対立
「ただいまー」
ゆかりが玄関を開けたと同時に。
「う、うわああああ!?」
「!? 貴志!?」
弟の絶叫が聞こえた。
慌てて声の方向に走りよる。
そこには。
「やめろ! 離せって!!」
異形の老人にのしかかられている貴志の姿があった。
「貴志! 大丈夫!?」
ゆかりが駆け寄る、その前に。
小さな姿が老人にぶつかった。
「ぎゃあ!」
老人は奇声を上げ、貴志から離れる。
そして、じたばたと暴れまわった。
老人にしがみつくのは、
「セン!」
センだった。センは老人にかみつくと、ばくんと口を閉じた。
一瞬で、老人の片腕がなくなる。
ゆかりは昨夜の光景を思い出していた。
(……同じだ)
そのままセンはばくばくと食事を続ける。
老人は抵抗する間もなく、その身を削られていった。
ぱくりと最後に残った老人の頭を一飲みにして、センはぺろりと舌なめずりをした。
しんと静まり返る台所。後には、床に倒れる貴志とかたわらに立つゆかりが残った。
「なに……? 今の、なんだったんだ?」
唖然とする貴志。
「わかんないよ。帰ってきたらいきなりあんたの悲鳴が聞こえて……。さっきのお爺さん、なんなの?」
「俺が知るかよ。いつの間にかいたんだ。それで、小豆とごうか、人とって喰おうかって言って、突然襲い掛かってきた」
ぶるっと、貴志は身をふるわせた。
「すげえ力だったよ……。抵抗できなかった。センが反撃してくれなかったら今頃……。……っていうか、今何が起こったんだ? セン、今何したんだ?」
「あー……。これはもう、隠してても仕方ないかもね」
ゆかりは額に片手をあて、目を閉じる。
そして、センに語りかけた。
「セン、今のは一体何?」
センはちらりとゆかりを一瞥すると、おかしそうに口を開いた。
「……ふむ。つくづく妖怪に縁のあるきょうだいじゃな」
「っはあ!? 狐が喋った!?」
ぎょっとして貴志がのけぞる。
「なんじゃ。きょうだいそろって同じような反応をしおって。我は狐ではない。誇り高き仙狐じゃ。覚えておけい」
「センコ……?」
「千年生き、九つの尾を持った妖狐じゃ」
「姉ちゃん……。これ、どういうことだよ」
狼狽の表情をうかべながら、貴志がゆかりを見上げる。
ゆかりはため息をついて、そんな貴志を立ち上がらせるべく、手を貸した。
「そうだね……。私もよくわかってないけど、とりあえず、話してあげる」
そうしてゆかりは、昨夜の出来事を貴志に語った。
「つまり、センは封印された妖狐で、姉ちゃんはその封印を解くために力をかすってことか……?」
「そういうこと。私もあんたと同じように、センに助けてもらったからね。その恩返しをするの」
リビングに座り、ゆかりは貴志に説明する。
聞き終えた貴志は、しばらく考え込むように眉をよせると、黙り込んだ。
そして、言う。
「……俺は反対だな」
「貴志?」
「……確かに、センがさっきの化け物を食ってくれなかったら、俺は危なかった。――でも、センは封印されてるんだろ? それって、どうしてなんだ? 理由は姉ちゃんは聞いたのか?」
「それは、聞いてないけど……」
そうだ。聞いても、センにはぐらかされたのだ。
「封印されてるってことは、封じた誰かがいるんだろ? そいつは、センを封じるだけの理由があったはずだろ? 封じなければ危ないから――危険だからセンを封じたんじゃないのか? センの封印を解くことがいいことだって、ほんとに言えるか?」
「それは……」
ゆかりは口ごもり、黙る。それはわからなかったからだ。
センに視線を向けると、
「……ふん。否定はせぬな」
そんなことを言う。ゆかりとしては、否定して欲しかったところなのだが。
「ほらみろ。悪いことをして、封印されたって可能性もあるんだ。そもそも、妖狐なんだろ? センだって妖怪だ。その味方をするっていうのは、俺には賛成できない」
「でも、あんただって助けてもらったのに」
「俺を助けてくれたんじゃない。センは、自分の食事をしただけだろう?」
貴志は警戒した様子でセンを見る。
「そうじゃな。ちょうどよいところにエサがおったから、喰ったまでじゃ。主のことは知らぬ」
「ほらみろ。こいつは人間のことをなんとも思ってない。俺はこいつのことを、まだ信用できない」
「貴志……」
ゆかりは、困ってしまった。こんな風に弟から反対を受けるとは、思っていなかったのだ。
「人間の弟よ。主のいうことはわかった。しかしな、どうせ主は、我が食事をすることは止められぬだろう」
「……どういうことだ?」
「我は喰う。邪気を持つ妖怪をな。裏を返せば、我が喰わねば、その妖怪は野放しじゃ」
「……」
「我が喰わねば、その妖怪はどこぞで人を襲うかもしれん。そうして被害が出ても、主はそれを放置するというのか?」
「……それは」
「人を救いたくば、我を止めぬことじゃ。我の食事は、結果的に人を救うことになるのじゃからな」
「……」
貴志はむっつりと黙り込んでしまった。視線だけは鋭くセンをみているが、言い返すことはできないようだ。
ゆかりはセンを抱き上げる。
「……私もあんたも、センに救われた。同じように、他の誰かも救うことができるかもしれない。そのためには、センのエサになりそうな妖怪を探すことだ。センが食事をすることで、悪い妖怪がいなくなるのなら、私はセンに協力するよ。センにそのつもりがなくても、私はセンに助けてもらったと思っているしね」
「……姉ちゃんはお人よしだな」
貴志は嘆息した。
「……わかった。姉ちゃんを止めはしないよ。――でも俺は、協力はしない。積極的に手伝うことはしねーからな」
ゆかりはくすりと笑う。
「それでいいよ。私は私のやりたいようにやる」
そこで、この話は終わりだった。
「飯の準備が途中だった。すぐに作るよ」
「ありがとう」
貴志が台所に戻る。ゆかりは、センに話しかけた。
「……そういえば、さっきの妖怪はなんだったの?」
「あれは、小豆洗いじゃな」
「小豆洗い?」
「基本的には、小豆を洗う音を立てるだけの妖怪じゃ。時に人を喰うようじゃがな」
「そんな、脈絡のない……」
と、突然台所で悲鳴があがった。
「どうしたの!?」
「あ、あれ……」
ゆかりが台所に駆け込むと、そこにはなんと、先ほど消えたはずの小豆洗いが、ちょこんと座っていた。
だが先ほどまでとは違い、襲い掛かってくる様子はない。なんとものんびりした気配だった。
「ふぉっふぉっ、坊主、先ほどは悪かったのう。ちいとばかし、頭に血が上っておったようじゃ」
和やかな表情をうかべながら、そんなことを言う。
「セン、あれ、どういうこと?」
「ふむ。我が邪気を喰ったからの。人畜無害な妖怪に戻ったのじゃろ」
「……じゃあ、あなたは妖怪の邪気だけを食べるってこと? 食べられた妖怪は……つまり、いい妖怪? になるって?」
「まあ、そのようなものじゃ」
「それはまた、都合がいいのかなんなのか……」
先ほど襲われたばかりの貴志は、どことなく及び腰だった。
「もう坊主を襲ったりはせんよ。ここは綺麗に片付いておっていい台所じゃな。ときたま顔を出すかもしれんが、相手をしてやってくれい」
そう言って小豆洗いは、しょきしょきと音を立てながら消えていった。
「に、二度とくるなーっ!」
貴志は塩をまいて追い払う。
「貴志は妖怪が苦手になっちゃったみたいだね……」
「ま、妖怪と人間は相容れぬものじゃ。主のように早々と受け入れるほうが珍しかろ」
結局、警戒しながら貴志が夕飯を作り終えるのは、いつもより少し遅くなったのだった。
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