第52話 嵐の前触れ


 テンダロスの街は、ミラルダ王国の王都だけあって賑やかな街だった。

 通りに並ぶ露店も多く、それを眺める客は更に多い。

 オマケに、焼き鳥を大きくしたような焼き串の露店からは、お腹をくすぐる匂いが漂ってくる。

 直ぐにでも飛び付いてしまえと、お腹は主張しているのだけど、私の心はそれに従う気がないみたい。


 やっとお金も手にしたし、これからの前途は明るいと思うのだけど、どうにも気分が優れない。

 その理由に関しても、少なからず解っているのよ。

 でも、なるべく考えるなと本能が伝えてくる。

 それでも、やはり考えてしまうのよね。


 彼の話は本当なのだろうか。

 この街を行き交う人たちがNPCではなくて、この世界の現実的な人間。

 いや、彼の言う通りなのだろう。周囲の者の表情を見れば分かる。

 楽しそうな顔、苦しそうな顔、嬉しそうな顔、困った顔、そんな様々な表情を作り出す人達が作り物である筈がない。いえ、作り物だとしても、それを無碍にすることは出来ない。

 それなら、彼等彼女等が作り物であっても、そうで無いとしても、全く関係ないのではないのだろうか。


 そんな事を考えながら、自分の手を見遣る。

 そう、彼が触った私の手。


 暖かった......


 そう、それは久しく感じていなかった暖かさだった。

 この異世界に来たからだという訳では無い。

 日本に居た時から、誰かの暖かさを感じる事が少なくなっていた。

 彼是、どれくらい人と手を繋いでいなかったのだろうか。

 それに、あの気持ちまで安らぐ暖かさ...... 日本に居た時も欲していた暖かさ......


「だめ! これ以上考えたら陥ってしまう」


 思わず独り言を口にして、自分の心に歯止めを掛ける。

 だって、私は解ってしまったのよ。

 恐らく、彼が私の標的なのだと。

 何故そう思ったかなんて簡単だわ。だって、彼はこの世界の事を知り過ぎている。

 オマケに会話の端々で解ったの。彼は私と同じ存在だって。きっと、日本から連れて来られたのだって。

 そう考えると腑に落ちる処が沢山ある。

 神が居て、私を騙していること。

 私の装備が神から与えられたものだって知っていたこと。

 キッチン、バス、トイレ、その他諸々の使い方を知っていたこと。

 如何見ても日本人に思える風体。

 ああ、猫耳と尻尾については解らないけどね。

 それに、彼も気付いていると思う。私の役割を。だから、問いもせずに黙って別れたんだ......


 それが、きっと彼の優しさなのね。

 ダメダメ、もう忘れなきゃ。だめなのよ。


 私は頭を振り、視線を前に戻して街を闊歩する。

 すると、視線を上げたのが遅かったのだろう。誰かと肩がぶつかってしまった。


「あっ、ごめんなさい」


 日本に居た時の癖で、直ぐに謝ってしまう。

 いえ、これは癖と言うよりは、当たり前の事だと思う。

 だけど、ここはヤクザな世界なのね。

 そんな事を考えてしまう出来事が始まってしまう。


「いって~な~!ごめんなさいで済むとおもってんのか~~?」


 とても厳つい男が声を上げる。

 筋肉モリモリでボディビルダーの様な男だわ。誰が如何見ても、私よりも力のありそうな男が、肩がぶつかったくらいで喚き散らすなんて......


「なに黙ってんだよ!」


「兄貴~、それは無理ってもんでしょ。この女はビビってるんすよ。イヒヒヒ」


 私が黙っていると、筋肉男が眉間に皺を寄せて怒鳴りつけてくる。更に隣に居るスネ夫みたいな男が、いやらしい笑みを浮かべている。

 その喋りっぷりからして、筋肉男の腰巾着なのでしょう。


「兄貴、こいつ、生意気な女だ。犯っちまおうぜ」


 あら、筋肉男とスネ夫以外にも仲間が居たのね。

 犯るって私を? 勘弁してよ。私にも選ぶ権利があるわ。


 結局、大通りで暴れる事を忌避していると、その行動から怖気づいていると勘違いされたみたいで、裏路地へと連れて行かれるのでした。



 すえた臭いと糞尿の臭いが混ざり合って悪臭を放つ、そこは最悪な気分にさせられる場所だった。

 流石にこんな場所は、日本に存在しないと思いたい。

 そんな事に悪態を吐く私の前には、筋肉男とその取り巻きの二人以外にも、何処からか汚れた男達がぞろぞろと集まってきた。

 その数は凡そ十五人程度だったと思うけど、今更数える気にもなれない。


 当初は、その光景に本気でビビってしまったのだけど、一人目の男をアイテムボックスから取り出した剣の柄で殴り飛ばしてからは、全く怖くなくなってしまった。

 実を言うと、あの猫娘を除けば、真面な対人戦を行ったのはこれが初めてだったから、おっかなびっくりで対応したのだけど、彼等の動きはまるで止まっているように見えた。

 あの猫娘とは桁違いの弱さだったわ。

 そんな男達も、今では呻き声さえ出せずに、汚い地面の上で転がっている。

 と言っても、殺してしまった訳ではなく、只今、夢の中で気持ち良くなってる事でしょう。


 全員が涎を垂らさんばかりに襲って来たけど、私はこんな汚れた男達なんて絶対に嫌だからね。

 幾ら、猫娘に行き遅れだって言われても...... かなりショックだったけど...... こんな男達で妥協したりしないわ。


 対人戦にも慣れて度胸が付いたのか、半眼で転がる男達を眺めながら、彼等の様子を伺う。

 やはり、あの人の言う通り、彼等にも感情や欲求があり、血を流し、痛みに苦しみ、意識を失う。そう、人間そのものだわ。


 それを今更ながらに実感した私は、これからについて思い悩むことになるのだった。







 活気があって賑やかな街だ。

 これが作り物だと言われても、誰も信じられないだろう。

 だって、大人も子供も、そこに歩いている猫さえも、全てが生きているようにしか見えないのだから。

 その事をあの腹ペコ女であるサクラが理解してくれると良いのだが。


 現在の俺達はと言うと、サクラと別れた後、夜になって王都に進み、速やかに密入街したところだ。

 というのも、俺達の存在自体を知られたくなかったので、トラブル如何に関わらず、門を通り抜けたくなかったのだ。

 そんな俺達は、誰もが寝静まる夜中に、ミイの精霊魔法で空を飛んで街へと入ったという訳だ。


『ところで、これから如何するの?』


『城の偵察をしたら、あとは夜まで時間を潰すしかないな』


 ミイが念話で尋ねてくるので、今後の予定をそのまま伝える。


『だったら、宿を取らないか?』


『それがいいわ』


 ミイに応えてやると、今度はエルが進言し、ミイがそれに乗ってくる。

 しかし、宿を取る事の意味が解らない。

 だって、夜には出掛けるのだから、宿を取っても面倒なだけだ。


「お兄ぃ!鈍感!」


 エルの言うことの意図が掴めずに困惑していると、マルカが俺に肘打ちをしてくる。

 それでやっと理解する。

 こいつらは、真昼間からネンゴロしようと考えているのだ。

 ぬぬぬ、男として、それはとても魅惑的な誘いだが......

 チラリとカオルを見遣ると、とても不機嫌そうな顔でニアに抱かれている。

 なんか、その光景は母猫と子猫みたいだ。

 勿論、母猫はニアで子猫がカオルなのだが。


 その様子を見ながら俺はこっそりと、エルとミイにだけ尋ねる。


『カオルがウンと言うと思うか?』


『やはり無理か......でも......かなりご無沙汰なのだぞ』


『あの顔からするとダメよね~』


 エルとミイは何も言わずにブスっとしているカオルを見遣りながら念話で話し掛けてくる。

 しかし、感のいいカオルは、即座に釘を刺してきた。


『勿論だめだよ!今夜戦おうというのに昼間っからいやらしい行為に及ぼうなんて、以ての外だよ』


『いや、今夜戦いだからこそ、今のうちに』


『そうよ。いつ死ぬか解らないんだから』


 カオルの言葉に食い下がるエルとミイだが、流石に自称第一夫人の壁は高かった。


『こんな所で死んで貰っては困るんだよ。エッチに体力を使うくらいなら、鍛錬でもした方が良いよ』


 全く以て正論だ。故に、エルとミイはがっくりと項垂れる。

 その流れを全く理解できないニアは、首を傾げているのだが、そこで忘れていた事に気付いた。


『ああ、ニアに指輪を買って遣らないと』


 すると、落ち込んでいたエルとミイが、一気に復帰したかと思うと、鋭い視線で俺を突き刺す。


 なんて敏感な年頃なのだ。君達は。


『そんなに過剰反応する事はないだろう。彼女だけ念話が聞えないのは支障があるだろ?』


『そうだね。それは一理ある。だったら、左の薬指でなくても良いよね?』


 恐ろしい女だ。そこまで拘る必要があるのか? お前が嫁として認めたんじゃないのか?


 結局、カオルの言葉でミイとエルは大人しくなり、ニアの指輪を買うことになったのだが、そこで俺の金銭観念の無さが露呈する事となったのだった。







 目の前には王城の門があり、視線の先には巨大な城が建っている。

 あれから、色々と騒ぎがあったが、無事に王城へと辿り着いた。

 実は、先に王城の偵察に向かおうと思ったのだが、やはりニアだけ念話が聞えないというのは不便だと思い、指輪を先に購入する事にしたのだ。


「ダンニャ様~~~、にゃ~はダンニャ様を心から愛してますニャ~の」


 未だにニアは俺の隣で踊っている。

 しかし、彼女に指輪を買って与えた時は、もう大変な騒ぎになったものだ。

 俺はニアが喜ぶものだと思い込んでいたのだが、彼女は大声で泣きながら蹲ってしまったのだ。

 というのも、彼女が知っている猫人族の教えでは、男が女に指輪を買って与えるのは、自分が死ぬから代わりに大事にしてくれという証らしい。

 まあ、なんとも変わった教えだ。という訳で、それが災いしてニアが号泣し始めたのだ。

 最終的には、結婚した相手に渡す物だと伝え、これが人間の習慣でだと教える。

 すると、彼女は暫く固まってその内容を咀嚼していたのだが、その内容を理解した途端、不死鳥の様に蘇ったのだ。

 そして、未だに踊り続けているという訳だ。


 俺としてはとても可愛い奴だと思うのだが、約二名と一匹から冷たい視線が寄せられている。

 ただ、気になるのはその冷たい視線では無く、マルカが溢した一言だった。


「羨ましい。あたしもいつかは......」


 彼女は気付いていないかもしれないが、猫耳の能力は半端ないのだ。

 だから、俺には丸聞こえなのだが、敢えて聞こえない振りをする。

 何と言っても、これ以上に嫁が増えるのは御免だ。

 現在の冷戦だけでも泣きそうなのに、更に増えるなんて不幸事としか思えない。


 それはそうと、本題の偵察については、外部からしか様子が伺えず、取り敢えず進入路だけを決めた。

 内部に付いては行き当たりばったりになるのだが、それは仕方ない事だと諦める外ない。


『カオル、サラッと中を確認してこれないのか?』


 確かカオルは何処でも入れるはずだから、簡単に調べて来れると思うんだ。

 しかし、彼女の返事は辛辣だった。


『それは容易い事だね。でも、僕が居なくなったら誰が君達の監視をするんだい?ミイやエルが大人しくしていると思うのかい?断固として僕は彼女等の自由にはさせないからね』


 まあ、彼女の言わんとする事も理解できる。

 カオルが目を放せば、舞い踊るようにミイとエルが復活するだろう。

 そうなると、俺も男だし、彼女達の誘惑を拒否するのは困難だ。

 という訳で、間違いなくカオルの予想した通りの結果が生まれるだろう。

 強いてい問題を上げるなら、キララが大人しく俺と離れていてくれるかどうかだけだ。

 だって、流石にキララの前でエッチな行為に及ぶわけにはいかない。


 子供を抱えた夫婦の情事って、結構大変なんだな~。


 世の中の夫婦に同情していると、マルカからの問い掛けがあった。


「お兄ぃって、結構お金を持ってるんだね。あの指輪、金貨三枚払ってたでしょ?」


 そう、ニアに買って遣った指輪は金貨三枚の値段だった。

 だが、金はまだあるから大丈夫だろう。なんて考えていると、ミイが残金を尋ねてくる。


「ソウタ、お金はどれくらい残ってるの?」


「ん?金貨三十枚くらいかな?」


「えっ?」


『えっ?』


 エルの言葉に、何も考える事無く有りの侭を伝えると、エルとカオルから驚きの声が上がった。


 なんで驚くんだ? 服とか色々買ったし、コメも大量に買い占めたし、まあサクラに与えた五十枚は少し痛手だったけど、全然問題ないだろ?


 そんな風に考えた俺だが、ミイとカオルの考えは違ったようだ。


「アレだけあった金貨がなんで三十枚になってるのよ」


『颯太、君は金銭感覚が狂っているようだね。ん~、お金の管理はミイに任せた方が良いかもしれない』


 という訳で、財布はミイに握られました......


 自分では何がおかしいのかさっぱり解らないけど、ミイとカオルから散々罵倒されて、少し落ち込みモードに入っている。

 しかし、そんな俺をキララとニアが優しく慰めてくれるのだった。







 誰もが寝静まる夜中、怪しい人物が六人と一匹。

 誰かなんて述べなくても解るだろう。

 そう、何を隠そう俺達だ。いや、思いっきり黒い覆面で顔を隠している。

 俺の金銭感覚の無さが露呈した後に、みんなで必死になって作った傑作だ。

 キララに被せると嫌がるかと思ったが、嬉しそうに被っている。

 というか、本当はキララは連れて来たくなかったのだ。でも、一人だけ残す訳にはいかないし、誰かをお守りで置くとするならニアなのだけど、彼女がウンと言う筈も無い。

 ということで、家族揃って王様退治に出向いた訳だ。


『なあ、これって意味があるのか?』


 覆面に疑念を持つエルが念話を飛ばしてくる。


『私もそう思うわ』


 それに賛同するミイ。


『何を言うんだ今更。色々話し合って決めた結果だろ』


 そんな二人に結論を突き付ける俺。


 そう、色々と悩んだのだ。

 というのも、面が割れてしまうと色々と面倒な事になりそうなので、犯人が誰だか解ったにせよ、その証拠を残すべきではないと考えた結果なのだ。

 証拠さえなければ、白を切り通す事も出来るだろう。

 そうしなければ、一番初めに怪しまれるのがメイファスとクルドアのおっさんだからな。


『じゃ、ミイ、飛行魔法を頼む』


『分ったわ』


 嘆息するミイに精霊魔法の使用を頼み、みんなで城壁を越えることにする。


「うきゃ~!たか~い!」


「しっ!キララ、静かにするんだろ?」


「あぅ」


 精霊魔法で空を飛ぶと、キララがきゃっきゃと喜んで声をあげる。

 それを窘めてから、城の領域に入るとゆっくり降下する。

 着地と同時に全員の状況を確認し、静かに移動を開始する。

 しかし、俺達の作戦は、どうやら甘かったようだ。

 直ぐに、城内が騒がしくなり、衛兵が右往左往し始める。

 その事を訝しく感じていると、カオルが念話でその理由を伝えてくる。


『どうやら、探知の結界が張られていたようだね。どうする?』


『今回を止めて次にすると、向こうも警戒態勢を強化するだろう。だったらこのまま暴れた方が楽だと思う』


 カオルの問いに、俺が思ったままを返すと、彼女は頷きながら賛成してくれた。


『そうだね。僕もその方が良いと思うよ』


 ということで、強襲する事になったのだが、これが長い一夜の始まりになるなんて、俺を含めて誰にも予測できない事であった。

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