? 話だけでも聞いてあげたら?」


 その声を聞いて、もう一度豆柴に視線を向けると、悲し気な表情をしつつもキラリと瞳を輝かせていた。


 ぬうう! こいつは策士だ! そのビジュアルで嫁から落としていく魂胆こんたんなのだ。


「クゥ~~~~ン」


 ぬううう! なんて狡猾こうかつな奴!


 結局、その本能に訴えかけてくるかのような眼差しと仕草に負けて、豆柴の両脇に手を突っ込んで抱き上げてしまった。


 ぐは! めっちゃ、可愛い......この耳のタレ具合......更に心をくすぐるタレ目......くそっ! これが糞神なのが悔やまれる......


「仕方ない。話を聞くだけだぞ。協力すると決めた訳じゃないからな」


 負け惜しみだとは思いつつも、無理にしかめ面を作ってそういうと、豆柴の小さな尻尾がパタパタと振られていた。


『ありがとうございます。あまり時間も無いので手短に話しますね。恐らくカオルの力だと、神界の結界が破られるのも時間の問題でしょうから』


 彼女はそう言って話し始めたのだが、その始まりから驚かされる事となった。


『カオルをチュートリアルから救い出したのはわたしなのです。ですが、その後に対処を誤ってしまい、彼女は神を憎悪するようになってしまいました』


 そう、俺は以前に考えた事があるのだ。カオルがどうやってチュートリアルをクリアしたのかと......


 その方法が明らかになったのだが、話はまだまだ先があるようだ。


『ですが、彼女はチュートリアル達成の報酬である賢者の石を使ってしまったのです』


 ああ、あれか......そう言えば、未だにアイテムボックスに転がってたわ。


『そして、彼女は自我を失い、狂ったようにこの世界を蹂躙じゅうりんしてしまいました』


 その話は、カオルからも聞かされた話だ。確か裸の魔女だったかな? この世界を恐怖のどん底におとしいれたとか......


『そんな彼女は、神々だけでなく、この世界自体を憎んでいます。そして、彼女の執った行動は、精神のほこらで力を得て、全てを滅ぼす事でした』


 おおむねカオルの言っていた話と合致するけど、全てを滅ぼすってさっきも言ってたよな......あれは、狂った訳では無く、彼女の本来の望みなのか......


『わたし達、神を滅ぼすだけなら構わないのです。ただ、わたし達を全て滅ぼすとこの世界のプログラムを管理する者が居なくなり、いずれ滅びてしまうでしょう。それに、彼女は滅びてしまうでは無く、即座に滅ぼす事を望んでました。故に、わたしは彼女と戦う事になったのです』


「なに! じゃ、カオルを封印したのはお前なのか?」


『はい。本当は元の優しい彼女に戻って欲しかったのですが......でも、いつか彼女を救う事を考えて封印という手段を使ったのです』


 う~む。カオルを封印したのが、この豆柴なのか......いやいや、きっと本来の姿は違うのだろう。


『そこで、狼さんにお願いなのです。どうか、カオルを止めて貰えませんか。このままだと、この世界が終ってしまいます』


「それはなんとも都合の良い話だな。事の起こりから全て糞神が悪いような気がするが?」


『それは仰る通りです。ですが、何も出来ないわたしは狼さんに頼るしかないのです』


「それはおかしくないか? お前がもう一度封印すれば良い話じゃないのか?」


 そう、ずっと疑問に思っていたのだ。

 カオルは確かに復活したが、以前に比べてパワーアップした訳では無いだろう。

 であれば、もう一度封印する手段を講じればいいのではないかと思うのだ。


 しかし、豆柴は唯でさえ垂れている瞳をうるませて、全身の力が無くなったかのように脱力してしまった。


『残念ながら、今のわたしにはそこまでの力が無いのです。わたしの力はカオルとの戦いやその後の封印で全て使い果たしてしまったのです。故に、わたしはカオルとの戦いが終わり、彼女を封印した時から今まで、ずっと深い眠りに落ちていたのです。ですが、封印が解け、彼女が復活した事で目覚めてしまったのです』


 ん? ちょっと気になる事があったぞ? 何かがおかしい......ああ、そうか。


「なあ、なんで眠ってたお前が、即座に俺の下へ来たんだ? いや、来れたんだ?」


 そう、深い眠りに就いていた筈の彼女が、俺の下へ即座に遣ってきた事が理解できなかったのだ。


『その理由は簡単です。私はカオルの一部として狼さん......颯太と一緒に旅をしていたからです』


「それはどういうことだ? 全く意味不明なのだが」


『それは彼女の封印と関係があるのですが、封印されていたのに黒猫として活動していたのを不思議に思いませんか?』


 そう言われると、確かにその通りだ。封印されているのなら、カオルという黒猫の存在すら封印されているべきだ。


『実をいうと、わたしの力を以てしても彼女の全てを封印する事は叶いませんでした。故に彼女の魂のみがこの世界に残留する形となったのですが、魂のみという存在はとても脆弱ぜいじゃくです。故に、彼女の魂を守るためにわたしの因子を埋め込んであるのです。そのお蔭で、彼女や颯太の行動をいつも楽しく見ていたのです。狼さん、浮気はダメですよ? 今や嫁が八人ですか? それはカオルでなくても怒ると思いますよ?』


 ぐはっ! こいつ、どこまで見てたんだ? てか、ここに居る嫁達は、俺が浮気して連れて来たわけじゃね~~~!


『という訳で、狼さんには是非とも助けて頂きたいのです』


 いや、全く「という訳で」じゃないのだが......抑々が糞神の失態だと思う。なんでその尻ぬぐいを俺がするんだ? これは間違いなく断るべきだ。


 そう考えて、豆柴......ミカエラには悪いが、断ろうとしたのだが、彼女は話を続けてきた。


『狼さんには申し訳ないのですが、どうせカオルと戦う事になりますよ?』


「それは如何いう事だ?」


『だって、カオルは嫁は自分だけだと本気で考えていますから』


「......」


 そうだった......嫁の整理をしろと言われていたのだった......


 豆柴を両手で抱え上げたまま、俺は天を見上げて哀しみの遠吠えをするのだった。







 ふむ。どうやらミカエラは地上に降りたようだ。

 彼女の眠る部屋から大画面スクリーンのある部屋に戻って、颯太とカオルの状況を眺めていたのだが、カオルが何処かに消えたかと思うと、一匹の子犬がやってきた。


「ねえ、アルファルド、あれってミカエラじゃないかな?」


 ソファーに腰を下ろし、一緒にスクリーンを眺めていたレプルスがそう言ってくる。


「どうしてそう思うんだい?」


 彼がその豆柴をミカエラだと感じた理由を尋ねる。


「だって、背中に小さな羽が付いてるよ?」


 そう言われれば、真っ白な小さな一対の羽が生えているな。

 とは言っても、人間には見えないだろうが......


「ああ、なるほど......」


 レプルスは何かを察したような声をあげた。

 それをいぶかしく感じ、思わず尋ねてしまう。


「何がなるほどなんだい?」


「あれ? 気付かないかい? 彼女は君と同じ事をしたんだよ?」


 ああ、そういうことか。


 レプルスのその言葉で合点がいった。

 そう、彼女はカオルを止めるために、颯太の処までお願いに行ったのだ。


「なるほどね。ミカエラは助力を乞いに行ったんだね」


「そうだと思う。この時点でカオルを倒せるのは彼くらいだろうからね」


 ミカエラの行動を口にすると、レプルスはそれに同意してきた。

 しかし、隣に座っているティモレスが声を発した。


「彼が協力してくれるとは思えませんが」


 それはどうかな。死神......カオルは全てを滅ぼすのが望みだよ。だったら、颯太の嫁達も邪魔な筈だよね。となると、彼女は颯太の嫁達を亡き者とするだろう。それを颯太が黙って見過ごすとも思えないけどね。


 僕はそんな風に考えたのだけど、レプルスは全く違う事を考えていたようだ。


「別に気にする必要はないさ。私達は念願の死を手に入れるのだからね。そう、死神の手で無になるんだ。だから、今更何がどうなろうと私達にはあずかり知らぬ事なんだよ」


 それを無責任と思わなくも無いが、結果的にはそうなるだろうね。

 ただ、僕としては残されたレーヤ達の事が気になるんだよ。

 だから、僕達が死んだあと、颯太には頑張って貰いたいのだけど......


 そんな遣り取りをしてると、白い空間に赤い光が灯った。


「おお、これはいついつ振りだろうか。この結界崩壊警告が鳴ったのも久しいね」


 レプルスは、楽しそうに結界が破られた事を示す赤い警告色を見て、歓喜の笑顔を作った。


「流石は死神だね。もう来たのかな」


 レプルスの喜びの表情を眺めながら、死神の到着について述べると、スクリーンに視線を向けていたティモレスが口を開いた。


「あれ、スクリーンから彼等が消えたよ?」


「うむ、もしかして、ミカエラが口説き落としたのかな?」


 ティモレスとレプルスの声を耳にして、レーヤ達が生き残る可能性が出てきた事を喜ぶ。しかし、その次の瞬間には、懐かしいというべきなのか、恋しかったというべきなのか、複雑な心境となる声が掛けられた。


「相変わらず、無価値な場所だね。真っ白で何も無いし、よくこんな所に居られるよ」


 そう、僕達の後ろには、大きな鎌を右手にした死神が、ニコリとした表情で立っていた。

 僕達を憎悪している筈の彼女は、その想いを全く表面に出す事無く、この腐った白い世界をこき下ろした。


 ふむ。全く君の言う通りだよ。ここは無価値で腐った場所さ。


 声に出して答える訳ではないが、心中で彼女に同意する。

 しかし、彼女の到来を待ち焦がれていたレプルスは、その思いを押し留める事が出来なかったようだ。


「あはは。よく来たね。カオル。私はこの時を待ちわびていたよ。さあ、遣ってくれ」


「そうだね。でも、その前に聞きたい事があるんだ」


「何だい? らさないで早く殺っておくれよ」


 レプルスは、彼女の到来を切っ掛けに、両腕で身体を抱き身をよじらせている。

 そんなレプルスを笑顔のままの死神が、冷たい視線で射貫きながら、疑問を声を発した。


「人数が少なくないかい? それにミカエラはどこかな?」


「ああ、そんな事かい? 三人ほど審判で有罪となって消えてしまったよ。今頃はこことは違う真っ暗な空間で苦痛にもがき苦しんでいるだろうね。ミカエラは地上に降りたみたいだよ?」


 レプルスは、スラスラと何もかもを口にするが、その話を聞いた死神はこれまで全く崩さなかった笑顔を一変させた。


「三人の糞は良いとして、まさか、ミカエラは颯太を......」


 どうやら、この死神は頭も相当に良いらしい。速攻でミカエラの行動理由を読み取ってしまった。

 しかし、レプルスはそんな事など如何でも良いのだろう。

 身を捩らせながら、死神に死をうた。


「カオル。そんなことよりも早く私を殺してくれないか。もう我慢できないんだ」


「そうだね。じゃ、レプルス、これまでありがとう。君の願いを叶えてあげるよ」


 死神はそう言って鎌を振り上げたのだが、次の瞬間、彼女の前には炎の塊が現れた。


「カオル、悪いけど少し話があるだ。家族会議と洒落込しゃれこもうじゃないか」


「颯太!? どうやってここに?」


 そう、唐突に颯太が現れたのだ。その事に死神が驚いているけど、これ程までにスムーズに現れるという事は、恐らくミカエラが手を貸しているのだろう。


 突然、目の前に現れた颯太は自信に満ちあふれた表情をしていて、これがあのチュートリアルで泣き叫んでいた者と、同一人物とはとても思えなった。

 しかし、そんな颯太を見たカオルの印象は全く異なっていたのだろう。

 彼女は、怒りの表情を作ると、殺気の篭った声を張り上げた。


「颯太! 嫁の整理をしろとは言ったけど、誰も増やせとは言ってないよ!」


 僕としては、死神が何を考えてそう言ったかは解らない。でも、彼女の言葉には深い意味があるのだろう。

 それを証明するかのように、颯太が死神に告げる。


「別に、嫁を増やしてなんていないぞ? ちょっと知り合いは増えたけどな」


 すると、その言葉を聞いた死神が吠えた。


「ミカエラ! 何処に居るだい! 僕の颯太をたらし込むなんて絶対に許せない」


 ああ、嫁を増やしたってミカエラの事を言っていたのか......てか、ミカエラ......まさか颯太の嫁になったのか?


「人聞きが悪いですね。カオル。わたしは狼さんに助けて欲しいとお願いしただけですよ」


 彼女はそう言って、何処からともなく現れて颯太の隣に立つ。

 それを見た死神は、恐ろしい程の殺気を放ちながら言及の声を発した。


「何が狼さんよ! ぺろりと食べられる事を望んだんだよね!?」


「......」


「こら! ミカエラ、なんで、そこで沈黙するんだよ! これじゃ、まるで浮気現場みたいじゃないか」


「颯太は黙ってて!」


 うむ。これは完全に痴話ゲンカになってきたぞ......


 そんな僕の心境を余所に、颯太が力強い声で死神に意見を述べた。


「そんな事は後だ。カオル、ちょっと夫婦喧嘩でもやろうじゃないか」


 彼がそう言った途端、死神、颯太、ミカエラの三人が消えてしまった。

 そして、ここに残ったのは......


「カオル~~~~! どこにいったんだ!? 私を始末しておくれ~~~」


 完全に無視されて、その場に泣き崩れるレプルスと、何が何やらという表情で首を傾げているティモレス、そんな二人を哀れに思う僕の三人だけだった。


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