一本目の尾

 そのとき。

「ゆかりっ!」

 突如声がして、ゆかりの手をがしりとつかむ者がいた。

 そのまま、川岸へとひっぱりあげる。

 ゆかりは髪の毛の隙間から顔をのぞかせると、驚きの声を上げた。

「絵美!?」

「ゆかり、大丈夫!?」

「絵美、どうしてこんなところに!」

「今日の話を聞いて……ゆかりが川へ行くんじゃないかと思ったから。案の定だったわ! 危ないことはしないでって言ったのに!」

 ゆかりを懸命に引っ張りながら絵美が叫ぶ。

「ご……ごめんなさい」

「何がどうなってるのかわからないけど、助けるわ! ……あっ!」

 ゆかりをつかむ絵美の腕に、しゅるりと髪の毛が巻き憑いた。

「二人目……お前も……くるか……」

 水面から女が顔を出し、にたりと笑う。

「誰が……行くもんですかっ……くっ!」

 抵抗するが、絵美の全身にも髪の毛はどんどん巻き憑いてくる。

「娘っ!」

 センは応戦するが、やはり髪の毛に殴り飛ばされる。

「やめて……」

 ゆかりは見ていた。

 センが何度も吹き飛ばされるのを。

 自分を助けに来た絵美が、髪の毛に襲われているのを。

「きゃあっ……!」

 髪の毛に覆われた絵美が倒れ付す。

「やめて……!」

 そのまま、川に引きずり込まれそうになった、そのとき。

「やめてえっ!!」

 突然、光が放たれた。

 かっと、一瞬あたりが明るくなる。

 そして。

「ぎゃあああ!」

 ざばりと、女が水中から姿を現した。

「な、なにを……した……」

 そのまま苦しむように、水面でのたうつ。

 すかさず、センが女に襲い掛かった。

 がぶりと、喉元に噛み付く。

「くっ……」

 そのままがぶがぶと、女はセンに食べられていった。

 全て食べ終わると、ゆかりと絵美に絡み付いていた大量の髪の毛は、すうっとかき消えていった。

「終、わった……?」

「今の、何だったの……?」

 ゆかりと絵美は、呆然と座り込む。

「娘。無事か」

 食事を終えたセンが、ゆかりに話しかける。

「あ、うん。セン。ありがとう。センこそ、あんなに跳ね飛ばされて、ボロボロになっちゃって……って、あ、あれ? 綺麗になってるね」

「妖力を喰ったからな。多少の怪我は回復した」

「狐が、喋った……?」

 それを呆然と見る絵美。

「……センのことを知る人がどんどん増えていくね」

「我は別にかまわぬが」

 ゆかりは苦笑すると、絵美にこれまでのことを話してあげた。


「邪気を食べる妖狐……ね。それで、ゆかりは妖怪の話を探していたってわけ」

「そういうこと」

 全てを聞き終えた絵美は、ため息をついた。

「……私も弟さんと同じで、ゆかりが協力するのには反対だわ」

「え? ど、どうして?」

「だって、危ないじゃない。今回も、あんな目になって、助かったからよかったものの、万一のときはどうなってたか……。妖怪を探すってことは、危険に自ら首を突っ込んでいくことになるでしょう? 私はゆかりに、そんな危ないことはしてほしくないわ」

「絵美……」

 友人の言葉に、ゆかりも口ごもる。

「あれ、そういえば……、今回は、何で助かったんだろう? さっきの光は、何……?」

「我には主から光が発されたように見えたがな」

「私から……?」

 ゆかりは自分の手をまじまじと見る。

(確かに、絵美が危ないって思って、どうしても絵美とセンを助けたいって思ったら……あんな光が出てた。でも、今までそんなことなかったのに。あれは一体なんだったの?)

「きゃっ!」

 急に絵美が叫び、ゆかりは何事かとそちらを見る。

 そこには、川辺に立つ濡れ女の姿があった。

 反射的に警戒するが、禍々しい気配はすっかり霧散していた。

 髪の毛は綺麗に整えられ、美しい顔もはっきりと見える。

 その顔は申し訳なさそうに微笑んでいた。

「娘さんがた、先ほどは、ご迷惑をかけてごめんなさいね。そちらの仙狐様のおかげで、正気に戻りました。今後は、二度と人を襲ったりしないわ。だから安心して、これからも仁和川に遊びに来てちょうだいね。それでは、また……」

 そう言って、濡れ女は水中に消えていった。

「本当に、邪気だけを食べるのね……」

 あっけにとられたように、絵美はその様子を見ていた。

「娘。喜べ」

「セン? どうしたの?」

 突然、センがゆかりに近寄り、誇らしげに顔をあげた。

「我に尾が戻った」

「え!? 本当!?」

「見よ」

 センが背後を見せると、確かにそこには一本の尾がふさふさと生えていた。

「三体の妖怪を喰ったからな。妖力が補給され、一本目の尾の封印が解けたのじゃろう。これで失われた我の力も幾分か戻った。礼を言うぞ」

「いえ、私こそ、助けてもらっちゃったから……」

「ゆかり。首を突っ込まなければ危ない目にも遭わなかったのを、忘れないで」

 それからしばらく絵美にはこんこんとお説教をされ、ようやく解放してもらえた。


「セン、ありがとう」

「? なんじゃ」

 帰り道で、ゆかりは礼を言う。

「濡れ女に襲われたとき。センは何度吹っ飛ばされても、私を助けにきてくれた。自分も傷ついていたのに。そのこと、お礼を言いたくて」

「ふん。知らぬな」

「またまた。私、ちゃんと見てたんだからね」

「……主は、我の食事探索に役立つ。使い勝手の良いものを、壊されるのが嫌であっただけのことよ」

 あくまでつんとしたセンに、ゆかりは笑みをこぼした。

「はいはい、わかったよ。それじゃ、そういうことにしておこう」

「事実じゃ」

「わかったって」


「ただいま」

「お帰りー。姉ちゃん、遅かったじゃん。腹減ったぜ」

「ごめんごめん、今作るから。……えーっと、なすと……豚肉があるね。よし味噌炒めでも作るか」

 ゆかりは台所に立つと、手早く下ごしらえを始める。

 貴志はゆかりに続いて入ってきたセンを、じろりと見た。

 ゆかりに聞こえないように、小声でつぶやく。

「……おい。今日帰り遅かったけど、なんかあったのかよ」

「川原で濡れ女を喰ってきた」

「なっ……! また妖怪とトラブル起こしてきたのかよ。――姉ちゃん、巻き込まれたりしなかっただろうな」

「文字通り巻き込まれていたな、髪の毛に」

「はあ!?」

「大過ない。無事に終わった」

「……今回は無事でよかったかもしれねーけどよ。妖怪とかかわるなんて、やっぱりあぶねーじゃん。姉ちゃんに何かあったらどうしてくれんだよ」

「娘は役に立つ。我も失うつもりはない。保護しよう」

「絶対だな。怪我でもさせたらただじゃおかねえぞ。ちゃんと守ってくれよな」

「そこまでいうなら、娘が我と関わるのを止めればよかろう」

「いいだしたらきかねーんだもんよ。止められるなら苦労はしねえ」

「難儀なことだな」

「他人事じゃねーっつーの」

 ひそひそと言葉を交わすセンと貴志に、ゆかりは声をかけた。

「なあに。随分話が弾んでるのね。少しは仲良くなった?」

「なわけあるか。ちょっと念押ししてたんだよ。姉ちゃんはすぐに無茶するからな」

「あはは。今日絵美にも散々注意されたよ」

「絵美さん? 絵美さんまで巻き込んだのか?」

「そんなつもりはなかったんだけど、私を心配してついてきてくれてね。それで、結果的に」

「ほらみろ。他の人にまで迷惑かけてんじゃねーかよ」

「次からはそんなことないように気をつけるよ。――あ、でもね、見て見て。センに、最初の尻尾が戻ったの! すごいでしょ」

「え? ――あ、まじだ。尻尾生えてら。……へえ、じゃあ、封印って奴も、一部解けたってことか」

「うむ。おかげで、この通りだ」

 センは言うと、ひらりと宙返りをした。

 着地する頃には、ただでさえ小柄な身体が、一回りも二回りも小さくなっていた。まるで、キーホルダーほどのサイズに。

「わあ! それって、変化の術?」

「いかにも。このサイズなら、持ち運びに便利だろう。主の鞄にでもつければ、学校とやらについていくことも容易だ」

「あ、そうだね。ぶら下げていけば、いつでも一緒にいられる。いつ妖怪の話を聞いても安心だね」

「……やっぱり、妖怪探しをやめる気はないんだな……」

 貴志はあきらめたように肩を落とした。

 そして、何かを決意したように、きっと顔をあげる。

「わかった。もう止めねえ。姉ちゃんがどうしても妖怪退治を続けるっていうんなら、俺も協力する。だから、セン。お前、俺の鞄につけよ」

「貴志?」

「姉ちゃんに任せてたんじゃ、あぶなっかしくて仕方ない。センは俺が連れて歩く。――ちゃんと妖怪探しもするよ。姉ちゃんとは学校が違うから、俺の学校では何か違う噂話が聞けるかもしれねーだろ」

「そうだけど……」

「我はどちらでも構わぬぞ」

 ゆかりは心配そうに貴志を見た。

「……センとけんかしたりしない?」

「子供じゃねーんだからよ。そんなことしねーって」

「……わかった。じゃあ、いいよ。センは貴志が連れて行って」

「よし、じゃあ明日からな。セン、俺の鞄の中に入っていけよ。ぶら下げてくのは、ちょっと恥かしいからな。ぬいぐるみみてーで。ってわけで、この話はおしまいな。飯は? できた?」

「うん、ちょうどできたところよ」

「じゃあ食おうぜ。いただきまーす」

 その夜はそうして更けていった。

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