濡れ女
「おはよう、絵美」
「おはよう、ゆかり」
ゆかりが登校すると、待っていたように絵美が寄ってきた。
「ゆかり、情報入ったわよ」
「情報?」
突然の言葉に、ゆかりはきょとんとする。
「ほら、あなたが言っていたじゃない。妖怪の話を知らないか……って」
「ああ! そのこと。え? もう何かあったの?」
「正確にいえば、妖怪かどうかは分からないのだけれど。聞く?」
「うん、聞く聞く! 聞かせて」
身を乗り出すゆかりに、絵美は呆れたような顔を見せた。
「ほんとに興味があるのね……。まあ、いいけれど。でも、危ないことはしないでね?」
「あはは……うん、気をつける」
「私も人から聞いた話なの。学校からの帰り道に、ちょっとした川があるでしょう?
「出るって?」
「女の人の、幽霊が」
「幽霊? 妖怪じゃなくて?」
「幽霊も妖怪も似たようなものでしょう」
「そ、そうかなあ……」
きっぱりとした絵美の言葉に、思わず苦笑いする。
(普通の人から見たら、そんなもんなのかなあ。でも、センが幽霊を食べれるかは聞いたことないから、幽霊と妖怪じゃやっぱり違うよなあ)
考え込むゆかりを、絵美は覗き込む。
「ゆかり? 続き、話していい?」
「あ、ごめん。うんうん、お願い」
「そう。……でね、その女の人が呼ぶらしいの。人を」
「人を?」
「川辺にいる人を、こっちに来てって。……それで、そばによったら、水に引きずり込まれるって」
「それは……こわいね」
「実際に被害がでたって話は聞かないけれど、でも危うく引きずり込まれそうになった人はいるとかどうとか……。まあ、噂だけれど」
「ふうん。……ありがとう、絵美。参考になった」
「別にこのくらい、構わないわ。でもゆかり、その川に行ってみたりしないでよ? どうして急に妖怪なんかに興味を持ち始めたのかは知らないけれど、首を突っ込むのはほどほどに」
「はあい、留意します」
その日の帰り道。
ゆかりは、仁和川にきていた。
「女の人の幽霊、かあ……。ほんとに幽霊だったら怖いよねえ」
きょろきょろしながら、自転車を押して川辺をそぞろ歩く。
「まあこうやって来たからって、すぐにすぐ会えるもんじゃないと思うけど、様子見るだけでも見ておこうかな」
このあたりでは有名な川である。
川幅は5メートルほど。川原があり、その外側は土手になっている。
ゆかりは土手の上を歩いていた。
しばらく歩いた頃。
「ん? あそこに誰かいるなあ」
反対側の川岸。進行方向にしばらく進んだところ。川原の、水にごく近いところに一人の人が立っている。
何をしているでもない。ただじっとたたずんでいる。
「あんなところで一人で何してるんだろ? 誰かときているわけでもなさそうだし……」
歩くにつれて、近づいてくると、その様子が明らかになった。
「あれ、女の人だ……」
髪が長い。それも、異常に長い。
前髪も長く、ほぼ顔の全面を覆うほどに髪をたらしている。背中に流れる髪は足元につきそうなほどだ。
あからさまに、怪しい人影だった。
「あれ……絵美が言ってた幽霊かなあ。きっとそうだよね。まさかこんな急に会えるなんて……」
様子をうかがっていると、髪の長い女性はふと顔をあげた。
髪の隙間からかすかにのぞく顔は、綺麗な人であることをうかがわせた。
しかし、目が合った途端、ゆかりは得体の知れない寒気におそわれた。
ぞぞっと、鳥肌がたったのだ。
(やっぱり、あの人何か変だ!)
ゆかりは一目散に走り出し、必死に自転車をこいで帰った。
「セン! いる!?」
自宅に帰ると、センを呼んだ。
まだ動悸がしている。震える声を隠すように、ゆかりは呼びかけた。
「なんだ」
リビングで丸まっていたセンが顔をあげる。
「セン、怪しい人、見つけた」
「怪しい人?」
「うん。もしかしたら、妖怪じゃなくて幽霊かもしれないんだけど……。髪が長くて、川にいて、人を川に引きずりこむらしいの」
息を切らしながら、聞き知った状況を説明する。
センは興味をもったように身体を起こした。
「それは、おそらく濡れ女じゃな」
「濡れ女?」
「水辺に現れ、人をさらう妖怪じゃ」
「妖怪? じゃ、あれ妖怪なのね?」
「実際に見ていないからわからぬが、おそらくそうじゃろう。……全く、次から次に、腹のすく暇がないことじゃ」
「それじゃあ、セン。退治しにいってくれる?」
ゆかりが言うと、センはくわあ、と背伸びをした。
「退治ではない。忘れるな、我は食事をしに行くのじゃ。自らの妖力を取り戻すためにな」
「なんでもいいよ。結果は同じでしょう? まだ被害はでてないらしいけど、このままじゃいつ人が襲われるかわからない。今から食べに行こう」
「ふん。かまわぬ。連れて行け」
「ここがその川だよ。さっきはあのあたりに女の人がいた」
「妖気を感じるな。同じ場所におるかはわからぬが、近くにはいるようじゃ」
ゆかりはセンをつれ、仁和川に戻ってきていた。
土手の上から様子を窺うも、先ほどの女性らしき姿は見えない。
「見当たらないね。……川原におりてみようか」
「よかろう」
より近くにいこうと、土手から川原へと降りる。
川辺を歩いていた、そのとき。
「あっ!?」
ゆかりの足首を、何かがつかんだ。
思わずこけそうになるが、何とかこらえる。
慌てて足元をみれば、
「何、これ!?」
黒々とした長い髪の毛が、足首にまきついていた。
そのまま、強烈な力で引っ張られる。
「セン!」
「わかっておる、叫ぶな」
がぶりと、センが髪の毛に噛み付いた。
ぷつりと髪の毛が切れ、ゆかりは引っ張られる力から解放された。
「いるな」
センがつぶやくと同時、水中からすうっと、女が姿をあらわした。
「人……よこせ……」
かすかな声で囁くと、長い髪の毛がぶわっと広がった。
そのまま鞭のようにしならせ、ずるずるとゆかりを追いかける。
ゆかりは急いで駆け出した。
必死でにげるが、髪の毛の方が早い。
「あっ!」
追いつかれて、足を絡めとられる。
すかさず、センが噛み切る。
だが、量が多い。次から次へと、髪の毛は襲ってくる。
「ちっ……きりがないな」
センは髪の毛への対処を諦めた。そちらは放置して、女性本体へとかけよる。
女へと反撃しようとしたそのとき、女はするりと水中へ姿を消した。
センの顎はむなしく空をきる。
「小ざかしい……!」
水中へ逃げられてしまえば、センは攻撃ができない。
ゆかりに絡みつく髪の毛は、いまや足のみならず全身に及んでいた。
体中をしばりあげ、締め付けてくる。
「あ……くうっ!」
ゆかりは川原に倒れこんだ。そのまま、水辺へと引きずられていく。
センはがぶがぶと髪の毛を噛み切っていく。だが、次から次へと髪の毛は絡みついて、減ることがない。
それだけではなく、よりあわされた髪の毛の塊が大きくしなると、すさまじいスピードでセンを叩き、弾き飛ばした。
たまらず、センは吹き飛ばされる。
ゆかりの足先はいまや水につかりそうになっていた。
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