第65話 代わり始める心
久しぶりに戻った白い世界。
やはり、ここは空気が淀んでいる。
いや、匂いも無ければ、風も無く、最適な温度が保たれた素晴らしい空間であり、空気が淀んでいる筈がない。
だが、この何も感じさせない空気が、無情にも何もかもを腐らせていく。
そう、つい先月までは僕もその腐敗の素を吸って、見事とも言える程に腐りきっていた。
そして、目の前に居る同類たちは、未だに腐ったままだ。
更に、彼等の質の悪さは、その腐った空気を何とも思っていないということだ。
あの村から戻るなり、僕はキョウキにあの兵士達を討伐するクエストを出そうと進言したのだが、それの何が面白いのだと却下されてしまった。
そう、それが、それこそが、以前の僕の姿だ。
今更以て後悔しても遅いのだ。
それでも、母親やレーヤ、マユラの三人は当然の事ながら、村に住んでいた女性達を何とか開放したい。
大型スクリーンの前で、未だにソウタの様子を眺めている腐敗物から視線を切り、その場を後にする。
すると、後ろから追い駆けて来たティモレスが声を掛けてくる。
「如何したんだいアルファルド。戻ってくるなり血相を変えて」
きっと、彼に言っても理解してくれることは無いだろう。
そう思うが故に、むざむざと心を閉ざしてしまう。
それでも、口を噤む訳にもいかず、適当にあしらう事にする。
「なんでもない。気にしないでくれ」
ここで、本心を曝け出せば何かが変わったのかも知れないが、そんな事など神である僕でさえ解る筈の無い事だった。
そんな僕の返事を彼は訝し気な表情で受け止めているが、それ以上に尋ねてくる事は無かった。
ただ、少し心配そうな表情を作ると、ポツリと溢してくる
「何かあったら言ってくれよ?僕は君の助けになるからね」
その言葉さえ信用できない程に、ここの空気は腐っているのだ。
やはり、ここは最悪の場所だと言えるだろう。
それを考えると、ソウタの受けている仕打ちなんて可愛いものだと思えてくる。
僕はティモレスの言葉に手で合図を返して、力の無い歩みを進めたのだった。
この白い世界には幾つもの部屋がある。
しかし、どの部屋に入っても白い空間があるだけだ。
随って、部屋の個性などは皆無であり、どの部屋が何の部屋なのかなんて全く解らない。故に、部屋が別れている意味も全く理解不能だと言えよう。
だけど、この部屋だけは違う。
そう、中央で静かに眠る女性が横たわる部屋。
凡そ千二百年前に死神と戦った女神が眠る部屋だ。
彼女が眠る部屋に静かに入ると、その寝顔が見える所まで近寄る。
彼女は死神との死闘の末、力を使い果たしてこの長き眠りに就いた。
戦いは彼女の勝利で終わったが、勝ったというのに彼女が寂しそうな表情をしていたのを今でも覚えている。
今や、まるで死んだかのように眠る彼女を眺めていると、彼女が何のために戦ったのだろうかと気になってくる。
だけど、あの時はあまり考えていなかった。いや、あの時、僕達は既に腐っていたのだ。
だから、死のうが生きようが如何でも良いと思っていた。いや、寧ろ死にたいと感じていたように思う。
「なあ、僕達は何のためにここに居るんだ?どうして死ねないんだ?答えてくれないか?」
そう、彼女は僕達のリーダー的存在だった。
当時は、こうるさい姉的存在にウンザリとしていたけど、今は泣いて縋りたい気分だ。
「なあ、僕はどうすればいいんだ?教えてくれよ」
返事を貰える筈が無いとしりつつも、捕らえられた女性達を救いたい一心で、未だ眠る彼女に尋ねてみる。
しかし、当然ながら彼女の耳にその言葉が届く事は無く、それ故に答えが返ってくる事も無い。
それに溜息を吐きながら肩を落とすと、笑い声が耳に入る。
「フフフ」
その声に驚き、透かさず振り返ると、そこには兄貴面のウザいレプルスの姿があった。
嫌な奴に自分の気持ちを聞かれてしまったと思い、思わず顔を顰めるが、彼は別に嘲笑う訳でもなく、穏やかな表情を湛えていた。
更には、僕の心を読んだかのような台詞を吐き出す。
「下界で自分達の作り上げたものに絶望してきたのかい?」
まさにその通りだった。いや、こいつは僕の行動を見ていたのかも知れない。
思わずそう考えて防御線を張ろうとした時だった。
彼は再び口を開いた。ただ、その表情が何時ものニヤケタとしたものと違い、とても真面目なものだったことに驚く。
「ああ、心配しなくても覗きなんてしていないよ。ただ、君が下界に降りたと聞いたから、恐らく絶望して戻ってきたのだろうと感じただけだよ。そう、私達が手を出したこの世界は最悪なものとなっているからね」
その言葉を聞き、まさにその通りだと思い、胸を抉られるような感覚に押し潰されそうになってしまう。
しかし、彼は構わず話を続ける。いや、神の声を告げてきた。
「私が助けてあげようか?」
いや、それは悪魔の囁きだったのかも知れない。でも、藁をも掴む思いだった僕は、気が付くと彼の救いの手を握り返していたのだった。
海底神殿はとても綺麗な世界だったが、やはり太陽の下で見る自然の姿の方が心安らぐ気がする。
とは言っても、海底神殿を抜け出て、はや一カ月近くとなる。
その間、食事戦争以外に取り立てて騒ぎが起きる事も無く、いたって順調な時が進んでいると言っても過言ではないだろう。
『颯太、そろそろクエストが来そうな予感がするよ』
馬車の隣を必死に走る俺に向けて、御者台に座るカオルが念話を飛ばしてくる。
ぶっちゃけ、彼女の言葉をそのまま真に受けたりはしない。
恐らく、彼女には協力者がいて、糞神の情報が入ってきているのではないかと考え始めたからだ。
そうでなければ、海底神殿にクエストキャンセラーなる指輪があるなんて不自然過ぎるのだ。
しかし、彼女の目的を知っている俺は、その経緯がどうであれ、彼女の言う事を信頼すると決めている。
だって、彼女が何を企んで居ようと、俺がここまで来れたのは彼女のお蔭なのだから。
故に、彼女の言葉に疑問をぶつけたりしない。恐らくクエストが発行されるのだろう。
そう思った矢先に、耳障りなインターホンの様な音が脳裏で鳴り響く。
『来たみたいだな』
『内容は?』
『まだ確認してない』
カオルにクエストが発行された事を告げると、即座に彼女はその内容を尋ねてくるが、直ぐに確認する気がないので、サラリと流すことにした。
というのも、クエストキャンセラーがあるのだ。最早、慌てて確認する必要も無いだろう。
カオルはそれに不満を述べる事も無く、ゆっくりと荷台へと戻っていく。
その様子をチラリと見遣り、意識を鍛錬に戻して走り続ける。
「そ、そ、ソータ~~~~」
ああ、どうやら、並走していたエルがギブアップのようだ。
彼女はプライドが高い所為か、絶対に限界だとは口にしない。
ただ、ヤバくなると俺の名を呼ぶのだ。
まあ、普通なら面倒な奴だと思うのだが、俺だけに見せる弱き姿なので、返って可愛らしく感じてしまう。
そういう意味で言うと、俺にはサドっ気があるのかも知れない。
だが、ポツリとそれを溢すと、サクラから「あなたはどう考えてもマゾよ」と太鼓判を押されてしまった。
マゾ女にそう言われるのは心外だったが、己の事は己が一番知らないものだと考えると、取り立てて反論する気にもなれなかった。
さて、そんなことより、限界を迎えたエルの対処だ。
透かさず、彼女をお姫様抱っこにすると、息絶え絶えであるにも関わらず、直ぐに嬉しそうな表情に変わる。
この辺りも、この女の可愛い処だ。
だが、敢えてそれを口に出したりはしない。まかり間違ってそんな事をすると、その後が大変な事になるのだ。
それはエルが、では無く、他の女達がということだ。
「さあ、馬車に乗せるぞ」
「あっ、もう少しこのままの方がソータの鍛錬になるだろ?」
確かにそうだが、彼女の想いは違う筈だと推察できる。
それ故に、もう少しこのままでも良いかと思うのだが、背中の愛娘が起きてしまった。
「エルママ~!だめ~!馬車に乗るの~」
眠そうな眼をゴシゴシと擦っていたが、エルを抱きかかえている事に気付くと、即座にダメ出しをしてきた。
すると、早速とばかりに何時もの遣り取りが始まる。
「おい!キララばかりズルいぞ」
「だってウチは娘なの~」
「妾はソータの嫁だぞ」
そんな二人の遣り取りをほのぼのとした気分で聞いている。
というのも、こんな事をしていられるのは、幸せである証拠だからだ。
あのチュートリアルの頃を思い浮かべると、遙かに楽しく幸せな日々だと感じる。
しかし、だからといって糞神のへの復讐を止めたりはしない。
それは海底神殿で話し合った結論でもある。
俺から糞神への復讐について話すと、予想外にも執事服のダルガン爺さんがイの一番に賛同してきた。
更に、他の者達も少なからず糞神との因縁があり、誰一人として反対する者は現れなかった。
という訳で、このチームで糞神を消滅させる事を誓い合い。俺達は再出発する事となったのだ。
「ソウタ~。そろそろ野宿の用意をした方が......エル!抜け駆けなんてズルい!」
馬車の中から頭だけをちょこんと出したミイが、彼女の腹時計の様子を伝えて来たのだが、お姫様抱っこされているエルを見た途端に発狂し始めた。
「何を言う。これくらいは嫁として当然の扱いだ」
キララと遣り合っていたエルが、今度はミイとの対決を始める。
「何よ。何かと嫁、嫁、嫁、そればっかり、全く嫁らしいことなんてしてない癖に」
「うぐっ」
ミイのツッコミに、エルは唸り声を上げたまま押し黙ってしまった。
確かに、指輪に取り込まれて以降、全く夜の営みを行っていないのは事実だ。
ただ、ここまで仲間が増えてしまうと、なかなかそういう事をする機会に恵まれないのだ。
それには、キララの存在が大きく関わっていると言えるだろう。
彼女は、何故か俺としか寝ようとしないのだ。
俺が先に起きる時に関しては、ニアの懐に入れて置くと大人しく寝てくれるが、間違ってもサクラの処には置いていけない。なんと言っても、速攻で大泣きを始めてしまうからな。
「うるさいぞ!愛人は黙ってろ。胸も小さい癖して」
結局のところ、返す言葉がなく、エルは愛人と貧乳をネタにして暴言を吐く。
しかし、ミイをフォローするならば、彼女の胸は決して小さい訳では無い。いたって標準サイズの胸だと思う。それ以上に、エルやサクラの胸が豊かなだけなのだ。
「悔しい!射てやるわ!」
しかしながら、その暴言を聞いたミイが、速攻で弓を取り出す。
恐らくは、あのダルガンの爺さんが余計な事を口にした所為で、かなり過敏になっているようだ。だが、それを収めるのは俺の役目だし、余計な事を口にした爺さんには、何時かそのツケを払わせてやる。
心中でそんな愚痴を溢しながら、エスカレートしたミイが弓を構えるのを見て、流石に放置できないと考える。
「うお~、無性に野菜サラダを作りたくなってきた」
すると、お姫様抱っこ状態のエルが硬直し、弓を構えていたミイは一瞬にして無手の状態に戻る。
「ソウタ、何言ってるの?私達は喧嘩なんてしてないわよ」
「そ、そうだぞ。妾とミイは仲が良いのだぞ?」
「ウチは関係ないの~」
なかなか、敏感で宜しい。
大人しくなったミイとエルを眺めながら、念話で今日の進行をここまでとする事を伝える。
『今日はここまでにしようか』
その念話を聞いた者達から了解との返事を受けて脚を止める。
道は広いし、その左右の地も空き地の様な状況となっていることから、どこでも野宿が可能な状態だ。
馬車を道の左に寄せ、車輪止めを掛けると馬達を解放して遣る。
すると、栗毛馬のミラローズが嬉しそうに俺の髪をハムハムし始める。そんな彼女はとても嬉しそうだ。
だが、それを見た白馬のキロロアが心穏やかではない様子で、頻りに鼻息を荒くしている。仕方がないので、彼女の首を撫でてやると、一瞬にして大人しくなる。
ところが、そうなると今度はミラローズが
これが二頭の争いの幕開けとなり、いつもの喧嘩に発展するのだ。
まるで、馬版のミイとエルのようだな。
そんな二頭の首を一緒に撫でてやりながら、喧嘩の仲裁のをするのだが、全く収まる気配がないので、いつものようにミイを呼ぶことになる。
馬達をミイに任せて俺は夕食の用意に向かうのだが、これが以前とは違う行動になる。
というのも、以前ならサクラがテントを設置して、その中で料理をするのだが、神殿を後にした頃からその様をガラリと変えた。
俺は馬車の後ろに回ると、後部の扉を開く。この時点で既に大違いとなっている。
だって、元々は幌馬車だったのが、今では木製の箱馬車に変わっている。
オマケに扉まで付いている始末だ。ただ、その扉に描かれたライオンが気になるが......
そう、馬車を改造したのは、開発部隊メイドであるナナミだ。
人数が増えた事もあり、馬車についても幾つかの問題があると発覚すると、自分に任せて欲しいと願い出たのだ。
その結果、出来上がったのがこの馬車であり、その技術は舌を巻くものだった。
その一旦はこれから紹介する事になるだろう。
後部扉のライオン顔に向けて「開け」と言うと、扉がゆっくりと開き始める。
いきなり音声認識自動ドアだ。それも、知らない人が開けようとすると、ナゾナゾを出題するという訳の解らない仕様だ。
まあ、ナゾナゾの件は謎でも良いとして、中に入ると一見普通の空間なのだが、左右の壁に四つの扉がある。その扉にも、羊、竜、豚、猿の顔が描かれているが、あまり気にしないでくれ。
俺は迷うことなく豚の扉を開ける。当然ながら、ここも音声認識機能があるのだが、自動ドアでは無い。勿論、知らない者が開けようとしたらナゾナゾが発動する。
中に入ると、キッチンと食堂とリビングになっている。
そう、完全に亜空間に造られた部屋なのだ。
サクラのテントにも驚かされたが、この部屋を見た時には、腰を抜かす思いだった。
因みに、羊は寝室で、猿は風呂、竜はダルガン爺さんの部屋となっており、巨大な洞窟があるだけだった。
どうやら、爺さんは竜の姿で居る事の方が好きなようで、休む時には竜の状態だと言っていた。
ナナミ曰く、全員で戦闘をしても壊れないと自負していた食堂で、何時もの食事戦争を終わらせた俺は、休憩がてらに外の空気を吸う事にした。
というのも、何故か亜空間の部屋に長時間いると空気の違いに違和感を持ってしまうのだ。
だから、就寝以外はなるべく中に閉じ篭らないようにしている。
「やっぱり、自然の空気が最高だな」
満腹のキララをニアに任せ、一人で外の空気を堪能していると、唐突に声が掛かる。
だが、その声は肉声では無く、念話によるものだった。
『初めまして、ソウタ。ご機嫌は如何かな?』
そう、俺はその声を聞いた時に直感した。
それが糞神の声であると事を。
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