第6話 院長室

「院長、これが今宮掬子の資料です」

 数枚にわたる写真入りの書類を麗佳から突き付けられて、冴子は肩をすくめた。麗佳のどうでもいいところまで凝り性なのは昔からだが、冴子には掬子よりも重要な案件が星の数ほどある。

 喉元まで本音が出かかって、冴子は慌ててコーヒーを一口飲み込んだ。

「神内の今宮先生を、わざわざ調べる必要なんてないでしょう。うちの大切な職員です」

 神経内科教室の染谷医長は冴子と麗佳の同期にあたるし、そもそも同じ院内で働いているのだ、それとなく人柄は分かる。

 誰にでも笑顔と細やかな気遣いを絶やさぬ穏やかな女性。ふいに見せる憂いのある表情にそそられるのは、何も佳澄だけではないだろう。

「ま、私とは全然違うってことですね」

 ―女の趣味が。

「は?」

 冴子のつぶやきに、麗佳は一瞬にして双眸を鋭くする。こんなふうに分かりやすい女が自分には合うのだ、たぶん。

 と冴子が思っていることなど、つゆも知らず、麗佳はまくしたてた。

「あなたの趣味なんて、今更知ったこっちゃないですけど、心配なのは佳澄です。好意につけこまれて、弄ばれてるのではないかと」

「…よくもまあ、そんな妄想が」

「だって、ついこの間まで別に女がいたような女ですよ。こんな、いかにも、清純極まりない顔して!」

 吐き捨てるように言って書類をにらみつけた麗佳に、そっちこそ、まるで息子のことが何も分かっていない母親みたいじゃないかと言いたくなる冴子だったが、これ以上本心を言い続けたら、火に油を注ぐような事態になりかねない。

「えっと…とりあえず、引き続き、院内の信頼のおける先生やナースに調査をしてもらいましょう…か?」

「もちろんよ」

 気の強い妻に逆らえない夫を演じた冴子に、ようやく麗佳は溜飲を下げた。

「それとな、冴ちゃん」

 妙にあどけない声音と関西弁特有のイントネーションで、急に名を呼ばれて、冴子は背筋を凍らせた。

「はい、なんでしょう」

「冴ちゃん、うちはな、何事も、実際に顔付き合わせて、話してみな分からへんて思うんよ」

 老眼鏡の奥の目をきらきらさせて言い切る、根っからの精神科医に、冴子にしてはあからさまに大きく首を振った。言葉だけで無理なら態度で示す作戦だ。

「まだ、私たちが会うのは早急すぎる」

 それこそ、二人にとってまだ微妙な時期に、余計な人間が介入して下手を打ったら、佳澄に何て逆上されるか。

「だって、何考えてるか分からへんやん。おたくらみたいなタイプ」

「…おたくら?」

 麗佳の言葉を理解するのに、冴子はたっぷり5秒は必要とした。

「ま、そこが、ええんやろうけどなー、分からんでもないねん。でもな、振り回されるからなあ。苦労するん見えてるやん、うちみたいに」

 佳澄の女と自分をひとくくりにした上で軽くディスってくるパートナーを、冴子は呆然と眺めることしかできなかった。

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