第2話 港町の真実

「いやはやぁ……! あなた様のような大層腕の立つお方が、どこにも仕えていない旅の剣士であったとは! そのような武器であのグランニール共を撃退せしめるとは、まっこと素晴らしき実力!」

「……いえ、ジブンなど所詮は井の中の蛙。それよりも、住民に被害が及ばずに済んで何よりでした」

「おぉ……その謙虚な姿勢。力なき民への愛! ますます素晴らしい! 旅人の身であることが勿体無いですぞ! いかがです、私の町で用心棒となっては!? 給金は弾みますぞ〜!」

「先ほども申し上げましたが、ジブンは――」

「――あぁわかっておりますとも、我が国の王都を目指しておいでだとか。雇用の話は冗談ですとも、えぇ冗談。ダタッツ殿ほどの方が、こんな小さな港町の用心棒に収まるはずがありませんものな。ですが、あなた様に町が救われたことは事実。是非ともこの町で羽を休め、英気を養って頂きたい」

「……ありがとうございます」


 この日の夜。

 戦いを終えたダタッツは、海賊グランニールの一味を撃退した戦功を讃えるとして、町長バルキーテの屋敷に招かれていた。

 蒼い豪華絢爛な洋服を纏い、艶やかな金髪をロールした髪型である彼は、食事の席にダタッツを招き彼の剣腕を褒めちぎっていた。デップリと太り、首と胴体が繋がった醜悪な容姿を持つ彼は、粘つくような視線でダタッツを見つめる。


(長い髪と聞いておったから期待しておれば、男とはな。服や装備の割りには見目麗しいことだし、女であれば儂の愛人にしてやろうと思ったのだがなぁ……ちっ)


 そんなバルキーテの胸中を知ってか知らずか。ダタッツはため息と共に彼から視線を外し、窓から港町の夜景を見遣る。

 町の窓から漏れる光が街道と海を照らし、幻想的な輝きを放っていた。


「……しかし、驚きました。あのグランニールの一味が、元町長とその子息とは」

「えぇ。我が町の内輪揉めとも呼べるこの件に、あなた様の手を煩わせてしまい、謝罪の言葉もありませぬ」


 ダタッツの言葉に、バルキーテは深く頭を下げる。


 ――五年前。この港町を領地とする王国と、大陸の大部分を支配下に置く帝国との間では、戦争が起きていた。

 圧倒的な軍事力を要する大国の侵略に、王国は兵士一人一人の「質」で対抗。かつては数多くの勇敢な王国騎士が、帝国の侵略者達に立ち向かったという。

 だが、所詮は多勢に無勢。圧倒的物量差の前では王国騎士も限界があり、次々と戦場に倒れて行き――帝国が戦争終結への決戦兵器として、異世界の「勇者」を召喚したことがとどめとなった。

 一騎当千の「質」を持つ絶対戦力の「帝国勇者」を前に、王国騎士達は徹底的に叩き潰され、王国は敗走。ついには敗戦国として、帝国の属国に成り下がってしまった。

 終戦時に帝国勇者が戦死してからも、帝国の支配は未だ続いている。


 その戦火はこの港町にも及んでおり、当時町長だったグランニールは、息子の王国騎士アルフレンサーに戦いを押し付け、自らは次男のシュバリエルと二人で住民を置いて逃げたのだという。アルフレンサーが戦死した後も、二人はとうとう戻らなかった。

 そんな彼に代わり、今ではバルキーテが町長として町を統治しているらしい。通常、属国となった王国の各都市には帝国の駐屯兵が居座るはずだが、この港町はバルキーテの「嘆願」により、駐屯兵の常駐を免れているようだ。

 そこへグランニールとシュバリエルが、海賊となってこの町を奪還しようと襲撃して来たのが、戦後すぐ。つまり五年間に渡り、グランニールの一味は自分達が町長の務めを放棄して逃げ出した町を、奪おうとしてきたらしい。


「全く奴らの厚顔無恥ぶりには、同じ港町の人間として恥ずかしい限りですな。ダタッツ殿にも、事情の説明とはいえ聞くに堪えない話をしてしまいました」

「いえ、訳を知りたいと申し上げたのはジブンですから」

「そうですか。いやはや、ダタッツ殿の慈悲深いお心には、心底頭が下がりますなぁ」

「……」


 にこやかに両手を擦り合わせるバルキーテ。そんな彼の張り付いたような笑顔を、ダタッツは暫し神妙に見遣る。


(……妙な話だ。強欲な帝国軍が、小さな港町の町長一人の「嘆願」だけで、駐屯兵を置かないはずがない。それにあの人達の眼は……)


 そこまで思考を巡らせたところで、ダタッツはある一つの事柄を思い出す。


「そういえばこの五年間ずっと、グランニールの一味を追い払ってきた用心棒がいらっしゃるのですよね」

「シンのことですかな? あやつは戦後に私が拾った剣士でしてな。元騎士だそうですが、戦火のせいなのか過去の記憶がないそうでして。腕は立つので私の護衛をやらせておりますが、何しろ不気味な奴でしてなぁ。他の騎士達も含め、誰も近寄らんのです」


 五年間、グランニールの一味と戦い続けてきたという「シン」。

 騎士達も語ることを控えていた、謎の存在。その人物のことが、どうにも気掛かりだったのだ。

 僅か一瞬の太刀合わせしかしていないが、グランニールがかなりの手練れであることは肌で感じた。シュバリエルも、決して弱いとは言い難い戦士だった。

 そんな彼らを五年間も跳ね除けてきた猛者とは、一体何者なのか。


「そうですか……。とても強い方であると騎士の方々から伺っておりましたので、一度お会いしたいと思っていたのですが」


「いますよ、シンならそこに」


「え……?」


 その実態は、ダタッツの想像はおろか――索敵能力すらも超えていた。


 バルキーテが指差す方向へ、振り返ったダタッツの視線の先。そこには、二振りの剣を腰に差した鎧騎士の像が飾られていた。

 二メートルに迫るほどの、圧倒的な体躯。赤いインナーの上に纏われた、漆黒の鎧。悪魔すら可愛らしく見えるほどの禍々しさを湛えた、髑髏状の鉄仮面。

 腕を組み、仁王立ちの姿勢で静止している、その像。それが、「シン」だとバルキーテは言う。


(……部屋に入ってから、人の気配はバルキーテさんか、料理を運んでくるメイドさんくらいしか感じなかった。この像が「シン」だというのか……?)


 ダタッツは信じられない、とばかりに席から立つと、像に歩み寄り髑髏兜を見上げる。生きている人間とは思えぬほどに、その身は微動だにせず静止していた。

 ――生きていない像であれば、それで当然なのだが。


「……」

「――ッ!?」


 人が入っているはずがない、髑髏の鉄仮面。その眼が覗いている部分と――眼が、合った。

 先ほどまで真っ黒で見えなかったはずの、その「眼が覗いている箇所」からは、確かに碧い瞳が輝いている。人間の、瞳が。

 その現象は、この鎧の中に「人間」がいることの証明となっていた。正しくは、ダタッツの索敵能力を欺く人間がいることの。


「シン。そんなところにいつまでも突っ立っていては、ダタッツ殿の食事の邪魔になろう。席を外したまえ」

「……」


 バルキーテは、戦慄のあまり硬直しているダタッツを尻目に、像に命令を下す。傍目に見れば、それは物言わぬ像に話し掛ける道化の所業。

 だが――物々しい金属音と共に、像だった「シン」が動き出した今となっては道化とも言い難い。鉄と鉄がこすれ合う、歪な音と共にシンは台座から降り、カーペットの上を歩く。


 本の数秒前まで、本物の像のように微動だにしなかった鉄の塊が、人間と違わぬ挙動で歩いている。その現象を、ダタッツはただ茫然と見ているしかなかった。


(まる、で……気配を感じなかった。しかも、あの目……あの目は……!)


 だが、彼を釘付けにしていた理由は、自分が気配を感知出来なかったことだけではない。あの碧い瞳が孕んでいた「狂気」に、見覚えがあったのだ。


 ――帝国勇者に斬られた人間が、辿る道は二つ。そのまま剣の錆となるか。あるいは、「生」と引き換えに「狂」に堕ちるか。

 ダタッツは、後者の色を知っている。斬られた者の運命を破壊する、「狂」の色を。


 そして。


『テイ、コク。ユウシャ』


「……!」


 動く鎧騎士像が、部屋から消える瞬間。


 自分のものでも、バルキーテのものでもない「声」を、ダタッツの聴覚が拾い上げる。

 小さ過ぎて、声であるかどうかも疑わしいほどに、小さな音。


 だがその程度の事象でも。


 彼に全てを悟らせるには、十分だった。


 ◇


 ――翌日。

 バルキーテ邸で朝食を摂った後、ダタッツは町へと繰り出していた。昨日は港町に到着早々戦いになった上、そのあとすぐにバルキーテ邸に招かれたため、町の散策も満足に出来なかったためだ。

 これから王都を目指して旅立つ以上、必要なものは自分の目で確かめて買い集めなくてはならない。常に自給自足の旅人にとっては、鉄則である。


 ……それでなくとも、あのシンという男の近くにはいない方がいいとも感じていた。近寄る者全てを切り捨てんとする、あの眼光。騎士達が近寄らないのも、当然である。


(シンはあの時……確かに、「帝国勇者」と口にした。まさか、彼は……)


 とりわけダタッツとしては、どうしても近くにはいられない、さる「理由」があったのだ。


(……しかし……)


 そういった事情から、彼は朝早くから港町を散策しているのだが――どうにも気掛かりなところがあった。

 自分を見る町民達の眼が、どこか冷淡なのだ。どちらかといえば、敵意、あるいは畏怖すら感じられる。


 彼自身としては、別に見返りが欲しくてグランニールの一味と戦ったわけではない。だが、町を脅かしていた海賊を撃退した者への態度としては、妙だ。

 まるで海賊を撃退した自身の方が、悪者と見られているかのような……そんな得体の知れない、気味の悪さがあった。


「……」

「ハハハ、でよー。……んっ? げ、げっ!? ダタッツ様ッ!? へ、うへへへ、お疲れ様でさぁ!」

「ダタッツ様も一杯どうっすかぁ?」


 それだけではない。あちこちで王国騎士が巡回しているようだが、勤務態度は優秀とは言えない者ばかりであった。

 町民も王国騎士が近づくと蜘蛛の子を散らすように逃げ去っている。今こうしてダタッツと対面している二人の騎士も、路地で飲んだくれていた。


 ――敗戦以来、優秀な騎士の殆どを戦争で喪った王国騎士団には、劣悪な生き残りが犇めくようになったと聞く。が、これは想像以上の有様であった。

 これでは、国のため民のためと戦場に散った王国騎士達も、浮かばれない。


「……」

「あ、あれぇ? どこ行くんすかぁ? 俺らと一杯やりましょうよぉ!」

「バッキャロ! シン様に並ぶかも知れねぇ腕の人だぞ、下手な口きくと首チョンパだぜ!」


 ダタッツは悲痛な面持ちで踵を返し、この場を立ち去って行く。そんな彼の後ろで交わされる言葉は、弱肉強食となってしまったこの時代を象徴しているようだった。


(……何かがおかしい。この港町で、何が起きている……?)


 ◇


 あれから、どれほど歩き回ったか。そんな感覚すら曖昧になり始めた頃、気づけば酒場へと足を踏み入れていた。

 やはり、と言うべきか。すでに店内は騎士達の溜まり場となっているようであり、店員も他の客も萎縮しているようだった。


「おいこらぁ、何モタモタしてやがんだ! 酒出せ酒ェ!」

「も、申し訳ありません、もう今日の分は……」

「うるせぇ、だったらさっさと仕入れてきやがれッ!」

「がぁッ……!」

「父さんっ!? ――ちょっとあんた達、いい加減にしなさいよ! それが騎士のやること!?」


 そんな中、酒が切れたことにいきり立つ騎士の一人が、バーテンダーを殴り倒してしまった。その短い悲鳴を聞き付けたウェイトレスが、怒号を上げて詰め寄って行く。

 周りの客はウェイトレスを引き止めようとするが、彼女は意に介さずズカズカと踏み込んで行った。


 翡翠色のショートヘアを揺らし、強気な輝きを放つ碧眼で騎士を射抜く、色白の美少女。床を踏み鳴らして進むたびに、そのたわわな双丘が上下に揺れていた。

 そんな彼女の眼光を浴びてなお、騎士は怯むことなく下卑た笑みを浮かべる。上玉の獲物が自分から寄ってきた――と。


「へへ、なんだぁタスラ。守られるだけのか弱い一般市民が、命張って戦って下さってる騎士様に口答えかぁ?」

「どの口がッ……! あんた達、グランニール様を裏切って恥ずかしくないの!? 戦前のこの町を、忘れたのッ!?」

「タ、タスラやめなさい!」

「父さんは黙ってて。あたし、やっぱり許せないよ。こんな奴らが、バルキーテがのさばってるままなんて! みんなシンのせいよ、あいつさえいなかったらグランニール様がとっくに……!」


 殴られた身でありながら、娘の糾弾を止めようとするバーテンダー。そんな父の制止も聞かず、タスラというウェイトレスはさらにいきり立つ。

 そんな彼女がしきりに揺らす胸を、厭らしい眼差しで見遣りながら、騎士は下品な笑い声を上げた。


「ひ、ひひひひ。どうやら娘の教育がなってねぇようだなマスター。いいかタスラ、この世界は所詮、弱肉強食。強ければ何をしたって許されるし、弱い奴には何の権利もねぇ。それはこの王国が、帝国に押し潰された『歴史』が証明してる」

「……何が言いたいの」

「つまり海賊に堕ちたグランニールは弱いから悪いってことさ。バルキーテ様が強い、だから正しい。結局は勝てば官軍なんだよ。グランニールが正しかろうが、負けたあいつは賊軍さ」

「……〜ッ!」


 かつてグランニールに仕えていた騎士から、出て来た言葉がそれだった。かつて彼が治めていた平和な港町を知る彼女は、それに耐え切れず――感情のままに右手を振り上げる。

 だが、騎士は平手打ちを放とうと振るわれた手を用意に掴み、その攻撃を封じてしまった。


「こ、のッ……!」

「……まー、それはさて置くとしてだ。お前、この五年でイイ身体に育ったよなぁ。胸も尻もムチムチして、たまんねぇ」

「ひ、やッ……!」


 そして歪に口元を緩め、舌舐めずりと共に彼女の肢体に手を伸ばす。豊満な肉体を這い回る手の感触に、少女は苦悶の声を漏らした。

 力で抑えられては反撃のしようもない。むしろ彼女にとっての懸命な抵抗は、余興として騎士を愉しませているようだった。

 王国騎士にあるまじき、外道の所業。本来ならばそう糾弾されるべき彼の行いを、仲間達はニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて静観している。そればかりか、便乗して彼女に手を出そうという相談まで始めていた。


「タスラ! ど、どうかおやめくださ――ぐっ!」

「と、父さんっ!」

「余計な真似すんじゃねーよ、今イイところなんだからよ」


 無力な市民達に、それを止める力はない。辱めを受けようとしている娘を救おうと、無謀を承知で助けに行こうとした父は、彼の仲間に取り押さえられてしまった。

 その惨状に声を上げようとしたタスラは、カウンターの上に押し倒されてしまう。直後、騎士の膂力が彼女の服を剥ぎ取って行った。


「きゃあぁあ!」

「ほおぉ、こりゃ予想以上だ。肌も白くてたまんねぇな、ホラこっちも見せな!」


 スカートとブラもむしり取られ、白いパンティ一枚にされて行く。露わにされた胸を両手で隠そうにも、騎士の腕力で押さえつけられていては叶わない。

 そして最後のお楽しみとばかりに、その指がパンティに引っ掛けられる。陵辱の未来を予感し、羞恥の余り顔を赤らめる彼女は、目尻に涙を浮かべながら瞼をきつく閉じるしかなかった。


 そして無情にも、彼女の秘部を守っていた最後の砦が破られる――瞬間。


「ぼげがッ!?」

「……っ!?」


 騎士の顔面に何者かの裏拳が減り込み。同時に、タスラの肢体の上に、緑の上着が被せられた。

 何が起きたかわからず、上着で前を隠しながら身を起こした彼女の前に――黒の長髪と赤マフラーを靡かせる、謎の男が現れる。


 黒衣を纏う黒髪の剣士。得体の知れない第三者の乱入に、騎士達や市民達の間にどよめきが広がる。だが、当の剣士はそんな周囲を気にも留めず、尻餅をついたまま自分を睨みあげる騎士を一瞥した。


「なんだァてめェは! この町の騎士様に舐めた真似して、ただで済むと思ってんじゃねェぞ!」

「……」


 そんな彼に向けて飛ぶ怒号で、周りの騎士達が我に返っていく。程なくして彼らは、自分達に楯突く曲者に向け、剣呑な眼光を集中させた。

 ――が。その時は長くは続かなかった。


「お、おいお前ら何してんだよ!? ダタッツ様だぞ、その人!」

「殺されるぞ!?」


 ゲラゲラと嗤いながら酒場に入ってきた、他の騎士が驚愕の声を上げたためだ。彼らはグランニール一味を撃退したダタッツを相手に、剣呑な面持ちで剣を抜いている仲間達の光景を目の当たりにして、酔いが覚めたかのように叫ぶ。


「……ッ!? ダ、ダタッツっていやぁ、昨日グランニール一味を追い払ったって言う……!?」

「確かシン様に並ぶ実力者って……!」

「……!?」


 そんな同胞の勧告を受けて、ダタッツに斬り掛らんとしていた騎士達に緊張が走る。すでに昨日の戦闘のことは、参加していなかった一部の騎士達にも広まっていたのだ。

 そして、そんな彼らを通して市民達の間にも、ダタッツという来訪者のことは知れ渡っている。

 予想だにしなかった噂の剣士の登場に、騎士達も市民達も衝撃の余り、あんぐりと口を開けていた。


 やがて、噂に違わぬ銅の剣が、彼らの眼前で引き抜かれた時。


「も、申し訳ありませんでしたァァァァ!」


 自分達が剣を向けている相手。その実態に辿り着いた騎士達は悲鳴を上げ、我先にと酒場から逃げ出して行く。鞘から出掛かっていた銅色の刃は、彼らの足音が消え去ると共に、元の場所へと納められた。


「……」

「あん、たが……」


 一瞬にして酒場にたむろしていた騎士達を追い払ってしまった黒衣の剣士。その背を暫し、タスラは複雑な表情で見つめていた。


 ◇


「嘘っぱち?」

「そうよ。全部、バルキーテの嘘八百。あんただって見たでしょ、あいつらの所業」

「確かに……。ここにいる王国騎士達の言動から、彼らの言い分を汲むのは難しいな」


 騎士達が去り、束の間の平和が訪れた港町の酒場。そこで唯一、剣を携えている黒髪の青年の席に、一杯のアイスミルクが運ばれる。

 それを持ってきたウェイトレスは服を着替え、二着目のドレスに身を包んでいた。彼女は、その力量には不釣り合いな飲み物を注文する青年を、訝しげに見つめる。


「にしてもアイスミルクって……あんた強い癖に子供っぽい物頼むわね」

「メニューによると酒以外の飲み物が、これだけだからな。未成年である以上、酒は飲めない」

「十八歳なんでしょ? その歳で酒が飲めない国なんてあったっけ……」

「遠い故郷ではそうだった。それだけのことだ」


 タスラの視線を気にすることなく、ダタッツはアイスミルクに口を付ける。そして、神妙な面持ちで彼女を見上げた。


「……しかし、戦中に逃げ出したのがバルキーテの方だったとはな。眼の色からして、話に聞くような傑物ではないと感じてはいたが」

「あったりまえでしょ! あいつがあたし達の味方なわけないじゃない!」


 ダタッツがふと漏らした言葉に、タスラは眉を吊り上げる。その瞳は、憎き現町長への怒り一色に染まっていた。

 ――ダタッツが聞いたバルキーテの話は、全て偽りだったのだ。


 戦時中、帝国の軍勢がこの港町に迫った時。

 当時、町長選挙でグランニールに敗れ、彼の補佐官を務めていたバルキーテは、町長邸の金庫から資金を盗み出し、僅かな数の部下を連れていち早く港町を脱出していた。

 バルキーテに資金を盗み出されたグランニールは、町民を逃がすための馬車を工面することも防衛兵力を買い集めることも出来ず、常駐していた王国騎士達と協力して街を守るために戦う道を選んだ。


 降伏すれば、待っているのは殺戮と略奪。町民を逃がす足も手に入らない以上、死力を尽くして戦うしかなかったのだ。


 町民を守るために自ら戦場に立つグランニール。そんな町長の姿に、数多くの王国騎士が加勢した。彼の長男であり、王国騎士達を束ねる隊長格だった青年アルフレンサーも、その一人である。

 アルフレンサーは父グランニールと、弟シュバリエルを守るため、斬り込み隊長として帝国軍と激突。獅子奮迅の活躍で、帝国軍の攻勢を抑え込んだ。

 だが、結局は多勢に無勢。帝国軍の物量に勢いを殺されたアルフレンサーは、父や弟が撤退する時間を稼ぐことが精一杯だった。


 さらに、そんな彼にとどめを刺すように。帝国勇者が、戦場に加わったのである。

 港町近辺の森林にて、帝国勇者と交戦したアルフレンサーは敢え無く討ち取られ、奈落の底へと消えた。父と弟の無念を残して。


 やがて王国騎士達も次々と倒され、グランニールは涙を飲んで降伏を受け入れた。ここまでが、我々にできる精一杯だったのだと。


 しかし降伏後も、港町が帝国軍に蹂躙されることはなかった。


 ――そのタイミングで、バルキーテが現れたのである。グランニールから盗んだ資金を元手に、帝国軍と賄賂で繋がった状態で。


 グランニールやアルフレンサーが抗戦している間に、帝国軍と接触して繋がりを持っていたバルキーテは、賄賂と引き換えに港町の統治権を買収。港町の支配者として返り咲いたのだ。

 賄賂の工面のため、重税で町民達を苦しめながら。


 今ではバルキーテの圧政に苦しみながら、辛うじて生きている町民が大半となっている。かつてグランニールと共に戦った騎士達は戦場に散り、今ではバルキーテの息がかかった者達ばかりが、王国騎士としてこの町で幅を利かせていた。


 一方、バルキーテの裏切りにより殺されかけたグランニールとシュバリエルは海に逃亡することを余儀無くされ、以来五年間、海賊としてバルキーテから町を解放するための戦いに挑み続けている。

 バルキーテの喰い物として街が潰されるくらいなら、帝国軍の常駐を許した方がマシ、という見解なのだ。窮地の際にあっさりと町を裏切り、賄賂で権益を買収した彼の所業を鑑みれば、それも当然と言えるだろう。


「アルフレンサー様さえご健在なら、バルキーテなんてすぐにやっつけられたのに……。シンのせいで……」

「……あのシンという男、一度だけ会ったが間違いなく只者じゃなかった。何者なんだ……?」

「わからないの。バルキーテの用心棒ってことしか……。それと何故か、アルフレンサー様と同じ剣術を使うらしいの。この町を押さえつける力の象徴が、アルフレンサー様の技を使うなんて……許せないッ!」


 語っているうちに怒りが再燃したのか、タスラは拳を握り締め、唇をきつく噛み締めた。かつてこの町を守るために殉じた騎士の技が、今は町を脅かしている。その当て付けのようにも取れる現状が、彼女の怒りを煽っているのだ。

 そんな彼女や、話を聞いて鎮痛な面持ちを浮かべる町民達の表情を見れば、グランニール親子がいかに慕われているかが容易に窺い知れる。


(……五年前、この港町近くの森林で戦死。しかし遺体は奈落に消えて発見されず……か。そしてあのシンという男が、王国式闘剣術の使い手とはな。……やはり、間違いない)


 そして彼女の口から語られた、この港町の真実から――ダタッツは、ある一つの結論に辿り着いていた。

 彼はアイスミルクを飲み干すと、勘定を置いて立ち上がる。


「ご馳走様。……ジブンがここに居ては、誰もいい顔はしまい。これで失礼する」

「ねぇ。あんた、ダタッツって言ったわね。……あんたは、あたし達の敵なの? 味方なの?」


 そんな彼に、タスラは訝しむような視線を向ける。自分を暴漢から守った男ではあるが、昨日の戦いでグランニール達と敵対した男でもある。

 言葉を交わした限りでは、悪い人間ではなさそう、というのが直感ではあったが。やはり善い人間であるとも信じ切れなかったのだ。現に、海賊と戦ってしまった以上は。


「……」


 ダタッツは、何も答えない。無言のまま、立ち去って行く。銅の剣を納めた鞘を、握り締めて。

 そんな彼の背中を、タスラはただ見送るしかなかった。敵かどうかもわからない相手に、罵声など浴びせられない。だが、味方という確証もない。

 誰も、何も語らないまま。黒衣の剣士は、静かに酒場から姿を消すのだった。


 そうして、酒場にようやく本当の平穏が戻る頃。タスラは思い出したように、視線をカウンターに移す。

 正しくは、そこに掛けられた、緑の上着に。


「……返し、そびれちゃったなぁ」


 ◇


 この日の、夜の帳が下りる頃。

 月夜に照らされた港町の夜景を、太ましい醜男が見下ろしていた。一重瞼の先に映る景色を前に、分厚い唇が歪に釣り上がる。


(ぐ、ふふふ。なんという愉快。なんという愉悦。奴の全てを奪い、踏み躙るこの感覚……堪らん、堪らんなぁ)


 醜男の名はバルキーテ。かつてグランニールの部下だった彼は、今やこの港町の支配者としての地位を欲しいままにしていた。

 太い指に囚われたワイングラスが、ゆらりと蠢く。


(儂の欲した地位と名誉を全て奪い続けてきた奴も、今や下賤な海賊。シンがおる限り、奴らの逆転は決してあり得ん。さらに今に限った話ではあるが、あのダタッツとかいう若造も儂を信じ切っておる。鬼に金棒、とはまさにこのことよ)


 彼はちらりと背後を見やり、銅像のように固まったままのシンを一瞥する。ダタッツさえ欺いた彼の不動の姿勢は、今この瞬間も実践されていた。


(思えば、あの時シンを……いや、アルフレンサーを拾わねば、儂はとうにあやつらに討たれていたやも知れん。ふふ、儂自身の強運に驚かされるばかりじゃな)


 目を細め、シン――と成り果てた男を見つめるバルキーテ。彼の脳裏に、五年前の記憶が蘇る。


 ……あの豪雨の夜。帝国軍と協力関係を結んでいたバルキーテは、奈落の底にアルフレンサーが墜落する様を目撃していた。帝国勇者の、投剣術と共に。

 遠巻きゆえに詳細こそわからなかったが、アルフレンサーが帝国勇者に討たれた事実だけは間違いなかった。彼が二刀流を得意とする騎士であることは、バルキーテも知っていたのだ。

 奈落に消える、二本の剣を持った剣士。その瞬間に居合わせたバルキーテは、数人の帝国騎士を連れて谷を下り、アルフレンサーの遺体を探すことにした。

 アルフレンサーの首を振りかざしてやれば、グランニールの心を完全に折ることができる。そんな歪な復讐心からの行動だった。


 ――が、思いの外早く見つかったアルフレンサーは。死んではいなかった。


 自分に纏わる記憶と引き換えに、一命を取り留めていたアルフレンサーは、バルキーテを命の恩人と誤認。それを好機と睨んだ裏切り者は、言葉巧みに「アルフレンサー」という人格を青年から消し去り――自分の用心棒「シン」に仕立て上げた。


 記憶喪失を差し引いても、どこか精神に異常を来たしている節はあったが――王国式闘剣術の達人を戦力として引き入れられるのは、大きい。

 自分に関する記憶がなくとも身体が戦い方を覚えているのか、剣捌きは間違いなく王国騎士のそれであった。


 以来、アルフレンサーだった男はシンと己を改め、バルキーテに忠実な傀儡と成り果てたのだ。

 記憶が失われ精神すらも朦朧とする中、義に報いねばならないという騎士の根幹だけが彼を支えていた。……それゆえ。彼は自我さえ曖昧なまま、忌むべき敵であるはずのバルキーテに仕えるようになったのである。


 そうして彼はバルキーテに仕向けられるまま、故郷奪還を目指して奮闘する父と弟に、剣を向けてきたのである。五年に渡り、絶えることなく。

 そんな親子同士の殺し合いを演出することも、バルキーテが仕組んだグランニールへの復讐の一つだった。この港町出身の下級貴族でありながら、名門出身の自分を差し置いて町長の座につき、町民の信望を独占した彼への。


(く、ふふ。くふふふふ。悔しいか。悔しいかグランニール。ざまあみろ。貴様ら一家を根絶やしにした後は、この港町だ。町民が死に絶えるまで重税を搾り取り、用済みになれば町ごと切り捨ててくれる。儂はその資金を元手に栄えある帝国に渡り、この港町は王国の地図から消え去るのだ)


 かつて王都で起こした不祥事から、この辺境とも言うべき港町にまで左遷されて十年。全ては、下級貴族にまで辛酸を舐めさせられた過去と決別し、強者の国である帝国でのし上がるため。

 彼は貪欲な野望と悪辣な復讐心の赴くまま、この港町に災厄を齎そうとしていた……。


 ――だが。


「敵か、味方か……か」


 その企みを見抜いている、とある黒衣の剣士が。自分と同じように港町を見つめていることは、知る由もなかった。

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