第61話 今度は水竜かよ!


 精霊魔法により照らされた世界は、想像を絶するほどに巨大な洞窟だった。

 それは鍾乳洞なんて遙に超える規模の広さであり、巨大な湖がその殆どを占めている。


 そんな光景を改めて見定めると、俺達が何処から落ちて来たのかは知らないが、ここに落ちて怪我一つ無かったのは幸運だと言わざるを得ないだろう。

 まさに、それを物語るように、岸の彼方此方には無残な人の骨が転がっている。

 それが、竜に食べられた残骸なのか、それとも落下による成れの果てなのか、将又脱出できずに朽ちていったものなのかは解らないが、どちらにしても生が無い事には変わりない。

 まあ、食われる痛さを考えると、朽ちた方が幸せなような気もするが、それはそれで死ぬまでの間、絶望を噛み締める時間を過ごすのが苦痛だとも思える。

 そうなると、落下で死ぬのが一番楽な結末だと思えるが、落下で死ねなかった俺達に取っては、選ぶ事の出来ない選択肢だと言えよう。

 どちらにしても、これは俗に言う究極の選択という事なのだろうか。

 しかし、俺としては、何としてもその選択自体を覆したいと考えている。


 と言う訳で、本気で第三の選択肢を考えているのだが、それを成すには視界の中にいる巨大な竜を倒す必要があるだろう。

 その竜は、長い体に短い手足を生やし、湖の上を滑るように進んでくる。

 その動きや速さから考えるに、間違いなく手足で泳いでいる訳では無いだろう。


「それにしても巨大過ぎるわ」


 まあ、エルフのミイから見れば、その大きさは異常だとしか思えないだろう。

 というのも、その竜の大きさは全長四十メートルくらいはありそうだ。


「いや、これくらいでないとやる気が出ないぞ」


 いやいや、エル、大きさとやる気は全く関係ないから......

 てか、岸に上がった途端、行き成り強気になったな。この第二夫人は。

 さっきまで、おろおろしながらミイに抱かれて宙を舞っていた癖に。


「にゃ~が晩御飯のオカズにするニャ~よ。沢山蒲焼が食べられるニャ~ね」


 確かに蒲焼にすると、暫くは食に困らない程の量となるだろうが、食料は沢山あるので、出来ることなら大人しく帰って頂きたい。


「キララの時の戦いを思い出すね。あの時も勝った訳じゃないからね」


 そうなのだ。俺もマルカと同じことを考えていた。

 あの時は泥団子のお蔭で何とかなったが、今度はそう言う訳にはいかないだろう。

 そうなると、あれから成長したとはいえ、大苦戦を強いられるのは言わずと知れたことだろう。

 ただ、当の本人であるキララは、竜の姿を見ても不思議そうに首を傾げているだけで、ウンともスンとも反応が無い。


 それはそうと、向こうは俄然ヤル気のようだ。

 いや、奴からすると食事の時間が来たくらいにしか考えていないだろう。


「喰らいなさい!」


 そんな竜に向けて、先制攻撃とばかりにミイが矢を射る。

 その速度といい、的確さといい、最高の攻撃だと思えた。

 そんな鋭い矢が己に向かって来ているのだが、奴は無視して突進してくる。

 そうなると必然的に、矢は奴に当たることになるのだが、物の見事に弾き飛ばされた。

 その有様は、まさにポヨヨンと表現したくなる程に無意味な攻撃だと思えた。


「うそ~~~ん!」


 それを見たミイは愕然としたかと思うと、力尽きたかのように跪く。


 おい! 戦闘はまだ始まってすらいないぞ! 戦意喪失には速過ぎるだろ!


 思わずそう叫びそうになったが、いよいよ竜が迫って来て、それ処では無い状況だ。


「おりゃ~~!」


「おい!エル、無謀だ!」


 何を考えたのか、眼前まで遣って来た竜に向かって、エルが大剣を構えたまま突撃していく。

 しかし、竜は恰もお前じゃ相手にならんとばかりに、前足でぺちっと払い退けた。

 すると、まるで葉っぱが木枯らしで舞い上がるかのように、エルの身体が吹き飛ばされて湖の中にぽちゃんと落ちる。


「エーーールーーーーー!」


 無残にも叩き飛ばされたエルの事が心配になって、思わず叫んでしまったが、どうやら彼女は無事なようで、必死になって岸へと向かって泳いでくる。

 そんな彼女の様子を見て安堵していると、隣から震える声が聞こえてくる。


「お兄ぃ、あれは強過ぎるんじゃない?如何する?」


 怯えの表情を隠すことも出来ずに、オロオロとしたマルカが指示を仰いでくる。

 しかし、そこに血気盛んな勇者が登場する。

 そう、彼女こそがあの恐怖の宝箱を率先して開けた勇者だ。


「にゃ~に任せるニャ~よ。今晩のオカズにするニャ~ね」


 そう叫んだかと思うと、瞬く間に竜の側面へと回り込むと、黒猫手袋を装着した両手でどかどかと殴り付ける。

 だが、まるでメカ竜と遣った時のように、その攻撃が身体まで届いていないようだ。


「退くんだニア!今のままじゃ......」


 即座に退避の指示を出すが、ニアはエルと同じようにぺちっと湖に向けて張り飛ばされる。


「ニャ~~~!水は嫌ニャ~よ」


 そうだった。ニアはカナズチなんだ!


「ミイ、ニアの救助を頼む」


「分ったわ」


 崩れ落ちていたミイが起き上がると、即座にニアの救助に向かう。


 こういう時は、文句ひとつ言わないんだよな~。

 なんて、感心している場合じゃなかったんだ。


 慌てて金属バットをアイテムボックスから取り出すと、近付いてくる竜に向かって走り出す。


「マックスヒート!加速!」


 更に、竜の目の前に辿り着いた処で、跳躍の能力を発動したのだが......


「ママ、戦っちゃだめ!」


 キララが俺の後頭部をべちっと叩く。


 それが思いのほか痛かったのだが......


 いやいや、それよりもキララの制止が気になる。

 そう思って背負っている彼女を見遣ると、水竜をジッと見詰めている。

 いや、眼前の水竜も彼女をジッと見詰めている。


「じい!」


『姫様!』


 何を考えたのか、キララが叫ぶと、水竜も念話を飛ばしてきた。


 てか、じいって、爺?


 そんな事を考えていると、水竜の身体が白い光に包まれる。

 それに驚く間も無く、あっという間に発光が止むと、そこには執事服を着た老人が立っていた。いや、駆け寄ってきた。


「姫様、どうしてそんなお姿に......」


 涙を浮かべた白髪の爺さんが、目の前でハンカチを出すと目尻を拭っている。


「あの~~~」


 それを見ていたマルカが、申し訳なさそうに声を掛けてきた。

 すると、執事服の老人がそちらに視線を向けたかと思うと、少し驚いたような表情で話し掛けてくる。


「あなたは魔人族の方ですな。まだ生き残ってる者が居るとは驚きですな」


 人間に化けている筈のマルカが、驚愕の瞳で爺さんを見詰めている。

 しかし、爺さんの方はニヤリと笑うと話を続けてきた。


「フォフォフォ、上手に変身されてますが、私たち竜人の目は誤魔化せないのですな」


 どうやら、水竜の正体はキララと同じ竜人だったようだ。


「それはそうと、どうして姫様がこのような姿に?」


 今、笑っていたかと思ったら、一瞬で恐ろしく真面目な表情となった爺さんが問い質してくる。


『彼女は糞神の所為でダンジョンのボスキャラとして幽閉されていたんだ。そんな彼女と戦ったのだが、ひょんなことから彼女が卵になってしまってな......』


 嘘を言えば殺すと言わんばかりの視線を向けられて、俺は斯々然々と事実のみを念話で伝えていく。

 念話で話す理由は、糞神に聞かれたくない話もあるからだ。

 すると、背中のキララが途中で口を挟んでくる。


「ママはウチに美味しいご飯を食べさせてくれるの」


 おいおい、結局は飯かよ......


 キララの想いが美味しいご飯に偏っている事にガックリとしながらも、爺さんに話を最後まで聞かせてやると、何を思ったのか、爺さんが腰を折って礼を述べてきた。


「有難う御座いますな。どうやら姫様を保護して頂けたようで、心より感謝いたしますな」


 さて、これで水竜と戦う必要も無くなったし、一件落着とばかりに喜んでいると、爺さんが再び話を続けてくる。


「これまで、本当に有難うですな。ですが、これからは、わたくしめが姫様をお守りさせて頂きますな」


 一瞬、その言葉の意味が解らなかったのだが、恐らくキララを寄こせと言っているのだろう。


 いやいやいや、俺の天使を渡す訳にはいかない。

 それは、彼女が居ると変身できるとか、そんな優位性の問題では無く、彼女は俺の心の拠り所なのだ。


「悪いが、それはお断りする。彼女は俺の娘なのだ。故に、他人に渡す事などできん」


 この爺さんがどれだけ強いかは解らんが、俺は即座にきっぱりと断る。

 すると、爺さんのまなじりがピクリと上がる。

 更に、爺さんは身構える事無く、オーラだけを発して告げてくる。


「では、力尽くでも渡して貰う事としますな」


 その言葉を聞いて、迷うことなく即座に戦闘態勢に入る。

 戻ってきたエルやニアも同様に、いつでも戦えるように身構えている。


 この爺さん、年寄りに見えるが半端なく強い。それは奴が纏うオーラを見れば間違いと断言できる。

 くそっ、俺はまだしも、他の者を巻き込むのは不本意なのだが......

 それでも、今更、タイマンなんて言って聞いてくれる筈も無いか。

 しかし、そこで予想外の声が割って入る。


「ジイ!ママに手を出したら怒るからね」


 すると、爺さんのオーラが一気に萎んだかと思うと、オロオロと慌てながら話し掛けてくる。


「ひ、姫様、そんな殺生な。わたくしめは姫様の事を想って......」


「うるさいの。ジイはウチのいう事を聞けばいいの」


「ですが、この者では姫様をお守りする事は叶いませんな」


「いいの。その時はウチも戦うから」


 いつの間にか這い上がって来て、肩車の状態で座ったキララは、腕組みをして爺さんを責め立てている。

 だが、このままでは一向に話が進まない。

 そこで、申し訳ないが俺が口を挟もうとしたのだが、それは他から発せられた言葉で遮られる事となった。


「お腹が空いたニャ~よ」


 そう言えば、随分と夕食の時間を過ぎているような気がする。

 本来なら、腹時計の確かなミイとエルがアラームを鳴らす筈なのだが、色々と立て込んだお蔭で口に出来なかったのだろう。

 そんなニアの台詞に反応し、この場の空気をぶち壊す強者が現れる。


「ご飯?何処?何処?ん?あれ?みんなどうしたの?」


 そう、それは数秒前まで気を失っていた所為で、メイド嬢のナナミに介抱されていたサクラだった。

 そんな彼女の存在は、この場の空気が読めないどころか、その空気さえも粉々に粉砕する破壊神だと言わざるを得ない。

 しかし、この時ばかりは、この生まれ持っての天然性を羨ましく思うのだった。







 やたらと賑やかな声が聞こえてくる。

 場所は変わって、ここはサクラの1LDKテントのダイニングだ。


「ジイ!食べすぎ。それはウチのだからダメ!」


「フォフォフォ!食事は戦闘と同じですな。姫様!隙あらば皆まで取られるものですな」


 キララが必死に己の肉を確保しようとしているが、爺さんが透かさず横取りすると、勝者の笑みを湛えながら、彼女に向けて教訓とばかりに告げていた。


「こら!爺~!食い過ぎだぞ!」


 だが、そんな食い意地の張った爺さんに、今度はエルが怒りの形相で文句を言う。


「お主は遅いのですな。お主の剣技と同様ですな」


 その言葉を聞いたエルが凍り付く。

 その間に、周囲の者がエルの皿に乗っている肉を掻っ攫う。

 それは、まさにハイエナ集団だ。


「確かに、まだまだよね」


 凍り付くエルを横目に、ミイが追い打ちとばかりにダメ出しをするのだが、そこで爺さんのツッコミが入る。


「お主の攻撃は軽のですな。その胸と同じですな」


「ななななな、なんですって~~~~!」


 爺さんの言葉でキレたエルが立ち上がる。

 すると、その間に周囲の者がミイの皿に乗った肉を掻っ攫う。

 その有様は、まさに窃盗団すら眉を顰める行為だと言えよう。


「あ、あ、あ、だめ、私の肉を取らないでよ」


「フォフォフォ!戦いとは非情なのですな」


 モグモグと口の中に肉を咀嚼している爺さんが、己の天下だと言わんばかりに勝ち誇っている。


 いやいや、肉は死ぬほどあるから、そこまで奪い合う必要はないのだが......


 戦場となっている食卓を眺めながら、お代わりの肉を焼くのだが、これではまるで唯の料理人である。

 俺だってお腹が空いているのに、こいつ等と来たら最悪だ。


「それにしても、この者の料理は美味いですな」


「だから、いったでしょ。ママのご飯は美味しいって」


「そうですな。姫様が離れたがらないのも分りますな」


 いやいやいや、俺は料理人じゃね~。お前等、俺の存在意義を間違えているぞ。

 唯一、ご飯を食べないナナミだけが、気を使って手伝ってくれるのだが、流石に料理をさせるのは無理だろう。

 結局は、つまみ食いで夕食を済ませながら、もはや何度目になるかも解らないお代わりを焼き続ける事になるのだった。



 食事も終え、片づけを六人の娘に任せて、俺はソファーの上にドッカリと腰を下ろす。

 まあ、使用している食器は、ガラスや陶器といった割れやすい器ではないので、力の強いエルやニアでも問題ないし、そそっかしいサクラが落として割る心配も無い。

 故に、安心して後片付けを任せることが出来るだ。


 やっとの事で料理から解放され、食ったか食っていないか解らない夕食を終え、のんびりと休む事が出来ると思ったのだが、透かさずキララが遣って来て膝の上に腰掛ける。

 まあ、キララは俺の天使だし、これはこれで心が癒されるので文句を言ったりはしない。

 いや、それは逆かな。心のオアシスであるキララの頭を撫でながら、爺さんに話しかける事にした。


「どうしてもキララを引き渡せと言うのなら、俺が戦うから他の者には手を出さないでくれるか」


 この爺さんは想像以上に強い筈だ。だから、出来る限りの犠牲を減らしたいのだ。

 もし、俺が勝てないにしても、みんなまで危険な戦いに参加する必要は無い。

 別に自己犠牲の精神とか、そんな崇高な事を考えている訳では無い。唯単に無駄な事をさせたくないだけだ。

 しかし、その意見に反発する者が現れる。


「駄目ニャ~よ。にゃ~は何時でもダンニャ様と一緒にゃ~の」


 そう、このメンバの中で一番の愛情表現をしてくるニアだった。

 そんなニアを見て、可愛い奴だと感じていると、今度はエルが声を張り上げる。


「妾では力不足だが、それでもソータを一人に戦わせるなんて出来んぞ。妾も共に戦うのだ」


 これでもかと胸を張り、エルが己の主張をしてくるが、如何見ても胸の大きさを主張している様にしか見えない。

 そんなエルの胸を半眼で睨み付けたミイが、両手を腰にやって鼻息荒く告げてくる。


「勿論、私も一緒に戦うわよ。ソウタだけに危ない事をさせるなんて、以ての外だわ。それに戦闘と胸は関係ないのだから、バカみたいに胸を張るのを止めなさいよ!」


「なんだと!誰が馬鹿だ!」


「勿論、エルのことよ!この脳筋乳牛!」


 己の主張がしたいのか、エルの悪口を言いたいのか良く解らないが、どうやらミイも反対意見のようだ。

 すると、いつもの口喧嘩を始めた二人をマルカは呆れた顔で眺めながら口を開く。


「お兄ぃはもう少し仲間の事を理解した方がいいと思うよ。だって、あたしたちは家族なんだから、お兄ぃ一人に戦わせたりしないよ」


 マルカは諫めるような口ぶりで進言してくる。

 そんなマルカの横から現れたサクラが、何を言うかと思いきや、思いっきり爆弾を投下しやがった。


「あの~、私も家族でいい?出来たら嫁とかがいいのだけど......てへ」


 すると、場の空気が完全に凍り付く。

 口喧嘩をしていたミイとエルが、サクラを凝視したまま固まり、ニアも首を傾げたまま微動だにしない。

 いや、凍り付くのは静かになって丁度良いのだが、今や何の話をしていたのかすら解らなくなってきた。

 そんなサクラに頭を悩ましていると、誰もが身動き一つ取らない静寂の中で、唐突に爺さんが笑い始めた。


「フォフォフォフォフォ!もう良いのですな。姫様はお任せしますな。恐らく、わたしくめが何を言おうと、姫様はウンと言ってくれないでしょうな」


 そんな爺さんの言葉で、これまで凍り付いていた者達が息を吹き返す。


 俺も爺さんの言葉を聞いて、やっと水竜との一件に片が付いたと安堵するのだが、それが早計だったと思い知らされる羽目になるとは、全くの想定外だったと言わざるを得ない。

 だが、現時点でそんな事を知る由も無い俺は、これで一件落着だとホッと胸を撫で下ろすのだった。


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