化け猫
翌日の朝、センは小さく変化し、貴志の鞄にもぐりこんだ。
「ちょっと狭いかもしれねーけど、我慢してくれよな」
「問題ない」
「んじゃ、いってきまーす」
「いってらっしゃい、気をつけてね」
ゆかりは気がかりそうに貴志とセンを見ていたが、やがて手を振って送り出した。
初めての貴志とセンの同行が始まった。
「はよー」
「うす、貴志。はよー」
教室に着くと、友人の洋和がよってきた。
「なあなあ、お前んちって確か、猫飼ってたよな?」
「あ? 飼ってるけど……。どうしたんだ、急に?」
「実は近所に野良猫がいるみたいなんだよ。お前、もらってやってくれねえ?」
「また、そういう話か……」
貴志はため息をついた。木城家は、やたらと野良犬野良猫のたぐいに縁がある。今までも、こうした相談は何度も受けてきた。
「悪いけど、うちにはもうチビもライもいる。これ以上飼うつもりはねーよ」
「えーでもさ。すげえいっぱいいるっぽいんだぜ。かわいそうじゃねえ?」
「いっぱいいる?」
聞き流しながら貴志は自分の席に着いたが、聞き返した。
「そう。近所に、ぼろ屋敷……っつーか、廃屋があるんだけどよ。どうやらそこに、猫が住み着いてるみたいなんだ。夜になるとにゃーにゃー鳴くんだよ。それもたくさん」
「そんなにいるんじゃ、それこそ俺の手には負えねーよ」
「だけどさ、このままじゃ保健所送りだぜー。それはかわいそうじゃねえ?」
「そりゃ、まあ、なあ……」
貴志は頭をかく。
(こういうとき、姉ちゃんだったら絶対引き取ろうとするんだろうなー。昔っからそうだったもんな)
自分に責任のある話ではなし、放っておけばよいのだが、知れば放っておかないであろう姉の表情がちらついて、無下にできない。
「……わかったよ。帰りにちょっとのぞいてみるから。どの辺にいるか教えてくれ」
「お、さすが貴志。頼りになるなあ!」
「勝手なこと言ってんなよ」
「っつーわけで、来てみたんだが……」
貴志は一人ごちる。
「想像以上の廃屋だな、こりゃあ……」
庭には雑草が生え放題。ふすまや障子は破れ、外れている。家を支える柱ですら傾き、ぼろ屋敷は倒壊寸前だった。
「こんなところに住んでたんじゃあ、猫たちもあぶねえぞ」
ぼやきながら、廃屋に近付いていく。
かすかに、猫の鳴き声が聞こえた。
「こん中にいるのか。……確かに、たくさん声がするな……」
にーにー、にゃあにゃあと、いくつもの鳴き声が廃屋の中からする。
「しゃあねえなあ。入ってみっか……」
恐る恐る、貴志は廃屋に足を踏み入れる。壊さないように、慎重に。
ふすまをどかすと、
「おわっ!」
「みゃあみゃあ」
途端に、わらわらと猫たちが湧いて出てきた。
半端ではない数である。
のぞきこむと、室内(?)も猫たちで埋め尽くされている。
10や20ではきかない。もっと多くの猫が、そこにいた。
「おいおい、こんなにいんのかよ。さすがにこれは、手に負えねえぞ。こんな数、どういようもねー」
貴志は呆然と立ち尽くした。
「ったく、どこからこんなに……」
「おい、弟よ」
「あん?」
突然、鞄の中からセンの声がした。
「弟よ、こいつらだが……」
「ちょ、待った。セン。外ではしゃべんなよ。ただでさえ猫の声でうるせーし。黙っててくれ」
「……」
センは何かいいたげに貴志を一瞥したが、口を閉じた。
「お兄ちゃん」
「!」
そのとき。
軽やかな女の子の声が響き、貴志はびくりと身体を震わせた。
「あ……」
いつの間にそこにいたのか、気がつけば貴志の横に、小学校低学年くらいの女の子が立っていた。
髪を二つに分けて結び、スカートをはいている。
「お兄ちゃんも、猫ちゃんたちのお世話をしにきたの?」
少女はにこにこと笑って問いかける。
貴志は驚いた心臓を撫で下ろして、話に応じた。
「あ、俺は、そういうわけじゃ……。って、俺も……ってことは、君も?」
「うん。私は、猫ちゃんたちにエサを上げに来たの。お腹すいちゃったら、かわいそうでしょう?」
「……そうだな」
少女は優しくそばにいた猫の背を撫でる。
猫は気持ちよさそうに喉を鳴らした。
「猫ちゃんたち、放って置かれてかわいそうだから、こうして遊びに来るの」
「きみ、一人で?」
「そうよ」
貴志は少女の良心に感銘を受けた。同時に、手に負えないとはなから対処を諦めていた自分を恥じた。
少女と同じように、座り込んで猫を可愛がる。
「えらいな……。でも、こんなところ、来たら危ないぜ」
「どうして?」
「この家、こんなボロボロだし。いつ倒れてくるかわかんないだろ」
「大丈夫よ。ずっと前からこうだもの」
「いや、だからってな……」
「それに」
突如視点がぐるりと回り、貴志は瞠目した。
「危ないのは、お兄ちゃんの方でしょう?」
「ぐっ……!」
どしゃっと、地面に顔を押し付けられる。何か柔らかくて重いものが、背中にのしかかってきた。
「お前――なんだ!?」
「うにゃおん」
地面に伏せたまま、できる限り背中を振り返ると、貴志の背中には目を疑うほど大きな猫が乗っていた。爪を立てて、貴志を地面に縫い付けている。
「お兄ちゃんは、私達のエサになるのにゃ」
その声を聞き、貴志は仰天した。
「さっきの女の子――きみは妖怪か!」
「そうだにゃん。化け猫とか呼ぶ奴もいるにゃん」
ぞろり、と首筋をなめられる。ぞくりと鳥肌がたった。
「――くそ、やめろ! 離せ!」
「無駄だにゃん。お兄ちゃんは完全に押さえつけたにゃん。もう身動き取れないにゃん」
貴志は全身でもがくが、拘束を解くことができない。
(嘘だろ……。俺、このまま襲われるのか?)
絶望がおそう。
「いっただっきまーす、にゃん」
猫の牙が貴志を捕らえようとした刹那。
どかっ!
「にゃん!?」
衝撃が加わり、化け猫の姿勢が崩れた。
咄嗟に抜け出ようとするものの、後わずかのところで、貴志は化け猫の片腕に押さえつけられた。
「にゃんだ……今の」
「弟から離れろ、猫よ」
化け猫に体当たりをくらわせ、ひらりと着地したセンは、淡々と言った。
「……にゃんだ。妖狐もどきかにゃ。そんなにがんじがらめに封印された、か弱い姿で何のようにゃ」
「妖狐もどき、だと」
ざわり、とセンの毛が逆立った。
「低級な化け猫ごときに、そのように呼ばれる筋合いはないわ!」
センが化け猫に襲い掛かる。
「うざいにゃ」
しかし、あっけなく猫の手に叩き落された。地面の上を滑り、くたりとセンは横たわる。
「セン!」
貴志は思わず叫んだ。
「人間が喰われるのを、そこで見ているといいにゃ」
今度こそ、猫の手が貴志にかかる。
貴志はぎゅっと目を閉じた。
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