呪いの日本人形 第八話


 窓ガラスは黒く染まり、いつしか日もとっぷりと暮れてしまっている。

 この町には大した宿泊施設もないので、泊まっていくといいという彼女の言葉に甘えて、イザは一晩その家で世話になることにした。

 

 夕飯を貰って、あてがわれた和室の布団の上に転がった。

 天井を眺めながら、改めて思う。

 この家の、不気味なまでの静けさ。

 高校生の娘さんがいると言っていた。ほとんど、自分の娘と同じ年頃だ。

 残されたのは親一人と、子ども一人。でも、娘さんは母親を置いて出て行った。

 娘さんが去ったのは、いずれ継がなければならないあの人形たちが故だったのか。

 それとも陰鬱ともいえるこの家の空気が嫌だったのか。


(俺も、明日の朝にはこの家を発とう)


 さすがに、あの人形も本来の家に帰ってきたんだ。もう自分についてくる、ということもないだろう。

 目を閉じて眠りにつこうとした、そのとき。

 何やら燻したような臭いが、イザの鼻腔を掠めた。

 じりっと背中が焼けつくような嫌な感じを覚えて、半身を起こす。


 なんの臭いだ……?


 耳をそばだてる。パチパチと何かがはぜるような音がしたような気がした。

 すぐに立ち上がって、障子を手で弾くように勢いよく開けた。

 廊下に出てすぐに目についたのは、大きく赤い何か。

 すぐに、見当がついた。

 火だ。大きな焔が見えた。まるで屋敷に迫りのみ込もうとせんばかりの、立ち上がり燃え上がる大きな炎。

 火の見える方に向かって、廊下を駆け出す。


(彼女は……?)


 火の手の方へ駆けながら、横目で屋敷の中に彼女の姿を探す。

 しかし、室内に明かりはついているものの、彼女の気配はどこにも感じられない。


(まさか……)


 靴に適当に足を突っ込んで、玄関を出た。

 そこで、ようやく何が燃えていたのか、イザの目にも明らかになった。

 あの日本人形たちを飾っていた平屋が、炎に包まれていた。


 一瞬あっけに取られて炎を見入ってしまいそうになるが、すぐに我に返って消防に連絡をしようとスマホを刺してあった尻ポケットに手をやる。が、そのまま、イザは固まった。

 大きく開かれた、燃える平屋の引き戸。

 その奥に、薄緑の何かを見たような気がしたからだ。


(あれは……)


 着物だと思った。あの女の着ていた。

 イザは燃え盛る平屋の戸口に取つくと、中に向かって大声を張り上げた。


「そこにいるのか!? 燃え落ちるぞ、逃げろ!!」


 既に壁にも天井にも火は回っている。

 舞う火の粉を腕で遮りながら戸口の中を覗くと、女が部屋の奥に座り込む後姿が見えた。女の前には、あの人形たちが今も整然と並べられている。

 不思議なことに、これだけ火が回っていながらあの人形たちの置いてある壁際だけ、朱一色の中にぼっかりと黒い穴があいたように、火が届いていなかった。

 まるで、焔が弾かれでもしているように。

 とはいえ、このままではいつ天井が燃え落ちないとも限らない。

 イザは意を決して平屋の中に飛び込む。幸い、まだ床にまでは大して火が届いていない。

 火の粉を避けながら女の元に行くと、イザは力強く女の手を引いた。


「逃げろって!!」


 まったく動こうとしない女の様子に苛立ちさえ覚えながら、女の手をもう一度強く引いて逃げろと叫んだ。

 しかし、呆然と我を失ってしまっている彼女に、目立った反応は見られない。

 イザは小さく舌打ちをすると、女の片腕を無理やり自分の肩に回させると、彼女の体ごと立ち上がって、そのまま戸口へと向かった。歩く意志すらない彼女の足が擦れて縺れるが、お構いなしに力づくで戸口の外へと連れだした。

 外に女を置いたあと、一度イザは平屋の中を振り返る。

 人形たちは、依然として髪一本、着物のわずかな端すら燃えることなく、まるでこちらを見つめるように立ち尽くしていた。




 その後、火に気付いて駆け付けた近所の消防団と、イザが呼んだ消防隊とが協力して平屋の消火にあたり、小一時間も経たないうちに火は完全に鎮火した。

 いまだ女は地面に座り込んだまま呆然としているため、代わりにイザが消防団と消防隊に礼を言って、仕事を終えて立ち去る彼らを見送る。


「はぁ……」


 軽い疲労感で、イザは小さく息を漏らすと、消防車を入れるために開いたままだった表門を閉じた。

 やれやれと一服しようかと思い煙草を手に持つが、もう火はしばらくうんざりだという気持ちも沸いて、結局吸わずにくしゃりとポケットにねじ込んだ。

 そして、彼女の元まで歩いて行くと、未だ座り込んだままの彼女の横にしゃがみ込んだ。


「……あんたが、火をつけたんだろ?」


 イザの問いに、女からの返答はない。ただ、真っ白な能面のような面で、今は黒く焼け落ちた平屋に視線を置いたままだ。

 もう一度イザはため息をつくとゆっくり立ち上がり、平屋の裏だった場所まで回る。

 そこは丁度、人形たちを置いていた壁際の裏に当たる。

 黒く炭化した木材はまだ熱を持っていたが、イザは足で真っ黒く焦げた壁板を蹴り剥がす。がすっがすっと何度か蹴ると、脆くなっていた壁板は後ろに力なく倒れた。

 さらに被った煤を足で退けると。

 ほどなくして、それらは出てきた。あの日本人形たちだ。

 その一体をイザは手に取る。煤に汚れて黒ずんではいるが、燃えた気配は一切なかった。


 それを女の前まで持っていくと、女の目の前に差し出した。

 呆けた眼をしていた彼女だったが、目の前に差し出された人形に焦点があうと。両手でがっしりと人形を掴むと、震える手で人形の頬につく煤を掃った。

 そして。彼女にも、分かったのだろう。人形がまったく燃えていないことに。

 次の瞬間、女は地面に突っ伏して、声を上げて泣き出した。




 もうこれは自分の手に負えるものじゃないなと判断して、イザは圭吾に架電する。

 圭吾のいる場所は日本との時差は一時間程度らしく、寝ているところを起こしてしまったのだろう若干寝ぼけた声をしていたが、不平を言うでもなくイザの話を聞いてくれた。


 一通り話を聞いた後、近所に来てもらえる寺社仏閣はないかと圭吾は聞く。イザが、今は泣き尽くしたのか放心したようになっている女に聞いてはみるものの、彼女はぶんぶんと首を横にふり、近隣の思いつく寺社仏閣は全て以前に問い合わせをしたが手に負えないと断られたのだという絶望的な答えが返ってくるだけだった。


『そっかぁ……そりゃ、ほんまに大変な事態やなぁ』


 圭吾はしばらく思案したようだったが、


『わかった。そんなら、俺の知ってる神職に頼んでみる。ただ、この時間やと絶対寝とるはずやから、明日連絡してみるわ。だから、今日はもう休め』


「……ああ、わかった」


 そう言って、一旦電話を切る。

 今、何時だろうとイザは腕時計を見ると、もう夜中の3時を回っていた。

 正直、疲れた。考えてみたら、昨晩も明け方まで仕事をしていて、今朝はできるだけ早くこっちに来たかったので仮眠程度しかしてこなかったのだ。

 そろそろ眠気で思考がまとまらなくなってきてる気がする。

 イザはぼんやりと座り込んでいる彼女の前でしゃがんで。


「明日になったら、たぶん何とかなるから。今夜はもう……寝た方がいい」


 と言ってみるものの、女からは何の返答もない。

 仕方がない、と、イザは立ち上がると共に女も無理やり立たせると、そのまま彼女の手を引いて屋敷へと戻って行った。

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