小豆洗い

 ピピピピッ、ピピピピッ。

「ん……? 朝……?」

 アラームのなる音で、ゆかりは目をさました。

 アラームを止めると、起き上がる。

 傍らには、センが丸まってうずくまり、目を閉じていた。

 しばらくそれを見てから、ゆかりは声をかける。

「おはよう、セン」

 すると、センはじろりとゆかりを睨みつけた。

「……それはやめよと言うのに」

 センが言葉を話すのを聞き、ゆかりは笑顔になった。

「あはは。……やっぱり昨日のこと、夢じゃなかったんだね」

 センを抱き上げる。

「気分はどう?」

「ふん。食事をしたからの。悪くはない」

「そう。よかった。……さて、これからリビングに降りるけど、貴志の前では黙っててね」

 そう念を押すと、センは鷹揚おうように頷いた。

「主の言い分に従うわけではないがな。我も無闇に興味を惹くつもりはない。野狐のふりをしておればよかろう」

「うん、お願いするね。喋ったら、貴志びっくりしちゃうから。必要以上に巻き込みたくないし」

「主自身は自ら巻き込まれようというのだから、変わった娘だ」

「ふふ、恩知らずにはなりたくないからね」

 そんな会話をして、リビングに降りていった。


「おはよう」

「おはよー、姉ちゃん。……なんだ。久々にすっきりした顔してんな」

「うん、昨日は良く眠れたよ」

「そっか。そりゃよかった。――ハムエッグ作ったぜ。食べる?」

「食べる食べる、ありがとう」

 今日の食事当番は貴志だ。トーストとハムエッグ、サラダが食卓に並んでいる。

「あ、なんだ。そいつ、いないと思ったら姉ちゃんの部屋にいたのか」

「ああ――センのこと?」

「セン? もう名前つけたのか? えらく仲良くなったんだな……。うちでは飼わないっていったの、わかってるか?」

「んーまあいいじゃない」

「信用できねえ……」

 トーストにかぶりついた貴志は、よく噛んで飲み込んでから、思い出したようにつぶやいた。

「そういえばさ」

「ん? なに?」

「姉ちゃん、台所で変な音聞かなかった?」

 突然の言葉にゆかりはきょとんとする。

「変な音?」

「うん……なんかさ。しょきしょき、しょきしょきって。米とぐみたいな音」

「聞いたことないけど……」

「そっか……。今朝、飯の支度してるときにさ、俺一人しかいないはずなのに、どっからかそんな音が聞こえてきて」

「テレビの音とかじゃないの?」

「うーん。ま、そっか。そうかもなあ」

「なに、あんた怖いわけ?」

「ばっか、ちげーよ。何だろって思っただけ。姉ちゃんが聞いたことないんならいいよ。俺の気のせいだろ」

「うん。なにかの音だったんじゃない?」

 そんな会話をするきょうだいを、センは鋭い目で見ていた。


「じゃあ、いってきまーす。セン、ここにご飯おいていくから、食べてね」

「俺今日学校でセンのもらい手探してみるよ」

 貴志の申し出に、ゆかりは慌てた。

「あーっと、ちょっと待って。わ、私の方で心当たりがあるから、そっちに当たってみるよ」

 焦って言うゆかりに、貴志は胡散臭そうな視線を向ける。

「ほんとかよ……? このままうちで飼おうって思ってねえ?」

「思ってない、大丈夫、大丈夫!」

「なら、いいけどよ……。でも、そっちだめだったら、すぐ言ってくれよな」

「はいはい。じゃあ行くよ。いってきまーす」

「あい。いってきゃーす」


「おはよう、ゆかり」

「あ、絵美。おはよう」

 絵美はゆかりの顔をみると、心配そうに話しかけてきた。

「ゆかり、昨夜はどうだった? ちゃんと眠れた?」

 ゆかりは思わずぎくりとする。

(……昨日あったことを、そのまま話すわけにはいかないよね)

「う、うん。昨日は、よく眠れたよ。おかげで気分爽快」

「……そう。それならよかった」

 絵美はゆかりの様子に、すっと目を細めたものの、そう言って頷いた。

「何か話せないことがあるみたいだけど、話せるようになったら話してね」

(鋭い!)

 絵美の洞察力に、思わず驚嘆するゆかり。

「……うん。ありがとう」

 そのまま席に向かおうとする絵美に、ゆかりは声をかけた。

「あ、そうだ。絵美」

「なあに?」

 首を傾げ、振り向く絵美。そんな姿も絵になって美しい。

 声はかけたものの、何と言ったらよいか、ゆかりは戸惑った。

 意図せず、直球で言葉を発してしまう。

「あのさ、妖怪の話とか、聞いたことない?」

「妖怪?」

 絵美は思い切り怪訝な顔をする。

「……いきなりどうしたの? そんなことに興味なかったでしょう」

 うろたえるゆかり。

「あ、いや。……そのさ。昨日テレビで、そんな話をやってて、この辺にもいたりするのかなー、なんて……」

「いないでしょう、そんなもの」

 ずばりと断言される。

「そ、そうだよね。そうそういるもんじゃないよね」

「なによ、そんなことに興味があるの?」

「……うん、ちょっとね。なにか、そういう噂でも耳にしたら、教えてほしいな」

 絵美は嘆息した。

「……そう。わかったわ。どういう理由か知らないけれど、それが必要なら、探してあげる」

「ありがとう、絵美」

「もしなにか情報が入ったら、教えるわ」

「うん、お願いね」


***


「ただいまー。……と、姉ちゃんはまだ帰ってねーのか」

 貴志は靴を脱ぎ、リビングへあがる。

「チビ、ただいま。えっと……セン、だっけ。元気してたか?」

 チビはにゃあんと鳴き、貴志にまとわりつく。

 センは丸まったまま、一瞥いちべつをくれた。

 自室に荷物を置き、着替えると、台所に向かった。

 今日の食事当番は貴志だ。

「なんにすっかなー。めんどくさいから、カレーでいっか」

 材料を確認し、献立を決める。

 野菜を洗い、下ごしらえを始めた。

 そのとき。

「……しょきしょき」

「あん?」

 何か物音が聞こえた気がして、振り返る。

 あたりを見回すが、特に何もない。

「気のせいか……」

 作業にもどるが、また。

「……しょきしょき、……しょきしょき」

「まただ。これ、前にも聞いたな……。なんか、米とぐみてーな音」

 気にはなるが、なんだろうと思いながらも調理を進める。

 だが。

「……小豆とごうか、……か、しょきしょき」

「……!?」

 何者かの話し声が聞こえて、さすがに手を止める。

 きょろきょろとあたりを窺うが、何もない。

 だが。

「小豆とごうか、人とっておうか、しょきしょき」

「……誰だ!」

 今度ははっきりと聞こえた。

 それと同時に。

 台所の片隅に、いつの間にかそれはいた。

 細いからだ。

 背をかがめ、手にざるを持ったその姿。

 その異形の姿。

 見知らぬ老人が、そこにいた。

「何……お前、なんだよ。いつからそこに……」

「小豆とごうか、人とって喰おうか、しょきしょき」

 老人はしょきしょきと音を立てる。音の源は、老人が手に持っているざるからであった。

 小豆だ。小豆をといでいる。

 老人はぱちりと目を開けた。

 貴志と目が合う。

 そして、にぃっと笑った。

「う、うわああああ!?」

 背筋を這い上がる嫌悪感に、貴志は思わず悲鳴をあげる。

 そんな貴志に、老人は外見に似合わず俊敏な動作で襲い掛かった。

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