いたむ資格はありますか

斉藤ハゼ

第1話はじめての高尾山

 ―二〇一一年三月十某日、東京西部。


 どんな時でも身体は動いて夢遊病のように会社に来てしまう。かなしい社会人の習性だ。

 しかし大混乱のダイヤを乗り継いで来た私を待ち受けていたのは、開かない社屋、開かない自動ドアだった。


「守衛さんもいねのが」


 地元の訛りで独り言が出る。

 あれからずっと、四六時中二十四時間年中無休営業で地元のことばかり考えている。


「どうすっぺがな、仕事さならんぞ。家さ帰んのもめんどくせえな」

「んだら……僕とデートばすっちゃ」

「んだなあ…って、は?」


 似た訛りの相槌に振り向くと、そこには数井さんが手を振っていた。

 背が高いぼっさり頭の眼鏡男子。

 今、同じ案件に取り組んでいる協力会社の人だ。システム周りを見てもらっている。


「今日は輪番停電が早い時間に当るから会社、お休みだそうですよ、小野さん」

「連絡来てないんですけど」


 普段はスーツの数井さん、今日はカジュアルないでたちだ。

 薄手のブルゾンにスニーカー。大学生みたいだ。三十歳は越えてたと思ったけど。


「小野さんも、ハイキングみたいな格好ですね」


 かくいう私もリュックサックにスニーカー、ジーンズ。社会人の格好とは言えない。

 だって、電車が止まりでもして、歩いて帰る羽目になったら困るのだ。


「ね、今日は会社、お休みですよ。……デート、行きませんか?」

「こんなときに?」

「白状するとですね、僕、あんまり家にいたくないんです」


 それはわかる。私だってそうなのだ。

 震災発生から数日経ったが、まだテレビもネットもざわざわとしている。

 何より、心が落ち着かない。

 東北にいる家族や親戚、友達の無事はわかった。

 でも、それだけだ。

 親戚の隣の家の人は無事なのか?

 もう名前も出てこないけど、高校の同級生全員は無事なの?

 よく遊びに行った港町はどうなった?

 なにかできることはない?

 下手に向こうに行かないほうが良いという。

 胸から不安だけが飛び出して、目の前にあるような。


「ね、ちょっと気分転換しに行きましょうよ。こんな格好だし」


 数井さんに連れていってくれたのが、高尾山だった。幸い電車は動いていた。

 よく晴れた三月の空気が心地よい。

 よい登山日和なのに、駅前から登山口に至るまで、ずっと人がいない。

 高尾名物の蕎麦屋にお土産屋。みな閉まっている。

 ロープウェイの駅も鎖がかけられ、無人だ。


「ロープウェイ止まってるから、歩いて行きましょう」

「どれくらい歩くんでしょう。私、はじめてなので」

「僕もはじめてなんで、調べます」


 数井さんはスマートフォンの上で二本の指を躍らせはじめた。


「数井さーん、飴ちゃん、食べます? 男梅飴」

「男を舐めるのは、ちょっと」


 そうですか。自分の分だけ飴をむく。男の前で男を舐める。なんだかいやらしい。

 そういえばデートか。デートってこういうものなんでしたっけ。


「数井さん……デートの定義ってなんですか」

「システムアップデートなら得意なんですけど」


 数井さんってこんな愉快な人だったかな。職場と印象がちがう。服が違うからか。

 でも眼鏡はいつも通りだし。


「片道百分ですね。なお、帰りは九十分に短縮されます。しかし、この手の予測がアテにならないのはアップデートの常ですね」

「構いません。仕事じゃないですし」

「では、一号路から参りましょう」

「いちごうろ」


 頭の中では一号炉、と変換されてしまった。

 今この関東の大気の中に、何ベクレルだか、シーベルトだかが、降り注いでいるらしい。

 大した量ではないんだろう。でも、それを裏付ける知識はないし、何が正しいか判断を仰ぐ力もない。

 ただ不安と希望的観測だけがある。大丈夫、どうせ大丈夫。タカを括ってしまうしかない。


 一号路は鬱蒼とした杉木立。上のほうから何人か降りてくる。しっかりしたリュックと杖。本格的な山装備だ。

 比べて私と数井さんの格好はあまりにもカジュアルだ。


「僕らのほかにも、人、いるんですね」


 少し安心する。不安でもある。最初はゆるやかな登り。

 登山道、という言葉に反してなだらかに歩きやすく、うす暗い。


「小野さんはー、ご結婚してます?」

「してませーん。数井さんはー?」

「してませーん。彼女もいませーん」

「私も彼女いませーん」


 こんなことをだらだら喋りながら話せるくらいには、高尾山の一号路はゆるやかだった。


 そして、数井さんは温めた牛乳が苦手なこと、自称スネ毛が濃いこと、生まれは秋田で大学は宮城だったこと、などを勝手に白状した。

 私は酢豚にパイナップルが入っていても許せること、指がやわらかくて異常に反り返ること、生まれは宮城で大学は東京だったこと、などを白状した。


 一時間ほども歩き続けると、突然ケーブルカーの終点駅が現れた。相変わらず誰もいない。すごい、高尾山が貸切みたいだ。

 私は、えい、と駅の前の広場に寝転がった。空に手を透かす。どうせ人がいないんだ、これくらいやっていいでしょう。

 数井さんが脇に座る。おっ、数井、距離が近いぞ。ほんとにデートのつもりなのか。


「数井さん、空が黄色っぽいですね」


 そんなに意味なく言った言葉のつもりだった。


「放射能って、思ってるんです?」


 しかし、数井さんの目は妙に静かだった。


「さあ、なんだか知りません。ただ、いつもより空が黄色いなあって、思っただけです」

「小野さん」


 数井さんが上から私の顔を覗き込んできた。そしておもむろに眼鏡を外す。鼻のつけねに眼鏡の跡。

 なんだ、このまま数十センチ寄られたらキスになってしまうぞ。私の口の中には三個めの男梅飴が残っている。今はよすんだ。


「僕の眼鏡を見てください」


 失礼ながら、寝転がったまま眼鏡を受け取る。

 数井さんは眼を細めてじーっとこちらを見ている。


「すごく汚いです。黄色の砂がたくさんついてます」

「たぶんスギの花粉です。ずっと杉だらけだったでしょう」


 そういえば、あちこちに「杉を百万本植えた」みたいな碑があったっけ。


「空が黄色いのは花粉と黄砂かな。たぶん、ですけど」


 数井さんはたぶん、をやたらと連呼する。


「ま、そんなとこでしょうねえ」

「え」


 数井さんが、きょとんとした顔になった。


「放射線が怖くて健康診断ができるかっていうんです」

「はあ……まあ……」


 私が上半身を起こすと、数井さんがさっと避けた。ハンカチで眼鏡をぬぐって返してあげる。


「さ、頂上までもう少しあるんでしょう。行きましょう」

「小野さん、いつも、とりあえずプロジェクトを動かすほうを選びますよね」

「事実確認にこだわってたら、案件は止まったままです」

「炎上体質だ」

「じゃあ、システム屋さんがしっかり見ててください」

「そこは要件定義からしっかりやってもらわないと」


 ふにゃふにゃのいい加減な仕事用語を交わしていたら、次第に私たちの間の空気が落ち着いてきた。それは心地よい関係の戻り方だった。


 さらに道を歩く。夏はビアガーデンになる展望台、根っこのくねった蛸杉、さる園に野草園、まんじゅうを売ってるはずのお店。みんなシャッターが下りている。

 足音と風しかない世界。

 やがて赤い灯篭が立ち並ぶ参道。まもなく薬王院というお寺だ。


「……あっ! 小野さん!!」

「なんですか……って、あ!」


 数井さんの指した先には、なんと開いている売店があったのだ。

 お団子が炭火で香ばしく炙られている。


「ごま団子、ください!」

「はい、二百円ね」


 興奮気味の私たちとは裏腹に、お店の人は大変冷静であった。

 手渡されたお団子にかぶりつく。

 ごまがびっしりと練りこまれた生地、刷毛で塗られたあまじょっぱい醤油たれ。ザ・山の茶店にふさわしい味。


「おいしい! そうそう、こういうのを私食べたかったんです」

「よかった。小野さん、はじめて笑いましたよ」


 あれ、私、そんなずっと厳しい顔だったんだろうか。

 数井さんの横顔は、他意がなさそうだ。



 薬王院でお参りを済ませたあとが長かった。

 道も険しくなれば言葉数も少なくなる。

 私、なんで山登りしてるんだろう。家にいなくていいのかな。連絡とか、安否確認とか、まだあるんじゃないかな。

 数井さんのご実家や知り合いはどうだったのかな。


「数井さん、私……」

「小野さん、手を貸してください」


 言われるままに手を差し出すと力強くひっぱられる。

 つられて駆け上がる。

 坂を上り切ればそこにはガランとした広場があった。


「つきました」


 頂上の空はやっぱり黄色かった。


「誰も、いないですね」

「こんな高尾山、きっと一生見られないですよ。なんせ普段はけっこう混むらしいですから」


 誰もいない理由を考えるとあまり喜べない。みんな怯えて委縮しているのだ。


「数井さん……ご実家は、どうでしたか」

「秋田ですから、まあ大したことはないです」

「大学の頃のお知り合いとかは」

「友人連中は大丈夫でした。実家の流れちゃった奴とかもいるけど、まあ無事でした。けど」


 数井さんが横を向く。私にはわかる、この続きが。


「けど、わからない人もいっぱいいるんですよね、数井さん。バイトしてた店の常連とか友達の彼女とか、たくさんの人が」

「……職場の人たちが僕に言うんです。みんなご無事でよかったですね、って。でも、みんなってどこまでを指すんだろうか。僕は……あの町で、一瞬でも僕に関わったすべての人が……みんな……生きていてくれたら……いいって……」


 震えている数井さんの手を取る。


「ほんと、安否がわからない人だらけで参りますよわ」


 数井さんがはっと私を見た。


「小野さん、宮城って……沿岸のほうなんですか」

「親戚筋は」

「じゃあ、早く帰ったほうが」

「家さ帰って何ができるっていうんです。災害ダイヤルもグーグルパスファインダーもテレビの安否報告も、ずーっと確認してます。電話もろくにつながらない。それに仕事が始まれば修羅場でしょう」


 年度末を迎え私と数井さんの案件は絶賛炎上中。今日はあってはならない休日だった。


「私、逃げてきたんです。会社にくれば津波の映るテレビもネットも見なくていい。案件に没頭してればいい」


 その時、私の携帯電話が震えた。開けば、それは誰かの安否を知らせるメールだった。


「でも、ダメですね。頂上でも私たちは逃げられない」

「電源を切ったら、どうです」


 あはは、と私はつい笑ってしまった。数井さんの変なやさしさが嬉しかった。


「無駄な心配の電源が、切れません。数井さんもそうでしょう?」

「まったくです」


 数井さんがスマートフォンを取り出してみせる。その画面は何かの通知でいっぱいだった。


「ね、小野さん、次はもっと人でいっぱいの高尾山に来ましょう」

「芋洗いかっていうくらいぎゅうぎゅうの時に来ましょう」


 そして私たちは来た時より十分早く山を下りた。

 帰りの電車は、相変わらずがらんとしていた。

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