第39話 夢の中
「あのね、今日は優子ちゃんと対局をしてね、すごく楽しかったの!」夏実が大喜びしながら話しかける。
どこか色あせた、けれどもとても懐かしい和室の風景。興奮しながら勢いよく喋る夏実の話を、にこにことしながら聞いている人影がある。
「おじいちゃんにも見せたかったなあ、あたしの逆転の一手が、ばーんと決まった所を」勢いよく、碁盤に石を打ち込むふりをする。
話しながら夏実は気づく。これは夢だと。
「よく頑張ったな、夏実は本当に立派だ」暖かく頭を包んでくれる大きな掌を感じられた。ずっと、かけてほしかった言葉に、涙が頬を伝う。
「おじいちゃんはあたしのこと、許してくれるの?」
言えなかった、ずっと尋ねたかった言葉が口から溢れ出る。あたしが弱くて情けないから、結果としておじいちゃんに無理をさせてしまった。
「許して欲しいのは、じいちゃんの方だよ。俺のわがままのせいで、お前にとんでもない荷物を背負わせてしまったからな」
「荷物?」
形見のような何かがあっただろうか、と夏実は考え込む。
「囲碁だよ。俺が持っているだけの全てのものを、出来る限りいっぱい持たせてやりたかった。けどな、迷惑になっちまったかもな」
おじいちゃんはバツが悪そうに笑う。
「迷惑だなんて、そんなことないよ! 囲碁のおかげで友達だって出来た、たくさん泣いたり笑ったり、ドキドキしたり、悔しかったり。全部おじいちゃんが教えてくれたから体験できたんだよ!」
夏実が必死に訴える。感謝してもしきれない。どれだけの言葉を並べても伝えられる気がしない。それでも、一つでも多く声をかけたかった。
「俺の代わりにプロになるって、そう言ってくれたことはとてもうれしくてな、お前の成長をもっと長く見ていたかった」おじいちゃんが、寂しそうな表情になる。
「見ててよ! もっと、ずっと傍で一緒に・・・・・・」おじいちゃんはもう、いないのだと分かっていても叫ばずにはいられない。
「そうしたいのはやまやまだけれど、誰にだって時間は決められたもんで、そいつに逆らうことはできねえよ」
「やだ! 嫌だよ!」
「そんなに泣くな、ほら美人さんが台無しだ」おじいちゃんの手が優しく頬に触れる。けれど、涙は未だに止まらずに。
「最後の最後に、お前と本気で対局が出来てよかった。あの世に持っていくものは、それだけあれば十分だ」おじいちゃんが、真っ直ぐと目を見て告げる。
「行かないで! もっと教えてほしいことも、伝えたいこともいっぱいあるんだよ!」
「お前の傍にずっといることは出来なくてもな、俺の囲碁はずっとお前の傍にいることができる」
「囲碁がずっと傍に?」言っている意味がよく分からなかった。
「ねえ、どういう意味?」問いかけるが、おじいちゃんはそれ以上何も答えない。
「おじいちゃん、おじいちゃん!」
目を開けると、寄宿舎のベッドで寝ている自分に気づく。途中で気づいていたはずなのに、それでもなお求めずにはいられなかった。
過ぎていった夢の感触が、胸の中に残り続ける。
たとえ錯覚だったとしても、懐かしい温もりを愛おしくゆっくりと味わう。どうしようもなく寂しくなり、隣のベッドで静かな寝息を立てている優子を見つめる。
今日の勝負はとても良かった。胸に抱いていた不安が消えていくような、心が晴れやかになる対局だった。
続く二試合目も勝ち上がり、明日の準決勝へと駒を進める。
沙也加先輩も勝ち上がってきた。
麗奈ちゃんが先輩に負けて悔しそうにしていたのを思い出す。夏実に対して、ライバルなんだから、絶対に勝って悔しさを晴らしてくれ、とか勝手なことを言われる。
ふふ、とその時の様子を思い出して笑う。
先輩、打ちましょう。
あたしたちは、何度も盤上で巡り会う。石で言葉を交わすために。
そんなことを考えながら、意識はまた夢の中へと落ちていく。どうか明日が良い日になりますように、そう願った。
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