遺念火

 幾度も角を曲がり、辿り着いたそこには。

 燃え盛る、一人の女性の姿があった。

紗枝さえ! 紗枝!」

 隣では男性が半狂乱になって騒いでいる。

「もう一体いたのか」

 センは二人に走りよると、当身をくらわせた。

 二人は物も言わずに倒れる。

「セン!?」

「妖怪を喰う我の姿を見られるわけにはいかぬからな」

 炎は倒れた女性の身体から離れる。女性の身体には火傷一つ残っていない。

水剋火すいこくか!」

 とっさにゆかりは叫ぶ。

 だがその場には何も生じず、ただしんと静まり返っていた。

 その間にも炎は揺らめいて近づき、今度はゆかりに燃え移った。

「ああ!」

 思わず身をよじるゆかり。

「娘!」

 すかさずセンの髪から水流が生まれ、ゆかりを包み込む。

 またたく間に、炎は消し止められた。

 燃え残った炎は、ゆかりから離れ、ふらりと漂い始める。

「逃すか!」

 センは後を追い、炎を捕まえると、ばくりとかぶりついた。

 そのまま、ぺろっと食べてしまう。

 あたりには静寂が戻った。

「娘。そのものらは」

「あ、うん……。大丈夫、気絶してるだけで、怪我とかはないみたいだよ」

「そうか」

 センはほのかに笑みをうかべた。

「今回もまた、五行の力、使えなかった……」

「大事無かったのだ。問題なかろう」

「それは、そうだけど……」

 落ち込むゆかりに、センは、ぽんと頭の上に手をあてた。

「使うべきときには使えるようになるであろ。あまり気に病むな」

「セン……」

 その仕草と言葉に、ゆかりはまたどきりとする。

(セン、なんか最近優しいよ。そんな風にされると、不思議な気分だ)

 ゆかりは動揺する心を静めて、センの手に身をまかせていた。

「む」

「あ……」

 そのとき、ゆかりたちの前に、人影が立ち上った。

 薄く透き通った二人の人影は、和服を着ていた。どうも時代がかって見えるというか、現代に生きる人ではない様子だ。

 仲むつまじく、寄り添っている。

「あの、あなた方は……」

 ゆかりが声をかけると。

「妖狐殿。貴殿のおかげで拙者らは再び見えることができた。感謝する」

「あなた様のおかげで、この方と再会することができました……。感謝申し上げます」

 二人は、深々と頭を下げる。

「そなたら、遺念火いねんびか」

「いかにも、さようでございます」

「えっ、遺念火って……、さっきの火の玉のこと?」

「はい。半身とも言うべきこの方を見失い、迷った挙句に、邪気を帯びてしまったようです。親しげに歩く恋人同士が憎くてたまらなくなり――」

「気付けば襲ってしまっておった。恐ろしいことだ。怪我を負わせなかったのが何よりの救い。だが、ひどく驚かせてしまったことだろう。罪深いことだ」

「私たちは、心中して命をおとした霊です。来世でも一緒と固く誓って身を投げましたが……、成仏することができず、こうしてさまよっておりました。あげくに、添い遂げることを約束したこの方とも離れ離れになり……」

「互いに迷っていたところを、妖狐殿に捕獲していただいた。おかげで邪気からも解放され、こうして再び彼女と出会うことができた。改めて御礼申し上げます」

 再び、遺念火は二人で頭を下げる。

「……ふん。我は食事をしたのみだ」

「それでも。妖狐殿のおかげで未練も、負の念も、拙者らから切り離されました。拙者らはもう自由の身。心置きなく、成仏することができます」

「二人で一緒に天に昇ることができる。自ら命を絶ったこの身では、天国への扉は開かれぬでしょうが……、この方と一緒なら、それがどこでも、悔いはありませぬ」

 ぽう、と二人は足元から光、次第に消え始めた。

「拙者ら二人、裁きを受けます。そして、来世こそ一緒に……」

「妖狐様、ありがとうございました」

 そうして二人は、抱き合ったまま消えていった。

「二人は、天に昇ったんだね……」

「そうだな」

「心中って、一体どうして」

「前世では、報われぬ恋だったのであろ」

「恋のために、命をかける、かあ……」

 ゆかりはため息をつく。

「私はまだそんな恋をしたことがないから、わかんないや。そんなに強い想いって、あるものなのかな」

「我は人の恋愛感情など知らぬ」

「そうだよね……。でも、あの二人、幸せそうでよかったね」

「……ふん」

「私もいつか、そんな恋をすることがあるのかな」

「あるのではないか? 主の年齢なら、充分発情期の範囲内であろう」

「はつじょ……! そ、そんな言い方、しないでよ!」

「? 何を怒る」

「もう! センは人間の言葉をもう少し学ぶべきだね」

 こうして、火の玉の一件は落着した。

 センとゆかりは家路をたどる。


***


「はよー」

「うす。おはよ、貴志」

「あれ? 今日広樹休み?」

「ああ」

「珍しいな。いっつも元気なあいつが」

「そうなんだよ。それがさ、何か妙っていうか、気持ち悪い話で……」

 貴志が登校すると、友人の洋和が伝え聞いた話を語ってくれた。

「昨日広樹が学校から帰ってると、なんか空にひらひら白いもんが浮いてたんだってよ。最初は洗濯物でも飛んできたのかなーなんて見てたんだが、いつまでも落ちる様子がねえ。そのうち、こっちに近づいてくる。見れば、長方形の細長い布だったと。それが、急にかぶさってきたと見るや、広樹の首に巻き憑いてきて――」

「首に? おいおい」

「いや、まあ、大事はなかったらしいんだ。たまたまそこに人が通りがかって、二人がかりで布を引き剥がしたら、なんとかはがれて、それでまたふわふわどこかに飛んで言ったって」

「物騒な話じゃねーか」

「物騒だし。不思議だよな。布がひとりでに首を絞める? なんだそりゃ。でも、大事をとって広樹は今日は休みだとさ」

「そっか……」

 不思議な話。たしかに、普通の人が聞けばそれだけのことだろう。

 だが貴志は、そんなことをやりそうなものの存在を知っていた。

 ――妖怪。

「また、なんか暴れてんのかよ」

「? 貴志、何か言ったか?」

「なんでもねー」


「っつーわけで。センを貸してくれねえか」

「貸すのはいいけど……。首を絞める妖怪だなんて、危ないんじゃない?」

 ゆかりは以前のことを思い出していた。最初に出会った妖怪――溢鬼いつき

 あのときの恐怖をゆかりは忘れてはいない。

「貴志になにかあったら……」

「そんなの、姉ちゃんこそ、いつものことだろ。自分はぽんぽん首突っ込むくせに」

「う、まあ、そうだけど」

「センがいるから大丈夫だって。な、だからセンを貸してくれよ」

「……うん。なら、いいよ。――セン、貴志と一緒に行ってくれる?」

「妖怪がいるというならかまわぬ」

「サンキュ。それじゃ、行こうぜ、セン」

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