変化

 だが、かけられた手は次の瞬間、吹っ飛ばされた。

 いや、正確にいうなら、貴志の上に乗っていた化け猫の身体ごと、吹っ飛ばされた。

 押しのけられ、跳んで、ごろごろと廃墟をころがる。

「な……なんだ?」

 貴志はあっけにとられて上半身を起こした。

 きょろきょろとあたりを見やる。

 そこには。

「そういうわけにも、いかぬのでな」

 いつの間に現れたのだろう、10歳ほどの少年が、貴志の傍らにたたずんでいた。

 驚くほどの美貌の少年である。新雪のように煌く純白の髪の毛、黄金に輝く瞳。

 少年は上げていた片足を下ろすと(おそらくその足で化け猫を蹴っ飛ばしたのであろう)、化け猫に素早くかけよった。

「にゃ……お前、にゃんにゃ!」

「我は仙狐ぞ」

 がぶりと、少年は化け猫にかぶりつく。

「う、うにゃあああ!」

 抵抗する化け猫を押さえつけ、ぱくぱくと、黙々と、淡々と、少年は咀嚼する。

 一噛みごとに、化け猫の身体は消えてなくなっていった。

「にゃあ……あ……」

 最後に残った尻尾がはためくのをぱくりと平らげて、少年は立ち上がる。

 しんと静まり返った廃墟には、少年と貴志だけが残された。

「……無事か、弟よ」

 涼やかな声で、少年は喋る。

 貴志は呆気にとられて少年を見つめていた。

「その声……お前、センか!?」

「いかにも」

 少年は貴志に歩み寄ると、手を差し出した。立ち上がるのに、手を貸してやる。

「なんだよ……その姿。どうしたんだ?」

「尾を一本取り戻したのでな。変化の術が使えるようになった。あの猫が相手では、獣の身体は小さく使い勝手が悪い。それゆえ、人型の形態をとったのだ」

「人型って……。そんなこともできるのか……」

「大したことではない」

 変化したセンをまじまじと見る。見蕩みとれるほど、彫像のように整った容貌だった。

「……ありがとう。助けてくれて」

「主を助けたわけではない。無礼な猫を調伏ちょうぶくしたまでのこと」

「……ははっ」

 貴志は思わず笑った。センの素直でない性格が、少しばかり分かった気がしたのだ。

「……あれ? そういえば、猫たちがいねー?」

 廃墟の中には、どうしたことか、あれだけ群れあふれていた猫たちが、一匹たりとも見当たらなくなっていた。

「ああ、あれは、妖術だ」

「妖術?」

「人間をおびき寄せるために、あの化け猫が仕組んでいたのだろう。幻術だ。本物の猫ではないよ。妖気を感じたので言おうとしたのだがな。主に止められた」

「ああ、そっか、あんとき……。それは、悪かった」

 ぐるりとあたりを見回す。

「……でも、そっか。野良猫はいなかったんだ。よかった」

「何を喜ぶ」

「だって、あんなにたくさん野良がいたんじゃ、俺にはどうすることもできないからさ。かわいそーじゃん」

「……ふ。お人よしは姉譲りか」

「別に、そんなんじゃねーけどよ」

 そんな話をしていると、ゆらりと何者かの姿が立ち上った。

 貴志が警戒姿勢をとる。そこにあらわれたのは頭に猫耳を生やした、20歳ほどの女性であった。

「うにゃ~。さっきは申し訳なかったのにゃ」

 ぺこりと頭を下げる。

「お前……さっきの化け猫!?」

 貴志はぎょっとする。なにせ、食べられかけたのだ。無防備ではいられない。

「そのように警戒せずとも、もはや邪気はない」

 センがとりなす。

「迷惑かけてごめんにゃ。もうしにゃいから、今度は一緒に遊んでくれるとうれしいにゃ」

 それじゃあにゃ、といって、化け猫は姿を消した。

「……お前にくわれて、いい妖怪になったってことか?」

「まあ、そんなようなものだ」

「はあ……。野良猫もいなくなって、化け猫も無害になって、これで一件落着ってことか?」

「それでよいのではないか」

「ああ、もー。野良猫を見に来ただけなのに、えらいめにあった」

「つくづく、妖怪に縁があるきょうだいよな」

「好きでやってるわけじゃねーや」

 貴志とセンは、帰宅の途についた。

 センは人型だと目立つので、小型になってもらって、鞄に入れた。


「ただいま」

「お帰り。遅かったのね」

「ああ、ちょっとな……。帰り道で」

 貴志はゆかりに、今日の出来事を話した。

「え!? センが人型に? 見たい見たい! 見せて!」

「はあ!? ちょ、食いつくのはそこかよ」

「あんたは無事だったからいいわ。それより、ねえ、セン。私にも見せてよ、人型になったとこ!」

「別に、かまわぬが」

 またたく間に、センは少年の姿へと変わった。

「! うわあ~~綺麗! すっごい可愛い!」

 ぎゅうっと、ゆかりはセンを抱きしめた。

「おい、妖狐にそんな気安く触るなよ」

 焦ったのは貴志だ。

 センは微動だにしない。

「可愛いとはなんだ。我は仙狐ぞ」

「だって可愛いんだもん。うわあ、まつげながーい。肌つるつる! 髪さらさら! ねえねえ、なんで子供の姿なの? 声の雰囲気からは、センは青年だと思ってたんだけど……」

「尾が一本しか解放されておらぬからな。あまり大きな姿はとれぬ。今はこの姿が精一杯だ」

「へえ……じゃあ、封印が解けていくと、だんだん成長していくってこと?」

「そうじゃ」

「うわあ、楽しみだなあ! 成長したらどんな風になるんだろう。きっとすっごい美人だよね!」

「人の美醜はしらぬ」

「姉ちゃんのその物怖じしなさっぷりには尊敬するよ……」

 散々センの人型を愛でて、ゆかりはようやく満足したようだった。


 二人で食卓について、貴志が用意した照り焼きチキンとサラダを食べる。

「そういえばな」

「? セン、どうしたの?」

 思い出したように、センが口を開いた。

「猫がいた廃墟だが……、あそこには、まだ何かいるぞ」

「何かって……なんだよ」

「それは分からぬ。だが、猫のものではない妖気を感じた」

「げえ……それじゃ、まだ他の妖怪がいるってことか?」

「おそらく」

「じゃあ次は、その妖怪を食べにいくんだね」

 当たり前のようにいったゆかりに、貴志はぎょっとした。

「姉ちゃん、まさかその妖怪のところに行く気かよ」

「もちろん。どうして? センの封印を解くためには、妖怪をどんどん食べなきゃいけないんだから。場所がわかってるなら、ちょうどいいでしょう?」

「俺は反対だからな」

 だん、と箸をおく。

「今日だって、何事もなかったからよかったものの、俺だって化け猫に襲われたんだ。何があるかわかんねーんだぜ」

「大丈夫よ、センが助けてくれるから」

「そうとはかぎんねーだろ!」

「じゃあどうするの? 害をなすかもしれない妖怪をほうっておくの?」

「……それは……」

 ぐっとつまると、貴志は、一口食事をした。

 飲み込んでから、言う。

「だから、俺が行くよ」

「ええ、また貴志が行くの?」

「姉ちゃんにあぶねーことさせらんねえよ。俺とセンが行く」

「ほんとに……心配性なんだから」

「いーだろ、別に」

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