守りたいモノ3
数分後、次第に揺れは治まってくる。
完全に揺れが収まるまで待って、さらに数分。二人はそのまま動かないでいた。一応揺れは落ち着いたが、いつまた余震があるとも限らない。
圭吾はすぐに握っていた携帯で、あちこちに電話をかけてホテルのものや外部との連絡を取り始めた。
日本語だったので、アウリスには圭吾が何を話しているのか、まったく分からなかったかもしれない。ただ、緊急事態であることは重々わかっていたので、圭吾の邪魔にならないように何も発さずテーブルの下に身を隠したままでいた。
アウリスは態勢が辛くなってきて身じろぎしたため、圭吾はまだアウリスの腕を握ったままだったことに気付いて慌てて手を放した。
強く握られた指の跡が、アウリスの白い腕に残っている。
咄嗟に強く握りすぎていたことに気付いた圭吾は、指示を飛ばしていた携帯から耳を離すと、申し訳なさそうに言う。
「申し訳ありません。つい……」
だが、アウリスは非を咎めることもなく。ゆっくりと首を横に振った。
「……今のは、なんだったのだ」
こんな事態だというのに、アウリスの声は酷く落ち着いていた。
「地震です。震度6弱の地震が、関東を襲いました。ここは地上50階ですので、実際の震度以上の揺れが襲ったものと思われます」
「……この建物は、大丈夫なのか?」
アウリスの落ち着いた様子に内心安心しつつ。圭吾は努めて笑顔でアウリスに応えた。異国で災害に巻き込まれて、不安でないはずがないと思ったからだ。
「はい。震度7まで耐えられるように設計されてありますので、ご心配ありません。ただ、次またいつ大きな余震がこないとも限りませんから、一旦、外に避難していただきます」
ご不便おかけして、申し訳ありません。という圭吾の言葉に、アウリスは再度、首を横に振る。
「災害は時も場所も選ばぬ。貴方は、あまり動揺した様子はないが、この国はこういった地震は多いのか?」
アウリスにマジマジと見つめられて、初めて圭吾はアウリスと間近で目を合わせた。先ほど、エントランスで出迎え時も、綺麗な顔立ちの人だなとは思っていたが。近くで見ると、まるで精工につくられた陶磁器の人形のようだと思うほど、その肌は白く澄んで、美しい顔立ちだった。
「はい。この国は、いくつもの大陸プレートが重なり合う上にできた島国です。そのため、10数年に一度は大地震が、数年に一度は今のような中規模の地震が起きます」
アウリスの目が驚いたように見開いた。
「今ので……中規模だというのか」
そのとき。館内放送で、避難を呼びかけるアナウンスが流れてきた。エレベーターは不通となっているため、階段を使用するように。落ち着いて行動するようにとのアナウンスが、繰り返し流れる。
「さあ。私たちも行きましょう」
床には色々なものが散乱しているらしく、足元は危うい。テーブルの下から出て、圭吾がアウリスに手を伸ばす。重ねられたアウリスの手を、柔らかく握る。今度は、強く力を入れすぎてしまわないように気を付けながら。
その頃には、アウリスのお付きの者たちや警備のものたちも周りに集まってきていた。
皆で、普段は職員だけが移動に利用している非常階段を降り始める。
停電はまだ復旧の兆しをみせない。階段は、停電時に自家発電による補助灯に切り替わるシステムになっているのだが、踊り場につけられた補助灯のぼんやりとした灯りのみでは、足元は暗い。
「気を付けてください。ゆっくりで大丈夫ですから」
圭吾に先導され、手を引かれてアウリスはゆっくりと足を進めた。
ここは最上階のため上から降りてくるものは彼ら一行の他にはなかった。代わりに階段の下の方からは一般客が降りているのだろう人のざわめきのようなものが反響しながら登ってくる。
永遠とも思われるほど長い階段を下りおり、一行は裏口からホテルの庭園に出た。
庭園には、既に大部分の宿泊客たちが避難してきていた。
圭吾は庭園の一角にあるベンチにアウリスを座らせると、手を握ったままアウリスの前にひざまづいて彼を見上げる。なんとなく、立ったまま見下ろして話すのは失礼な気がしたからだ。
「今、警備を再構築します。今後の宿泊先も、安全面を最大限に考慮しながら探してまいります。もうしばらく、ご不便おかけしますが、お待ちください」
そう言って、圭吾はアウリスに安心させるように微笑みかけた。アウリスも、やはりさすがにどこか強張った表情をしていたが、圭吾の笑みにふと気を緩めたように、微笑する。
「私たちのことは、後回しで構いません。自分たちでもなんとかできます。それよりも、他の宿泊客の方々のことを、してあげてください」
アウリスの口から自然とそんな言葉が口をついて出た。圭吾はアウリスの言葉に、一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに笑みに戻ると。
「ありがとうございます」
と一言いって、立ち上がる。圭吾が去ると、すぐにホテルの者が傍に来て、アウリスに毛布を手渡した。
ホテルを見上げる。あれほど、煌びやかな光の塔のように灯りを灯していたタワーホテルは、今は完全な闇に沈んでいる。
いや、……アウリスは庭園の外にも目を向ける。そこから見える他の建物もすべて、灯りが消えていた。辺りは、わずかな補助灯と懐中電灯などの心もとない灯り以外は、闇に覆われていた。
関東近海を震源地とする、関東一帯を襲った最大震度6弱の地震。
地震の影響は、鉄道やライフラインにも及んでいた。
広範囲に渡っての停電と断水。
復旧には数日を要すると思われた。
アウリスは、再び庭園の中に目を戻す。
正直、驚いた。これだけの地震。あれだけの揺れに晒されながら。
人々に、動揺した様子がほとんど見られなかったからだ。
ホテルから与えられる食べ物や飲み物を奪い合う様子も見られない。小さな子供すら、落ち着いて行動しているようにみえた。
これだけ高層のビルが多く建っているにもかかわらず、周りのビルに倒壊している様子も見られない。
圭吾は震度7までは耐えられる設計になっていると言っていた。
つまり、この程度の地震は、想定の範囲内なのだ。圭吾のような人間にとっても、市井の人間にとっても。
この国は、いくつもの大陸プレートが重なり合う上にできた島国です。そのため、10数年に一度は大地震が、数年に一度は今のような中規模の地震が起きます。
先ほどの、圭吾の言葉が思い起こされる。
なんということなのだろう。一時は世界第二位の経済大国にまでなったこの国は、そんな脆く不安定な基盤の上に建っていたのだ。
それを、ここまでの大国にした。一体、そこにどれほど弛まぬ努力があったのだろうか。
国としての。一人一人の。
一歩一歩の積み重ねが、今のこの国を作ってきたのだろう。
(私の国も。いつか……。)
いつか。
そのためには………。
アウリスが、内から湧き上がる強い思いを噛みしめるようにその引き締まった唇を噛む。ふいに、目の前の人影に気が付いて顔を上げた。
圭吾だった。
先ほど見た時よりも、多少疲れ顔ではある。
きっと、ここに避難してきてからずっと休みなく働き続けてきたのだろう。
しかし圭吾は、アウリスの顔を見ると湧き上がるような安堵したような表情で顔を綻ばせた。
情報収集と傘下の企業の安否確認、外務省や警察庁とのアウリス受け入れ態勢の再構築についての相談を終えて、圭吾が再びアウリスの元に戻ってきたのは、アウリスが庭園に降りてから数時間経ったあとだった。
「アウリス様。長らく、こんなところにお待たせしてしまって、申し訳ありませんでした。移動の準備が整いましたので、こちらへ」
「……移動? どこへ?」
毛布を横に置くと、アウリスは立ち上がる。長らく座っていたため、強張ってしまった足を軽く伸ばす。
「私の本宅へ。関東は、まだしばらく余震の可能性があります。ライフラインも交通も止まっていますので、十分なおもてなしができません。私の本宅は、京都にありますので、ここよりは安全かと。関係各所にもすでに了解をもらって、移動の準備を進めています」
「さきほど交通が止まっていると言っていたが、どうやってそこまで?」
アウリスにも、訪問国である日本の大まかな地理ぐらい頭に入っている。京都は、古い都のあった場所の名前だ。たしか、首都のある東京からはかなりな距離があったはずだが。
「御心配にはおよびません」
にっこりとほほ笑む圭吾の背後から、眩いサーチライトが降りてくる。
屋上に待機していたヘリが、庭園の空きスペースに降りてきたのだった。
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