第4話 天使降臨

 カーテンの向こうでは夜が明け始めていた。

 これで掬子は、二日続けて自分のではないベッドで目を覚ましたことになる。

「よく寝ていた、よかったな」

「結木さん…」

 名を呼ぶ声が枯れている。無理もない、あれだけの声を上げ続けたのだ。

気づけば何も身に着けていない半身を起こすと、自然と結木と目が合わさる。

ずっと掬子を見ていたのだろうと、聞かなくても想像がついてしまった。

「天使降臨だな」

「なっ」

 事後の朝にふさわしい、歯の浮くようなセリフを言ってくる相手に、掬子が絶句したのは、それだけが理由ではなかった。

「…なんて顔しているんです」

 ―あなたこそ、私にとって…

 まっすぐに掬子へと向けられる、一点の曇りもない笑顔。掬子にとっては、結木こそが何か、神々しい存在に映ったのだ。

「笑ったな…ここで初めて」

「…ええ」

 緩んだ表情に、掬子自身も気づいていた。そして、それが何よりも結木を肯定することになることも。

「結木さんだって…」

「当たり前だろ、やっと、ようやくこの日が来たんだ」

 色気の感じられない発言に、やはり結木は結木だと掬子は肩をすくめた。

「ねえ、結木さん」

「ん?」

 結木の髪を、しなやかな背中を、掬子は確かめるように触れる。掬子のそのままを受け入れると言った相手は、心地よさげに目をつむった。

「…結木さん、何が分かってたんですか?…最初から分かってたって」

 睦言にしては、強すぎる言葉のいくつかは、断片的に掬子の頭に残っていた。

「…こういう朝が、必ず私にやって来るってこと」

「すごい自信ですね」

 間髪入れず言ってしまったセリフに、結木も照れてしまったのか顔をそむける。

「いや、私は…ただ私は、掬が私の前で笑ってほしいと思っていただけなんだ」

「結木さん…」

 ―大切なのは…

 大切なのは掬子が男に生まれていたらと憂うことでも、朝美が結婚せずに生きると覚悟を持つことでもなかった。

 朝美の前では決して導き出されなかった言葉が、結木の前では答えとなって現れる。結木だからこそ…

「結木さん、これからも一緒にこうやって…私と笑ってくれますか?」

 その時、振り返った結木の表情を、掬子は忘れることはないだろう。結木の、結木らしい…掬子を案じるのとは違う表情。意志の強さが透けて見える、明るく前向きな笑顔。

「もちろん…あなたは?」

 そして、恋人と同じ気持ちで微笑むことができる自分が存在することも。

「私からも、約束します」

これから、何度でも今のような時間を過ごせるように願いをこめて、掬子は恋人を引き寄せ、口づけた。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る