守りたいモノ4


アウリスと数人の側近。それに圭吾を乗せてヘリは飛び立った。

警視庁から借りた他のヘリ数機で、警備のものたちや関係者も一斉に移動する。


空から見た首都は、まるで黒い海に飲まれてしまったかのように明かりが消えていた。

しかし、隣県に入ったあたりから、通常の夜景が足元に広がるようになっていた。

1時間半ほど上空を飛んで、京都の市街地から離れた山間のグランドにヘリは降り立った。


圭吾に手を支えられて、ヘリから降りるアウリス。

ヘリが降りたのは学校か何かのグランドのようだった。そこから歩いてすぐのところに圭吾の言う本宅があった。


漆喰の塀が続く、その中央に大きな屋敷門がある。

そこを潜ると、純和風な庭園の中に石畳が続いていた。

門からは、まだ庭園の木々に隠れて屋敷が見えないほどの広さがある敷地だ。

石畳の所々に灯篭がたち明かりが灯されているため、月のない今夜でも暗くて歩き辛いということはなかった。


石畳を行くと、右手に大きな池も見える。

さらに進むと、平屋の大きな瓦屋根の屋敷が一棟。その向こうに廊下続きで離れも見えた。

玄関をくぐると石床のタタキがあり、一段高くなった沓脱ぎ石のさらに奥に畳敷きの小部屋があり、そこの真ん中に置かれた一面に蒔絵の施された衝立がある。その前に黒留袖姿の一人の女性が三つ指をついていた。


頭を下げたままその女性は、いらっしゃいませというと、ゆっくりと顔を上げて微笑む。

古来からの服装というのは、その土地の女性たちを見事に色採るものだと感心するアウリスだったが、その女性の顔つきに、はたとアウリスは小さな疑問を抱く。

その女性の笑った顔が、どことなく圭吾に似ている気がしたからだ。それとも、単に日本人の顔立ちとはこういうものなのだろうか。


「遠いところ、ようこそいらっしゃいました。御堂圭吾の妻の、御堂楓みどうかえでこ子と申します。さぁ、こちらへどうぞ」


立ち上がると留袖の裾に描かれた金色の水辺に浮かぶ鶴の文様が足元に。先を案内して、つつと先を歩く楓子の後について、一行は御堂家の本宅に入って行った。






アウリスは、奥にある座敷に通された。

ふすまを隔てた周囲の部屋には、警備のものたちや側近のものたちが詰めている。

庭や、塀の外にも何人もの警備のものが目を光らせていた。


それでも。


形ばかりとはいえ。ようやく一人になることができて、アウリスは大きく息を吐いた。

思えば、長い一日だった。

自国を発ったのが昨日の夜。

そして飛行機内で一泊して、朝にこの国の空港に着いた。

もう、それすらずいぶん昔のことのように思えた。


身支度を整えて、布団に入る。ベッドではない場所に寝るのは初めてだ。


(これが、タタミというものか……)


昔読んだ本で、タタミとは草で編んだものだとあったので草でできた絨毯のようなものかと思っていたが、想像していたのと少し形状が違っていたため、興味深そうに畳を撫でてみる。

そもそも、靴を履かずにあがる家というのも、不思議な感じがした。


と。

廊下の障子越しに、月の光に照らされた人影がうつる。


「圭吾です。うちは和室しかなくて。過ごしにくくて、申し訳ありません」


口調が若干砕けているのは、自宅に戻った安堵からか。

その言葉に、アウリスはクスリと笑みをもらした。


「貴殿は、ずっと謝ってばかりだな。謝るのが趣味なのか?」


アウリスも身を落ち着けて、幾分気持ちが緩んでいたのだろうか。そんな率直な言葉がアウリスの口からついて出た。

アウリスの軽口に、障子越しの圭吾は意表を突かれた様子だった。しばらく間が空いて、圭吾から言葉が返ってくる。


「すみません。ホテルのCEOも他の何もかも……まだ、あまり慣れてなくて。もし不手際でもあったらどうしようって、心配で」


圭吾の何とも情けない頼りなげな言葉に、アウリスは思わず声を出して笑った。


「そんなに緊張せずともいいものを。私も、少し肩肘はりすぎていた。やはり、言葉も文化も違う異国にくるというのは、大変なものだな。にしても、先ほどの和服の女性は貴殿の細君か。いかにも日本的で美しい方だな」


「まぁ……そんなようなもんです」


それについては、なぜか圭吾の言葉の歯切れは悪かった。


「今日は、俺、隣の部屋に一晩中いますんで。気にせず、お休みなってください。お疲れでしょう」


「……そうだな。布団というやつを、一つ堪能してみようか。ただ、人の気配はするのに姿が見えないというのも、何とも落ち着かない。見張りたいなら、入ってきたらどうだ」


「……いいんですか?」


「……ああ、構わんさ。私も、今日は色々なことがありすぎて。まだ神経が高ぶってしまって寝入る気になれんしな。しばし、話し相手にでもなってもらえるとありがたいのだが」


アウリスの許可を得て、すっと圭吾が障子を開けると中に入ってきた。そして、隅に腰を下ろす。


「これだけ警備のものがいるんだ。この障子とやらの向こうにも何人もいる。貴殿は、気にせず自室で休めばいいものを」


「すみません。性分…みたいなもんです。自分の手で万全を尽くしておかないと、安心できないんです」


アウリスはくすくすと笑った。


「貴殿も、沢山の人間を動かす立場にあるのだろう。少しは他人任せにする癖をつけないと、そのうち抱え込みすぎて倒れてしまうぞ」


夕方出会ったばかりの一国の王子様に説教されていることに、なんだか妙な面白さを感じながら、ええ、そうなんですけどね……と圭吾は、苦笑交じりに頷くしかなかった。


考えてみたら、1年前に家を継いでから、会社を継いでから。今まで、がむしゃらにやってきた。まだ、どこまで自分でやって、どこからを周りの人間に任せればいいのか判別がつかず、自分で抱え込みすぎているような気もする。

と、自分の考えに耽りそうになったもののアウリスの視線に気づいて、アウリスの方に意識を戻す。


そういえば。


「そういえば……王子。王子って………女性、ですよね?」


突然の圭吾のその言葉に、完全に虚を突かれたアウリスは、息をのんだまましばらく声を出せなかった。


「な……なぜ……、そんなこと……」


まったく、想定だにしていなかった、その質問に。肯定することも、否定することもできず。

アウリスは、ただそう返すのが精いっぱいだった。


今の会話、誰かに聞かれただろうか。

いや……今、隣の部屋に詰めているのは、私の最も近い側近ばかりだ。でも、日本側の警備のものには聞かれてしまっただろうか……。

否定、しなければ。


「そんなわけ、あるはずないだろう。私は、男だ」


ようやく、肺の中の息を押し出すようにして、そう言葉を絞り出した。

え、でも……と、まだ納得いかない様子の圭吾の傍に行き、首根っこを掴んで自分の顔の近くまで引き倒した。


「それ以上、言うな」


言葉を絞り出すように、小声で圭吾に迫る。

されるがままになっていた圭吾は、なんだかとても大変なことを口走ってしまったと今になって気付いたらしい。

ここでの会話は、外部に聞こえている可能性があることを、圭吾もようやく思い出したらしい。


「す、すみませんっ。失礼なこと言っちゃって。そんなこと、あるわけ。ないですよね……ハハ」


「そうだ。当たり前だろう」


はぁ、と大きく息を吐きだして、ようやくアウリスは圭吾の首根っこを離した。

が。すぐにもう一度圭吾の首を掴んで、先ほどよりも近くに寄せると、圭吾にだけ聞こえるように小声で囁く。


「……お前は。なぜ気付いた。私が女だってこと」


「えっ?」


あ、やっぱりそうなのか……と自分の感じたものが正しかったことに、圭吾は確信を持った。


「匂いです。女性特有の匂い。俺、他人より遥かに嗅覚とか五感とか鋭いらしくて、そういうのすれ違っただけでもすぐ気づくんです」

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