第8話 新しい出会い

「ありがとうございました」

「ありがとうございました」



 お互いに終了の挨拶をする。そして、緊張の糸がほぐれたのかゆっくりと椅子にもたれかかる。


「楽しかったあー!」夏実が身体を大きく伸ばして、歓声を上げる。


「つ、疲れたぁ……」優子がぐったりと椅子の背もたれに身体を預ける。


 囲碁は動きこそないが、白熱した対局であれば疲労を伴う。プロの対局であれば、一回の試合で体重が二、三キロも落ちたという話があるぐらいに、見た目からは想像もできないほどにハードなものだ。



「ああ、もうこんな時間! 急いで片づけなくちゃ」優子が壁にかかっている時計を見て、大声を出した。時計の針は夕方の五時を過ぎており、一時間以上も対局をしていた計算になる。



「あ、門限ってやつ? ゴメンね、付き合ってもらって」夏実も謝りながら、碁盤や碁石などの対局道具の片づけを手伝う。


 棚に用具をしまって廊下に出たとき、二人の様子をじっと見ていた人影に気づく。


 同じ中学校の制服を着たその少女は、伸ばした長い黒髪が印象的な、いかにも大和撫子といった感じの美人でどこか怜悧でミステリアスな雰囲気を漂わせていた。


夏実はその少女に見とれる。まるで森の中で独り屹立する狼のような、その佇まいが途方もなく美しく見えた。


「あ、沙也加先輩お疲れさまです」優子が挨拶をすると、沙也加は返事をするでもなく、ふいと立ち去る。その後ろ姿を夏実は熱心に見つめる。


「綺麗な人だったねぇ、今の人誰?」夏実が、うっとりとした表情をしながら尋ねる。


「黒瀬沙也加(くろせ さやか)先輩。私たちより一つ年上で、同じ囲碁専攻のコースなの」


 あの人も囲碁をやるのか。ただ姿を見ただけなのに、きっと強いのだろうと夏実は容易に想像が出来た。


「それじゃあ、そのうち先輩とも対局できるかな?」夏実の問いに、優子がうーん、と悩むような声を出す。


「難しいかも。沙也加先輩はとっても強くって、勝ち上がっていかないと普段のランク戦では当たらないし」


「ランク戦って?」夏実が聞きなれない言葉を質問する。


「毎週土曜日の午後なんだけど、囲碁専攻の人たちが集まって対局をするの。その結果によって一人一人が、EからAまでのランクが決められる。Eランクから始まって、Aランクが一番強くてプロになるための試験を受けられたりするんだけど、沙也加先輩は一年であっという間にBランクまで上がって、そのうちプロになれるだろうって皆が噂してる」


 優子の説明を聞いて、夏実はますます憧れを強める。そんなに凄い人と同じ場所で戦えることに期待を膨らませる。


「そういえば、対局するのが難しいって何で?」


「入ったばかりの人は、一番下のEランクから始めるんだけど、対局するのは同じEランクの人同士で、その中から勝ち上がっていかないとダメなの」


「ランク戦じゃなくて、個人的に対局をお願いするのはどうかな?」


 優子が少し言いづらそうに、声をひそめる。


「沙也加先輩はなかなか難しい人で、あんまり他の人と打っている所を見たことがないの。私もちょっと怖い感じがあるから、近寄りづらいし……」


 確かに見方によっては、そんな風に見えるかもしれないと夏実は思った。けど、こっちを見つめていた様子はどこか寂しそうな、そんな印象も同時に受けた。


「今度時間がある時に、お願いしてみる!」自分を奮い立たせるように、夏実が勢いよく宣言する。


「夏実ちゃんは本当に元気だね」優子が呆れるやら、感心するやらの感想を述べる。


「元気なことだけが取り柄だから、一生懸命やらないと」


「私もそんな風になれたらなぁ……」ぼそりとつぶやく。


「前の学校の先生には、もっと落ち着きを持てとか言われたし、お母さんからも女の子なんだから、もっとおしとやかに、とか色々言われてたのに、そんな風に言ってくれたのは優子ちゃんが初めてかもしれない」夏実は驚きを口にする。


「私は正反対。もっと明るくなれとか、大人し過ぎるって言われてたし」


「いいなぁ、あたしもそんな風に言われたい」


 二人は顔を見合わせて笑い合う。誰もが自分にはないものを求め、自分が持っているものを当たり前のように思って気づかない。


「早く対局してみたいな」沙也加が去っていった方向を見ながら夏実がつぶやく。先輩も自分が持っていないものを沢山持っているのだろう。

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