第3話 戦士達の決断

 ダタッツがこの港町を訪れて、三日目。港町の上には、曇り空が広がっていた。

 ここの王国騎士達の話によると、天候が悪い日にグランニールの一味は絶対に現れないという。船しか移動手段を持たない彼らの窮状を鑑みるなら、無理な行動で足を失う事態を避けている、という理由が容易に想像できる。


 だが――ダタッツはその話を受けてなお、銅の剣と木の盾を携え、臨戦態勢を整えた姿で町に繰り出していた。

 街道を歩いていれば頻繁に目に付く、酒に溺れ傲慢に振る舞う王国騎士達。彼らの醜態に顔を顰めながら、黒衣の剣士は港へと直行した。


(……来るはずがない。誰もがそう思っているが……相手の予想を外して攻めるのが戦いの基本。そう思い込ませるための、五年間だとしたら……)


 そして港に辿り着いてすぐに、暗雲に覆われた大海原を見渡す。波は晴天の頃より大きく揺らめいてはいるが――船が転覆するような段階ではない。

 雨が降り出せば話は違ってくるが……もしも、その危険を顧みない「片道切符」を抱えているとしたら。


「……ジブンが敵に回ったと見て、捨て身の特攻作戦――ということか」


 そんな予想に沿うかの如く。


 暗雲と霧と、水平線の彼方に――海賊船のシルエットが、現れた。


 ◇


「て、敵襲だ敵襲ゥゥーッ! グランニール一味が来やがったァァァ!」

「なんだって!? 嘘だろ、今までこんな天気で攻めてくるわけなかったのに!」

「んなこと言ってる場合か! さっさと全員叩き起こして配置に付けェ!」


 予想だにしない天候での、海賊船の来襲。その異常事態に、本物の戦に慣れていない王国騎士達は大パニックに陥っていた。

 その喧騒を背に、ダタッツはただ真っ直ぐに、こちらに近づいてくる海賊船を視線で射抜く。


「……」


 この視線に気づいているのか。ゆらり、と船上に現れた二つの影が、ダタッツの目前に颯爽と飛び込んできた。

 紫一色の戦闘服を纏う、二人の海賊。筋骨逞しい長身の父と、少女さながらの短身痩躯の次男。――グランニールとシュバリエルの親子が、剣呑な面持ちで降り立つ。


「……また、会ったな」

「……あなた達親子のことは、タスラから伺いました」

「そうか。……あの子は、まだ無事か。気の強い娘であるから、心配していたのだが」

「大丈夫ですよ。彼女は、強い」


 シュバリエルが敵愾心を剥き出しにして睨みつけているのに対し、グランニールは険しくも落ち着いた物腰で、ダタッツと言葉を交わす。そして彼が銅の剣を抜く動作に合わせ、自身も格闘の構えを取った。


「青年よ。名を聞きたい」

「ダタッツです」

「……変わった名だな。して、ダタッツ君。君は真実を知り、どの道を選んだ?」

「……」


 グランニールは一触即発の体勢のまま、あくまで穏やかな口調で問い掛ける。一昨日の初戦から、すでにダタッツの人格を看破していた彼は、眼前の剣士がバルキーテに与するとは考えにくい――と見ていた。

 一方、ダタッツはグランニールの真摯な瞳を真っ向から見つめ、なおも剣を構える。その姿勢から、あくまで自分達と戦うつもりだと睨んだシュバリエルは、すでに四矢を構えて獅子波濤の体勢に入っていた。


『……あんたは、あたし達の敵なの? 味方なの?』


「……」


 剣士の脳裏に、少女の問い掛けが過る。すでに彼の後ろでは、大勢の王国騎士が集まっていた。


「ダタッツ様ーッ! やっちまってくだせぇーッ!」

「あんのクソ海賊共に、今日こそ正義の鉄槌をーッ!」


 その誰もが、後ろから自分を囃し立てている。あの時のように、やってしまえ――と。


 そんな彼らの様子と、こちらを伺う海賊親子を交互に見やり。ダタッツはふぅ、と小さく息を吐く。


 そして。


「選ぶも何も。ジブンの道は、はなから一つです」


 百八十度反転し、銅の剣を振り上げ――何事かと目を剥く騎士達に。

 剣を、投げつける。


 だが、それはもはや「投擲」などではない。矢よりも。音よりも。全てを穿つ速さで彼の剣は空を裂き、その波動が騎士達を吹き飛ばす。


「ぎゃあぁああッ!? な、なんだ今のはァァァ!?」

「ら、乱心だァァァッ! ダタッツ様の、乱心だアァアァアッ!」


 まるで、吹き荒れる嵐。さながら、剣の旋風。たった一本の腕から放たれたけんかぜが、数十人の騎士を一網打尽にしてしまった。


「……! これは……!」

「な、なんだよ今の技……!」


 予期せぬ展開に騎士達は騒然となり、その技を間近で目撃した海賊親子にも、衝撃が走る。シュバリエルは驚愕のあまり、弓兵でありながら矢を取り落としてしまった。

 そんな中、グランニールはダタッツが放った技から、ある一つの結論にたどり着く。


(――帝国式投剣術。遥か昔、投石機の類が発達するより以前の時代……空から襲い来る飛龍に対抗するため、当時の帝国騎士が編み出したという古代の対空剣術。槍や矢では貫けぬ鱗を、剣の質量を以て破壊するために練磨された飛空の剣。……投石機や大砲の発達に伴い、廃れたはずのその剣技を操る剣士は、この現代には数えるほどもいない)


 ダタッツの技から、そのルーツを見抜いたグランニールは、彼がその技を使って見せたことから繋がる「結論」に、息を飲む。


(……その一人は。かつて超常の力を持つ勇者でありながら、人間に向けてその力を振るったという悪魔の勇者。戦争の果てに戦死したと伝わる、「帝国勇者」だが……)


 愛息を奪った災禍の勇者。その得体の知れぬ影と、自分達に背を向けて投剣術を放った青年の影が重なる。だが、グランニールはそこで一度思考を敢えて断ち切った。


(……いや。今は、よそう。彼はその剣腕を以て、バルキーテの騎士達を屠った。今は、それだけが真実)


 そして顔を上げた先では――黒髪を靡かせる青年が、ふわりと笑みを浮かべていた。


「……ジブンはこれから、あの騎士達と戦います。この混乱に乗じれば、労せずバルキーテ邸に乗り込めるかも知れませんね?」

「……君も、食えない男だ。――恩に着る、行くぞシュバリエル」

「と、父さん! こいつを信じるんですか!?」

「少なくとも彼は騎士達の『敵』に回った。否応なしに連中の注意は彼に向く。彼の真意がどうであれ、これは我々にとっての好機。違うか?」

「ぐ……」


 そんなダタッツの意図を汲み取り、グランニールはこの機に乗じるべく動き出す。シュバリエルも、一度敵対したダタッツに恩を着せることに難色は示すが、結局はこの隙に突入することに決めたのだった。

 幼い弓兵は、落とした矢を拾い上げると、訝しむような視線を送りながら走り出す。


「……勘違いするなよ! お前の暴動に乗っかってるだけだからな!」

「わかってるわかってる。……それと、男の子だったんだねキミ」

「う、うるせぇ! お前だって女みたいな頭してるくせにぃい!」


 そんな彼らを見送った後――改めて剣を構え直すダタッツは、銅色の刃先を騎士達に向ける。先刻の「飛剣風」を受け、ダタッツが敵に回ったと認識した彼らは、殺気立った表情で黒衣の剣士と対峙した。


「警告は一度だけだ」


 そんな彼らに、ダタッツは。


「――失せろ」


 聞き入れられるはずもない、戯言を呟き。罵詈雑言を上げて踊り掛かる、騎士の皮を被ったケダモノの群れに向かって行く。

 閃く剣に、一迅の風を纏わせて。


 ◇


 港町に巻き起こる騒乱。

 シンに並ぶと噂された剣士の、予期せぬ裏切りは騎士達に激震を走らせ、パニックを拡大させていた。

 とにかく裏切り者を止めねばならない。そのアクシデントに気を取られてしまった彼らは、肝心の仇敵を見失っていた。

 グランニールと、シュバリエルの海賊親子。その二人は騎士達の混乱に乗じて、港町の手薄な街道を駆け抜けていた。


「増援が今も出続けている。……彼がまだまだ持ち堪えている証だな」

「あ、あいつそんなに強かったのか……? 確かに、オレの獅子波濤は破ったけど……」

「……生きておれば、アルフとも良きライバルになっていたやも知れん」

「へ、まさか! あいつがアルフ兄さんに敵うわけないよ」


 ダタッツの長時間に渡る陽動から、彼の戦闘能力の一端を垣間見るグランニール。そんな父の言葉に反発しつつ、その後に続くシュバリエル。彼らはバルキーテ邸の裏手に回ると、隠し通路から地下を目指す。

 ――地理の把握は完璧だった。何しろ、元々ここはグランニール親子の家なのだから。


(あの臆病なバルキーテのことだ。戦いになれば、極力戦場から離れようとするだろう。だが、今の奴にとってこの港町は唯一無二の資金源。五年前のように、おいそれと手放しはしまい。ならば……)


 屋敷裏の穴から、地下深く続く階段。鈍い灯火の光が、その足元を僅かに照らしている。こんな状況で、普段使われないような道に灯火がある。

 つまり、この状況下でここを使った者がいる――ということだ。下り階段が終わった時、広々とした無機質な地下室に到達した二人は、すぐさまその答えを確かめることとなる。


「ぬっ……!? グ、ランニール……!? な、なぜこうも早く……!」

「……一人。頼もしい味方が増えてな」


 その奥に隠れていた、でっぷりと膨れた醜男の影。腰にぶら下げていたカンテラの灯で、その先を照らしたところに――バルキーテの姿が現れた。

 予想だにしない早さで、ここまで乗り込まれたことに狼狽する愚者。そんな彼を、海賊親子は容赦無く視線で射抜く。

 自分達から全てを奪った、憎き仇敵。それが今、目の前にいるのだから。


「オレ達を弄んだ罪……町の皆を苦しめた罪。兄さんの覚悟を、踏みにじった罪! 全て、全て償わせてやる! 覚悟しろバルキーテッ!」


 激昂するシュバリエルは、感情の赴くままに四矢を構えて狙いを定める。寸分たりとも揺るがない高精度の矢じりが、醜男の眉間を捉えた。


「ひ、ひひぃい! こ、来いシンッ!」

「――! 伏せろシュバリエル!」

「……っ!」


 だが、そこから轟く情けない悲鳴が、「引き金」となっていた。地下室一帯に迸る、強烈な殺気の奔流。それを肌で感じ取った二人は、咄嗟に構えを解いて地に伏せる。

 次の瞬間。亀裂を走らせる暇すら与えられず、地下室と地上を隔てる天井が、弾けるように粉砕された。轟音と共に吹き荒れる瓦礫が、三人の周囲に降り注ぐ。それは、さながら隕石のようだった。


「……!」


 立ち込める土埃。その先に潜む、圧倒的にして絶対的な「殺気」。生物としての本能に訴える、「狂気」の極致。

 それら全てを一身に纏う――髑髏の鉄仮面で素顔を隠す、二刀流の鎧騎士。鉄仮面の隙間から僅かに覗く青い瞳が、煌々とした輝きを放っていた。

 例えるなら、暗闇の中で獲物を狙う猛獣。理性という概念を持たない、人の形を借りた魔物。


 その男――シンの両手には、王国騎士の証である二本の剣が握られていた。その姿に、真っ先にシュバリエルがいきり立つ。


「出たな……シン! 兄さんと同じ技を使い、兄さんの技を穢す不届き者! 刺し違えてでも、今日こそ貴様を討ち取るッ!」

「待てシュバリエル、逸るなッ――!」

「獅子波濤ッ!」


 そして、冷静さを欠いた姿に警鐘を鳴らす父の制止さえ振り切り。激情の赴くままに、四矢を同時発射した。

 狙うは、鎧の隙間。関節稼働部にある、鎧に守られていない箇所。


 ――だが。


「……っ!?」


 確実に、射抜いたはずの、その箇所からは。僅かに血が滴るのみで。


 シンは、まるで気にも留めない様子で佇んでいた。それはさながら、蚊が刺した程度にも感じていないかのように。


 グランニールの蹴りを、粗末な盾と腕力だけで防御できるダタッツですら、獅子波濤に対しては回避を優先していた。


 だが、今回のシンは避けようとすらしなかった。射られたこと自体を認識していないわけではない。今までの五年間に渡る戦いでは、シンはシュバリエルの矢は必ずかわしてきた。


 ……今まで矢を回避していたのは、単なる戯れ。本来ならば獅子波濤など、防ぐまでも避けるまでもない。

 僅かに力こぶを膨張させるだけで、肉体から刺さった矢を強引にひり出した彼の行動が、言外にそう宣告しているようだった。


「バカ、な」


 シュバリエルとしては、必殺必中の勢いで放った技だった。が、それは当の相手にとっては、取るに足らない児戯に等しい。

 目の前の現象に、そう告げられた少年は――両膝を着いてしまった。そんな彼に、シンの凶眼が向けられる。


「――これ以上。お前には、誰一人傷つけさせんッ!」


 だが、そこから始まる賊への処刑は、父であるグランニールが許さなかった。彼の脚は弧を描いてシュバリエルの頭上を越え――シンの顔面に向かう。

 その一閃を、シンが二本の剣の腹で受け止め。地下室全体に、強烈な反響音が轟いた。


「ひ、ひひぃ! や、やれシン! さっさとやってしまぇえ!」


 その音に怯えるバルキーテは、何かを振り払うかのようにじたばたと暴れながら、シンの背後に悲鳴を飛ばす。

 そんな彼に言われるまでもなく、凶眼の鉄仮面は眼前の仇敵を狙い、剣を振り抜いていた。その反撃をかわし、後方へ飛びのいたグランニールは、背中で息子に語り掛ける。


「……私が奴を抑える。お前はその隙に、バルキーテを捕らえろ」

「と、父さん! 一人なんて無茶だ!」

「忘れるなシュバリエル。我らは王国貴族に名を連ねる者として、民を守るために身を粉にして戦う義務がある。……怯えながらでも構わん。お前やるべきこと、なすべきことを為せ」

「……! は、はい!」


 そして、シンとの戦意を揺らがされた息子へ、次の目的を命じる。父の言葉に奮起するシュバリエルは、弓を拾うと険しい顔つきを取り戻し、別の階段から地上へ逃げるバルキーテを追った。


 そんな次男の背を見送り。グランニールは、改めてシンと一対一で対峙する。その瞳に、微かな憂いを秘めて。


「……私が、終わりにしてやる。あの子がお前に気づき、敬愛すべき兄に絶望せぬように」

「……」


 そして――阿修羅連哮脚を放つ体制に入り。鋭い眼光で、鉄仮面を真っ向から睨み付ける。それに寸分たりとも怯むことなく、シンも二本の剣を同時に構えた。


 ――それは、彼の長男も生前に浸かっていた技。王国式闘剣術、叢雲之断。

 シュバリエルが言う通り、彼の兄と同じ技だった。


 そのことを、父グランニールはよく知っている。その技を使いこなせる剣士など、今の王国には息子しかいないことも。


「……アルフ。せめて父として、私が葬ろう。誰もお前に気づいていない、今のうちに」


「グゥッ……ガアァアァアァアッ!」


 その、全てを見透かしたように見つめるグランニールの瞳と。狂気に自我を封じられたシン――アルフレンサーの眼差しが、重なる。

 悲鳴とも怒号ともつかぬ絶叫が轟いたのは、その直後だった。


 ◇


(鎧の隙間を縫って放った獅子波濤ですら、あの肉体を貫けなかった。あるかどうかもわからぬ「隙」があることを願って攻めては、シュバリエルの二の舞であろう)


 迫り来る二つの剣閃。その刃の流れを読み取り、グランニールは僅かな身のひねりだけでかわしていく。すれ違いざまに膝関節や鳩尾に蹴りを入れる――が、まるでダメージが通る気配がない。

 振り返り、シンの方へ向き直る頃にはすでにあちらも二撃目に移ろうとしていた。


「ぬっ……ホワチャアッ!」


 怪鳥音と同時に、二度目のハイキックが鉄仮面を狙う。シンは己の頭を狙う速攻に対し――剣で防御して見せた。

 鉄製のレガースと剣の刃が鉄仮面の近くで交わり、強烈な金属音が反響する。


「……!」


 その光景にグランニールは目を剥き、一気にその場を飛び退いて反撃の一閃をかわした。そして、暫しの沈黙を経て。

 口元を不敵に緩め、ゆらりと拳法の構えを取る。


 彼は自分の蹴りが防がれたことに驚いたのではない。彼は、シンが初めて「防御に回った」ことに驚いたのだ。


(この五年間であやつの動きを研究し尽くすまで、我らは近寄ることすらままならなかった。……格闘戦が成り立つ今ならわかる、頭部だけはあやつといえど「防御」に回らざるを得ないのだと!)


 それに気づいた今、その情報を活かさない手はない。グランニールは一世一代の賭けに打ち勝つべく、一気に間合いを詰めて行く。


「オガアァアアッ!」


 そこから強烈な殺意を感じてか。シンは天を衝くほどの絶叫と共に、二本の剣を同時に振り抜く。

 袈裟斬りと横斬り。全く異なる軌道を描く双刃が、老境の武人に振るわれた。


「――ホォオゥッ!」


 それに抗するが如く、グランニールも右脚で横斬りを受け、左脚のハイキックで剣閃を凌ぐ。……その一瞬から生まれる隙が、好機だった。


「……アチャアッ!」

「……!」


 それは、まるで閃光のように。突き出された文字通りの鉄拳が、鉄仮面の顎を打ち抜いた。不動の鎧騎士が初めて、天を仰いでよろめいていく。


「ガァ……ァ!」

「お前は二つ。私は四つ。……得物の数が違う!」


 鉄製のセスタスで殴られたシンが見せた、一瞬の隙。そこに全てを、ぶつける。

 グランニールは両手を地に叩き付け、両足を一気に振り上げた。そこから、大きく開かれた二本の脚が唸りを上げ、空を裂くように振り抜かれて行く。


 狙うは鉄仮面。シンの顔面。

 その一点にのみ狙いを集中し、武人は渾身の蹴りを放った。


「――阿修羅連哮脚ッ!」


 轟音より速く。抉るように深く。

 鋼鉄を纏うグランニールの脚が、一発、二発と鉄仮面を打つ。刹那、老境の武人が放つ壮絶な怪鳥音が、絶え間無くこの空間に反響した。


「ゴ……!」

「ホォウアチャァアッ! リャァアタタタタタタァァァァッ!」


 怯んでも終わらない。片膝を着いても止まらない。シンが地に伏せるその一瞬まで、休むことなく回転と蹴りを続行した。


 ……そう。例え、百発を越えても。


(これほど、とはッ……!)


 百を超える蹴りを顔面に浴びながら。絶え間無く、常人なら一発でも瀕死を免れない阿修羅連哮脚を喰らい続けながら。

 それでもなお――シンの牙城は崩れなかった。片膝を着きながらも、しっかりと上体を維持したままでいる。


 そして、最後に音を上げたのは……グランニールの方だった。


「ぐッ!?」


 高齢に体力を奪われてか、百五十発を超えた段階で、徐々に威力は失われつつあった。その弱り目を、技を受けていた当事者のシンが見逃すはずがない。

 二百発目に放たれた蹴りは、鉄仮面を怯ませる威力には至らず。二百一発目の蹴りは、とうとうシンの剣によって防がれてしまった。


(弱点には違いないはず! その一点のみをここまで攻められていながら、この程度のダメージしか受けておらんのか!? なんという……生命力!)


 そして……容赦無く。

 シンは二本目の剣を、死の宣告を下すかのように――天へ翳す。


(アルフ……!)


 この一閃に、慈悲はなし。


 ◇


 ――その頃。静寂が訪れた港町の街道には、騎士達の身体が死屍累々と横たわっていた。絶え間無く響くうめき声が、彼らが味わう痛みを物語っている。


「……」


 自分に向かう殺気が絶えたことを悟った黒衣の剣士は、そんな彼らを一瞥したのち銅の剣を鞘に収め、視線を丘の屋敷へと向ける。

 鉄仮面が放った殺意の濁流は、屋敷の外にまで溢れ出ていた。


(……グランニールさん、シュバリエル君……!)


 それを悟るや否や、ダタッツは目を細めて屋敷へ疾走する。全てを飲み込まんと溢れるプレッシャーが、警鐘となっていた。


 ◇


 全ての兵力を出し尽くしたのか、すでに屋敷はもぬけの殻となっていた。衛兵一人残さず駆り出し、結果ダタッツ一人に全滅させられたようだ。

 屋敷内に辿り着いた黒衣の剣士は、あちこち亀裂が走る天井や床を見渡す。悍ましい殺意だけが充満し、それ以外の人の気配がまるで感じられない――さながら、幽霊屋敷のようであった。


 だが、薄暗い視界であっても殺意の出処を探し当てることはできる。その闇に淀んだ気配を肌に感じたダタッツは、ひび割れた壁に手を這わせながら、屋敷内を進む。

 ――やがて見つけた「出処」で、地下に続く大穴を見つけたのは、その直後だった。


 その穴からは、まるで噴火のように禍々しい殺意が噴出している。……全てを察するには、それで十分だった。


 ダタッツは腰から銅の剣を引き抜き、すぐさま穴に飛び込んで行く。そして、空中でふわりと一回転して着地した先では――


「……!」


 ――燭台に僅かに照らされただけの、無機質な空間。その床や天井に飛び散る、おびただしい血痕。

 無音に等しい、この静けさの中で……天井から滴り落ちる血の音だけが、無情に反響していた。


 こちらに向けられる、二つの青い光。その周囲には、禍々しい鉄仮面と鎧に身を固めた二刀流の剣士のシルエットが、おぼろげに伺える。


 そして剣士の足元には。


 血だるまになるまで切り刻まれた、グランニールが倒れていた。


「……ッ!」


 この地下室に漂う血の匂い。天井から滴り落ちる血の音。それが誰のものかが明白になった今、もはや容赦の余地はない。

 ダタッツは一瞬にして仇敵の懐に踏み込むと、横一閃に剣を振り抜く。二刀流の剣士――即ちシンは、その外見にはまるで似合わない身のこなしで、ひらりとそれをかわした。


 シンが地面に着地した瞬間、無音だったこの空間に凄まじい金属音が反響する。その轟音が、決戦の幕開けを告げていた。


「グランニールさん!」


 だが、ダタッツはシンと相対しつつ、グランニールへの対処を優先した。先ほどの一閃も、グランニールからシンを引き離すため。

 声を掛けられた老境の武人は、うめき声と共に身を起こすと、朦朧とした己の視界に黒の長髪を映した。


「……ダタッツ君、か」

「遅くなりました。シュバリエル君は?」

「逃げたバルキーテを追った……。すまん、君にこのようなことを」

「……いえ。ジブンはすでに、彼と戦うことも覚悟の上でしたから」


 壁にもたれかかりながら、グランニールは意識を明瞭に覚まし、身を起こしていく。全身を刻まれ、これほどの血飛沫を上げていながら、まだ立ち上がる体力まで残していたことに、ダタッツは驚嘆する。

 ……それほどまでに、シンの打倒にこだわっていたのかと。


「ダタッツ君。……君は、知っているね?」

「……!」

「何を、とは言わん。なぜ、とも聞かん。だが……もしも君が、その剣で戦おうというのなら……『救って』くれ、彼を」

「……」


 そして、さらに彼の口から出てきた言葉に、思わず目を剥いてしまう。

 ――グランニールは、気づいている。シンの実態にも、自分の正体にも。それを悟ったダタッツは、その心中を慮り暫し目を伏せる。


 やがて目を開いた彼は、静かに……それでいて厳かに、銅色の切っ先をシンに向ける。その眼差しは、手にした剣よりも遥かに鋭く、仇敵を貫いていた。

 「救わねば」ならない仇敵を。


「グ、ォ、ガァアァアア! テ、イコ、ク、ユ……ウ、シャァアアアァアッ!」


 そんな彼と相対するシンは、突如悶え苦しむかのように絶叫を上げて二本の剣を振り回す。だが、やがて血走った狂気の碧眼は動きを止めると、荒い息に揺れながらも真っ直ぐにダタッツを射抜いた。


(アルフレンサー。……あなただけは俺が、「帝国勇者」伊達竜正だてたつまさとして、引導を渡す。そうしなければ、誰一人「救われ」ない!)


 ◇


 ――五年前。大陸を統べる帝国は、小国であるはずの王国の抗戦に苦戦を強いられ。五年にも渡る小競り合いを繰り返していた。

 そんな膠着状態に終止符を打つべく、かつて魔王の支配から世界を救う為に齎された魔術「勇者召喚」を決行。異世界から遣わされる人類の希望であるはずの勇者を、戦争の兵器として投入するという邪道に踏み込んだ。

 結果として帝国は王国を征服したものの、勇者自身も戦火の中に行方をくらまし、人々は戦死とされた彼に畏怖と皮肉を込め、「帝国勇者」と称した。


 過去にも帝国は、魔王が消え去り平和を迎えた大陸を制覇すべく、神が魔王に抗する術として齎した「魔法」を侵略に利用してきた。

 その行いに怒った神が、魔法の力を人類から奪い去ってから数百年。彼らは最後に残された希望さえ、戦争に利用したのである。


 だが、どのような理想や正義を掲げたところで、結局は力こそが絶対。神の使徒たる勇者の力を人間に向けさせたとて、それを咎められる力がなくば、誰もが口を噤むしかない。

 支配下に置かれた王国も、そう。力がないがゆえに蹂躙され、己の正義を踏みにじられた。その怒りさえ、容易く踏み潰してしまう力によって。


 しかし。


 だからこそ、力ある者が正義を重んじ、弱者を守らねばならない。


 その理念を背に、死を偽り帝国勇者としての己を捨てた伊達竜正は、自身に斬られながら生き延びたために狂気に堕とされた騎士達を救うべく戦った。


 だがそれすらも、エゴの域を出ず。正気を取り戻した騎士達は、狂った自分達が守るべき民を殺めていたと知り、竜正に涙ながら介錯を求めた。

 殺す力しかなく、救う力を持たない少年は。ただ彼らの「救い」になると信じて、剣を振るより他なかった。


 それは伊達竜正の名さえ捨て去り、ダタッツと己を改めた今でも変わらない。

 殺すことで救う。救うために殺す。矛盾の極致たるその理念の中にしか、彼が選べる正義はなかったのだ。

 選べるとしたら、それは。


 苦しまずに殺すか、否か。

 その二択しかない。


 だから彼は、前者を望む。罪を贖う資格さえ持たない超人が、ただ一つ人間を救える術として。


 ◇


「オッ、ゴ、ォ……オァオォッ!」

「……ッ!」


 狂乱の気を纏う鉄仮面の刃。二振りの妖しい輝きを放ち襲いくる、その技をダタッツはよく知っている。

 王国式闘剣術、叢雲之断。二本の剣で不規則に斬りつけ、相手に剣閃を見切らせずに斬り捨てる技だ。

 剣を握る左右の手を非対称に振り、さらに剣速も緩急自在に操る技であり、王国騎士団でも会得者は片手で数えられる程度もいないと言われている。

 騎士アルフレンサーはこの技を以て、何百人もの帝国騎士を斬り伏せてきたのだ。


「ウァガァオォアァアアァアッ!」

「……!」


 その不規則に乱れ飛ぶ斬撃を。ダタッツは鮮やかにかわしながら、懐へと踏み込んで行く。軌道を読むことが困難であることが特徴の、叢雲之断を前にして。

 そして自身に肉迫する剣の手元を柄で押さえ付け――手首を返し、脇腹に強烈な一閃を見舞う。音のエネルギーすら破壊力へと変貌し、鈍い音と共にシンの巨体が大きくよろめいた。


「グガ、ガ、ガガゴ……!」

「……」


 そんな狂人の姿を前に、ダタッツは寸分の油断も見せることなく静かに剣を構え直した。脇腹に受けた衝撃の重さゆえか、シンは息一つ乱さない相手とは対照的に、激しく肩で息をしている。


 ――本来、剣士の一騎打ちで同じ相手と複数回に渡って戦うケースは稀。

 ダタッツの帝国式投剣術にしろ、シンの王国式闘剣術にしろ、初めて遭遇した敵をその場で殺す前提で技を練っている。

 ゆえに、全く同じ相手と同じ流派のままで戦い合うこと自体が異常なのだ。どちらも同じ相手と戦い続けていると、次第に手の内を読まれてしまうもの。今のシンのように。


 そのうえ――狂気ゆえに彼の技は、どこか精彩を欠いていた。グランニールの動体視力でも看破できないほどの微々たる変化だが、五年前に剣を交わしたダタッツは、その僅かな違いを敏感に感じ取っている。


(俺に斬られた影響で、精神に異常を来たしているせいで――剣閃が乱れ、僅かだが狙いが甘くなっているな。……それだけじゃない。阿修羅連哮脚も、効いていないわけじゃなかったんだ)


 一撃目の剣を盾で受け流して軌道を逸らし、二撃目を放つ手を柄で打ち、手首を捻って頭部に一閃。そのカウンターを一発浴びただけで、シンの足取りに揺らぎが生まれた。

 効いていないようだったグランニールの蹴りは、確かに影響を残していたのだ。銅の剣の一閃のみでは、ここまでふらつくことはない。


「ゴ、ォッ……!」

「……!」


 すると。それまで制圧前進あるのみで、引き下がる気配などまるでなかったシンの挙動に変化が現れる。地を蹴り、大穴から上の階層へと飛び上がる彼を追い、ダタッツも地上へと向かった。


「……シンが、退いた……! まさか、あれほどの強さとは……」


 その戦況を、ただ見ているしかなかったグランニールは、血潮に染まる己の身を引きずり、彼らのあとを追うように歩き出す。その足取りは重苦しく、彼は息を荒げながら天を仰ぐ。


「帝国勇者、か……」


 その標準はどこか、憂いの色を帯びていた。


 息子を一度殺した男に、息子の介錯を託す。そうせざるを得ない、己の弱さを噛み締めるかのように。

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