ロシアの地にて 第二十話
二人は女の家を出て、森の中を走った。
もう日はとっくに暮れている。
「俺が監禁されてた場所、わかるか?」
走りながらヴォルフに聞く。
「お前の匂いを辿って行けばわかる。特に血の匂いは強烈に匂ってくるのでな」
さすが狼だけあって鼻は効くらしい。
圭吾は少し前を走るヴォルフの姿だけを頼りに走っていたが、足元がよく見えず何度も転びそうになった。
それを見て、ヴォルフが足を止めて圭吾を振り返る。
「現地に着く前に怪我してどうする。乗れ。その方が速い」
「ああ……悪い。こうも暗いと走りづらくて」
圭吾は苦笑を返すと、ヴォルフの身体に跨った。圭吾がしっかりヴォルフの首を掴んだのを確認すると、ヴォルフは再び駆け出す。
圭吾に足を合わせる必要がなくなったおかげで、木立の間を飛ぶような速さで駆け抜けた。
圭吾は躍動する狼の背に乗って、振り落とされまいと必死にしがみついた。
小枝が容赦なくぶつかってくるため、顔をあげることもできずヴォルフの首に回した腕を離さないようにするのが精いっぱいだった。
どれくらいそうしていただろうか。
ふいにヴォルフの走り方が全力で走る襲歩から、2拍子の早足に変わる。
走り方が変わったことに、圭吾も気づき上体を起こした。
走り方が穏やかになったため、小枝が当たってもさほど気にならなくなっていた。
顔を上げると、木立の向こうに明かりがいくつか見える。
「……あそこや。俺が監禁されてたんは」
「ああ。そうらしいな」
歩く程度の速度になったヴォルフの身体から圭吾は降りて、一緒に歩いて明かりの方へと近づく。
森を抜けた。
目の前にあるのは、間違いない。自分が監禁されたあの建物だ。
圭吾が足を止めた事に気付いて、少し先まで歩いていたヴォルフも足を止め圭吾の元に戻る。
圭吾はヴォルフに実際の建物を指さしながら、自分が知っている限りの構造を教えた。
建物は2階建て。2階の東奥の大きな部屋に監禁されている人たちがいる。圭吾が監禁された時、武装集団の面々は2階に十数人がいた。1階にどれだけいるのかは不明である。
圭吾は地面にしゃがみ、ヴォルフはお座りをして、二人で簡潔に作戦を立てた。
「なぁ。一つ、頼みがあるんやけど」
ヴォルフはのっそりと顔をあげて、金色の瞳で見上げる。
「できる限りでいいんやけど。できるだけ殺さんでほしい」
ヴォルフは小首を傾げた。
「それで良いのか? お前は奴等に殺されるところだったんだろう? 恨みは抱かんのか?」
圭吾は頬を指で掻いて、苦笑した。
「そりゃ、色々悔しい思いもしたで? でも、俺の感情なんて、どぉでもええねん。あの時はいっぱいいっぱいで容赦する余裕がなかったけど。今回は、俺らあいつらに見られないっていう絶対的な有利さがあるやん。それに、目的は監禁されてる奴らを助けることやんか。それさえできれば、殺しは最低限にしたいんや」
圭吾の真剣な様子に、しばらくヴォルフは圭吾を眺めた後、こくりと頷いた。
「わかった。お前がそういうのなら、肝に銘じておこう。ただな。生きている人間も、死に瀕すると私たちが見える場合がある。死の際にある病人が、他の人が見えないものを見ることがあるだろう。あれと同じだ。あと幼子や霊感の強い者も見ることがある」
「え……ほんまなん? ……まぁ、ええわ。注意しとく」
圭吾は頭をガシガシと掻くと、ヴォルフににこりと笑いかけた。
二人の視線が交差して、どちらともなくお互いに頷きあった。
それが、合図になった。
それぞれが目指す方向に向かって駆け出す。
ヴォルフは地面を蹴る体が小さくなり、一羽の麗しい鷹に姿を変えた。
そして建物の回りを旋回して飛び上がると、開いている2階の窓から体を建物内に滑りこませる。
一方、圭吾は建物の正面に走り込んだ。そして、入口を護衛している、首からベルトで
圭吾は走ってきた勢いのまま飛び上がると、自分よりも二回りは大きいその男の側頭を肘で殴りつけた。男が驚く間もなく態勢を崩して横に倒れたところを。すかさず一旦地面に足を付けた後、男の側頭部を踵落としで地面に叩きつける。
男は自分が何に襲われたのか気づく間もなく意識を失った。
圭吾は男の身体から
その
入口からは少し広いホールような空間があり、その奥に廊下が続いている。ホールには二階に続く階段もあった。
圭吾は
そして人を見つけると、真正面で胸から腹にかけて適度に失血するように斬りつけた後、倒れたところを行動できなくするために足の腱を切った。
隣の部屋には三人の男がいた。気付かれてしまうのは、仕方がない。圭吾は一人目を先ほどと同じように切り倒す。残りの二人は突然仲間が血を噴き出して倒れたことに驚いて立ち上がる。
すかさず二人目に近づいて、斬り倒す。今度はゆっくり処理している暇はないので、深めに斬りつけた。もしかして死んだかも、と思い、圭吾は心の中で小さく謝る。
三人目の男は混乱で引きつった形相のまま、肩からかけていた
圭吾は男が
トンと、男の斜め横に踏み出すと、スナップを効かせた
(やっぱ、そろそろ静かにはいかんか…)
廊下からは複数の足音がこちらにかけつけてくるのが聞こえる。
圭吾はパニック状態になった男の胸に背後から
部屋の入口に男の姿が数人見えた。
そのうちの一人がロシア語で何かを叫ぶ。明らかにこちらを指さしていた。
しかし残りの者は、その男が何を指さしているのか分からないようだった。
(ほんまや。見える奴、おるんか)
圭吾は
そろそろ、手加減とか言ってる余裕はなくなっていた。
二階では、ヴォルフが鷹から狼へと戻り、人を見つけると手当たり次第に首元に噛みついていた。一応、圭吾に言われたように絶命はさせないように気を付けてはいたが。
何人目かを血の海に沈めたとき、それを見た者が腰を抜かして床に座り込む。
「ば……化け物だ! 」
その声も、次のヴォルフの一噛みによって掻き消された。
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