第7話 見えてきたもの
両者、様子をさぐり合う序盤戦が終わり、対局は中盤へと入っていく。
中盤戦辺りからお互いの陣地が少しずつ確定してくる。自分の陣地をできる限り広げながらも、相手の陣地の弱いところが見つかれば、攻撃して自分の陣地へと奪っていくことを同時にこなさなければならない。
隙が出来ないように小さく、小さく広げていけば相手よりも小さい陣地しか作れず、逆に大きく広げるように石をばらまいていけば、相手から攻撃された時に守り切れず、陣地を奪われて結果として相手に大きな陣地を作られてしまうことになりかねない。
狭すぎず、広すぎず。大切なのはバランスだ。
打っていけるのは一回ずつなので、今どこに打つのが一番良いのかを考えながら判断して、最前の手を尽くしていく。手が進む度に、互いの思いが盤上へと乗せられていく。
夏実は囲碁を打っていると、先の見えない道を歩いているような気がする。どこにどう打つべきか、選択肢が突きつけられるたびに、分かれ道になる。
分かれ道では障害物がなく、何度となく通いなれた先が見える見通しのよい道と、ここを打てばどうなるか分からない、木々が立ち並んで茂みに覆われて視界が全くないような道があった。
夏実はどちらを選ぶべきか、思案する。目の前にいる、今日会ったばかりの新しい友達との初めての対局。そんな素敵な日こそ、新しい道を見てみたい。その気持ちに突き動かされて、茂みをかきわけて一歩を踏み出す。
夏実が石を置く。
瞬間、優子が息をのむのが分かった。普通であればあまりないような形の、打たれた手の意味を探し、自分がどう応えるべきなのかを必死に考えているのが傍から見てもわかる。
悩んだ末に、優子が返した答えは夏実が予想もしていなかった手だった。
険しい森の奥へと入り込み、お互いに手を取り合って、自分一人では入っていけないような囲碁の世界の奥深いところへ、どこまでも進んでいく感覚を夏実は覚える。未知なる場所を求める衝動から、無我夢中で潜っていく。
慎重に足を進める。確かめもせずに、うかつなところに足をかけてしまえば踏み外して転落しかねない。初めての道は、生き死にが隣り合わせになっている。
神経をすり減らすかのような時間が続く。対局中は互いに私語をせず、真剣に碁盤と向き合う。
けれども打ち続けていけば、次第に盤面が埋まっていく。対局は有限であり、いつしか終わりが来る。そして、それまでの手が全て繋がり、見通しの悪い世界から、視界が一気に開ける。
それは夏実の知らない囲碁の景色だった。普段通いなれた道から、一つ外れた横道へと入っていき、気が付くといつも遊んでいた公園を山の上から見下ろしていた時のような。
例えようもないこの景色に、無事にたどり着けたことを感謝する。この場、この相手とじゃなければ行きつくことは出来なかった。どうか最後まで正しくこの道を歩き続けられますようにと、祈るようにしながら手を進める。
対する優子も、夏実と同じものを見たのだろうか。この対局の流れに驚きながらも、真剣に打ち進める。
やがて終盤に入ると、陣地はほぼ固まり境界線を確定させる段階へと入る。勿論、この段階でも大きなミスをしたり、順番を間違えたりすれば陣地の大きさは変動する。けれども、勝負の結末は見え始めていた。
「負けました」優子が宣言する。
囲碁においてゲームの終了は、どちらかが負けを認めるか、互いにこれ以上石を置くところがないというのを確認しあった時点で終わりとなる。置くところがない場合、盤面にあるお互いの陣地の数を数えて多い方が勝者となる。
今回優子が宣言したように、どちらかが負けを認める行為を、投了と呼ぶ。人によって考えは様々だが、勝負の大勢が決し、相手があり得ない失敗をしない限り試合がひっくり返らないような状態のときは、自ら負けを認めて対局を終わらせる。
それは相手がミスをしないだろうという、敬意と信頼の上にある行為。時間をかけて負けを確かめる必要はない、という暗黙の合意だが、強制的なものではない。
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