ロシアの地にて 第八話

 男たちは足音を潜ませて、注意深く銃口を向けたまま民家の周りを取り囲む。入口のドアノブが叩き壊されて、ドアが半開きになっている。この民家に獲物が逃げ込んだことは間違いない。


 六人で民家の周りを取り囲み、少しずつ包囲網を狭めていく。

 南側の正面ドアにAK47を持った男が張り付く。ドアに手を差し入れ、勢いよく開こうとしたその時だった。


 西側で仲間の銃声が数発響いた。何事かとウッドデッキ沿いに歩いて西側へ回ると、そちらにある両開きの窓に向かって仲間が二人発砲していた。人影が見えたという。


 次の瞬間。窓から何かが飛び出した。赤く光る弧を描いて飛んだそれを、AK47を持つもう一人の男が狙撃する。弾は飛来物に命中したが、内容物が飛散する。飛散したものは飛んできた勢いを殺すことなく男の頭から降りかかった。と同時にその男の悲鳴とともに男の身体が燃え上がる。ガソリンをたっぷり含んだ火炎瓶だった。


(右手しか使えないなら、立ち上がりが遅くて音のうるさいチェーンソーはこの状況では不利だ。それより中に燃料の混合ガソリンが入っていたらそれを瓶に移し入れて、ガソリンで濡らした布で蓋をしろ。火をつければ火炎瓶ができる。それを陽動に使え)


 先程聞いたイザの言葉が蘇る。

 男は火だるまになって草原に転がった。炎を消そうと必死に地面を転がるが、ガソリンは激しいほむらを上げて男の身体を飲み込んだ。


 突然の仲間の惨事に、他の男たちは息を飲む。が、すぐに持っていた得物をそれぞれ構えて窓に向かって激しく発砲を始めた。そして、民家の壁に駆け寄ると、一人がそっと顔だけ出して中を伺う。


 入口ドアからは、もう一人のAK47を持った男が民家に入ろうとドアを開けた。

 しかし、彼らの動きは、民家の裏手北側から上がった断末魔で固まる。


(火炎瓶を投下したら、数秒奴らの注意は窓の方に注がれる。その隙にお前は裏手から出て、奴らから死角にいる敵を殺れ。他の奴らを引きつけられるよう、なるべく派手にやった方がいい。だいたい訓練されてない集団の場合、一番前線から遠い裏手に回ってくるのは火力の弱い奴だ)


 圭吾は西側の窓が集中砲火されている頃には既に北側裏口から出ていた。

 あっと、裏にいた男が小さく声をあげる。が、相手が仲間を呼ぶ前に圭吾は男に近接すると、手に持っていたナイフを上段に右から左へと凪ぎ、男の両眼を一文字に切りつけた。男は突然視力を失った双眸を両手で押さえ、持っていた長剣を地面に落とした。


 圭吾はナイフを逆手で持つと、何もガードするものの無くなった男の腹を、正確に切りつける。丁度肝臓のある位置に、体重をかけて深くナイフを突き刺した。

 肝臓は人間の急所の一つであり、刺されると激しい痛みを引き起こす。男はおそらく何が起こったかわからなかっただろう。ただ体を貫く激痛に断末魔の叫びをあげた。

 肝臓損傷による大量の血液が男の身体から吹き出し、深くナイフを差し込む圭吾の顔や体を赤く染めた。鉄の生臭い匂いが辺りに漂う。


 次に、右足を上げて勢いよく蹴り押すことでナイフを男の身体から引き抜く。男はそのまま後ろに倒れて、身体を痙攣させた。

 断末魔に気付いて、他の男たちがこちらに駆けてくる足音が近づく。


 圭吾はべっとりと血のりのついたナイフを、森の方に向かって投げた。ナイフについていた血がナイフの軌跡に合わせて一直線に地面の葉の上に落ち、がさりという音を立ててナイフは草むらの中に消えた。ナイフが落ちるのを見届けることなく、圭吾は裏口から室内に入ってテーブルの裏に身を隠す。


(森に落ちたナイフの物音と、葉についた血の滴で。そいつらはきっと、お前が森に逃げたのだと考えると思う)


 圭吾が身を隠した直後、室内を大股にAK47を抱えた男が何やらロシア語で怒鳴りながら通り過ぎていった。入口から入ってきたのだろう。

 そして裏手で他の男たちに合流すると、何度か会話を交わした後。男たちの足音が次第に遠ざかっていくのが聞こえた。


 圭吾は、はぁ…と安堵の息を漏らす。無意識に首にかけたペンダントをシャツの上からぎゅっと握った。

 まんまとイザの戦略どおり、男たちは圭吾を探すために再び森へと入って行った。民家にまだ圭吾が隠れているとは知らず。


 これで形勢が逆転できる。残りは4人。一人ずつ襲って倒していけばいい。

 圭吾は血でてらてらと濡れた自分の掌をじっと眺める。そして、我慢できずにペロリと舌で舐めた。


 ぞくりと背筋が泡立つほど、甘美で懐かしい血の味が口の中に広がる。

 どこか暗く燐とした光を湛えた双眸を薄く瞬かせて、圭吾は立ち上がる。裏口から外に出てみると、既に男たちの姿は消えていた。


 残っているのは、圭吾が刺したあの男の身体だけ。既に痙攣は止まり、絶命しているようだった。

 圭吾は男が落とした長剣を拾い上げるとベルトに刺した。右手にはTKB022。

 得物を得て、圭吾は森へと足を向けようとする。が、一歩進んで足を止めた。


 そして死体の方に体の向きを変えると、TKB022を傍らに置く。

 ゆっくりとした動作で身を屈めると、死体に手を伸ばした。

 つ…と死体の腹の切り傷を撫でたあと、ぐっと手に力を込めた。ぐちゃりという耳障りな音を立てて圭吾の指が死体の腹部に差し込まれる。掌に掴んでいたのは、肝臓。勢いをつけて腕を引くと体内から肝臓をもぎ取る。


 圭吾の掌にあるのは、先ほどまで生命活動を行っていた未だ温かい黄色のもの。

 それを圭吾は貪るように口に入れた。






 少し身体の奥の疼きが癒えた気がした。

 手にべったりとついた血液をスーツのズボンで荒くふき取り、口に着いた赤いものはシャツの裾で拭った。


「……ごめんな」


 誰に言うともなくそう呟くと、圭吾は地面に置いたTKB022を手に取り、森へと走り出した。



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