14.器、記憶、題目、名前
かち、かち、と時計の音が響いている。
大広間の壁には様々な絵画が飾られ、天井には壮麗なシャンデリアが吊られている。
広間の中央に置かれた長テーブル。
その短辺の席にルシアンは着き、黙々と紅茶を飲んでいた。
「……味がせんな」
「茶はまだマシだ。このケーキなんざひでぇもんだぞ」
ケーキを頬張りつつ、ディートリヒが鼻を鳴らした。長辺の席に着いた彼はテーブルにサーベルを立てかけ、足を投げ出すようにして座っている。
薄い茶を飲み干し、ルシアンはぎろりとディートリヒを睨んだ。
「それで? 何故ここに駄犬がいる」
「うるせぇな。あのにおいにどうにも覚えがあったから、最近行った場所を歩き回ってたんだよ。で、ここに来たらてめぇがいたってわけだ」
ケーキを飲み込み、ディートリヒがルシアンを睨み返す。
中身の味に不釣り合いなほど壮麗なティーカップの縁をなぞり、ルシアンは唇を歪めた。
「ふん、さすがは駄犬だ。――しかし、貴様の勘も案外侮れんものだな」
「うるせぇな。てめぇに褒められても虫酸が走るだけだ」
「別に褒めてはいない。しかし……肝心の主人が不在とはな」
ルシアンがそう言った途端、広間の扉が大きく音を立てて開いた。
ワゴンを押して現われたのは、アッシャータのメイドだった。重たい黒髪を掻き上げ、彼女はじとっとした目でルシアンとディートリヒとを見た。
「……茶のおかわりがいるかと思ったんで」
「俺はいらねぇ。もう十分だ」
ディートリヒが首を振り、自分の前から皿やティーカップをどけた。
メイドは黙ってディートリヒに近づいた。そしてがちゃがちゃと音を立てながら、荒っぽい所作でディートリヒの茶器を片付けていく。
「そんで? この家の主人はいつ帰ってくるんだ?」
「すみません……アッシャータ様は忙しい人で……すぐ戻ると思うんで待っててください」
目を伏せ、メイドはぼそぼそとした口調で話す。
脂っこい黒髪が青白い顔に掛かって、余計に幽鬼めいた印象を強めた。
そんな彼女に、ルシアンは甘く微笑みかけた。
「――君だろう。混合血液の開発者は」
その言葉に、茶器を片付ける手が止まった。
顔を上げ、メイドはちらりとルシアンの顔を見た。
「……いきなりなんです」
「ジャクリーン・ロザリン・ハウザー。それが君の名だ。それぞれの名前を短縮、あるいは入れ替えることで偽名としたわけだ」
「ジャック・ハウザー。ロザリン・ハウザー」
二つの偽名を口にして、ディートリヒが唸り声を上げた。
「……そういうことか。吸血鬼は名前に縛られる種族だ。完全に別の名前を名乗ることはできねぇってわけだ」
人間は器、蛮神は題目、幽霊は記憶――そして吸血鬼は、名前に縛られるという。
メイドはさして表情を変えなかった。
相変わらず憂鬱そうな顔のメイドに対し、ルシアンはますます笑みを深めた。
「魔法大学の元教授。専門は血液のもたらす作用。……なるほど、半分吸血鬼な君らしい。吸血鬼の血液だけ質が悪かったのはそういう事だ」
「純血の吸血鬼ではなかったって事か――俺も、最初に見た時は気づかなかったぜ」
ディートリヒが唸った。
メイドは――ジャクリーンは目を伏せ、ふ、と一つため息をついた。髪に付けていたフリル飾りを外し、くしゃくしゃと丸めてエプロンに仕舞う。
そうして顔を上げた時、彼女のまなざしはがらりと変わっていた。
「――それで?」
腕を組み、ジャクリーンは軽く顎をそらす。
「それが、どうかしたんですかね」
「てめぇ……」
挑発的な目と態度にディートリヒが椅子を蹴り倒して立ち上がった。
サーベルを抜き払い、女の青白い喉に切っ先を突きつける。しかしジャクリーンは刺して表情を変えず、べっと舌を突き出す。
ルシアンは顎をさすりながら、にっと笑った。
「……半分の女か。なかなか言い得て妙だな。そして細切れの男は――」
その時、扉が大きな音を立てて開く。
広間の視線が入り口へと向かう。そこに立っていたのはアッシャータだった。
扉を両手で押し開いた姿勢のまま、アッシャータはニッと笑った。
「遅くなってすまなかったな、冥王」
「ああ、さんざん待たされたぞ。――黒幕」
ルシアンは足を組み、軽く顎をそらした。
「……こいつで間違いねぇのか、マレオパール」
低い声で言って、ディートリヒがサーベルの切っ先をアッシャータへと向ける。
それに対しアッシャータは悪戯っぽく笑って、扉を後ろ手で閉めた。そして広間を大股で横切ると、テーブルの反対側――ルシアンの向かい側の席へと着く。
その動きをじっと観察しつつ、ルシアンはうなずいた。
「そうだ。――単純な話だ。【虎】を作り出したのはお前たち自身。最初に被害者になっておけば嫌疑はかけられづらい」
「調査に協力的であればなおのことってわけか」
「その通り。アッシャータが言った、最初の使用人とはジャードとアロイスのこと。もっとも実質は、単なる実験台だったようだが」
アドラー旧子爵はころころ使用人を変えている――それは最初にこの屋敷に来たときに、ディートリヒが言っていた。
そしてその後にアッシャータが言った言葉――薬物中毒や、狂人。
それはジャードとアロイスの特徴にそのまま合致していた。
「ジャードは恐らく人間としては最初の実験体だな。奴に金と血液を与えて野に放ったのは、奴の理性がどこまで持ちこたえるかを調べるため。そしてアロイスに与えられたのはジャードの血液の改良型。あれは恐らく肉体への負荷を軽減したもの」
「ああ。あのジャードくんのおかげで、ずいぶん研究は進んだよ」
「てめぇ……!」
びしびしと音を立てて、ディートリヒの顔が獣の如く歪む。
サーベルを手に今にも襲いかかりそうな彼を手で制し、ルシアンはアッシャータを見た。
「――で、ここまでやった目的は何だ?」
ルシアンの問いに、アッシャータはにやりと笑った。
まるで動じる様子のない彼に、ルシアンは畳みかけるようにたずねた。
「そこまで金と時間を掛けて混合血液を作って――一体何を望む?」
「……君ならどうする、ルシアン=マレオパール。キマイラの血を、何に使う?」
アッシャータは、問いかけで返した。
「ふん……そうだな」
ルシアンは顎を撫でつつ、しばらく考え込んだ。
「混合血液のもたらす作用は――肉体とマナの強化。摂取した者の戦闘力を何倍にも跳ね上げるが、反面副作用が大きい」
「そのリスクが解消されている場合は?」
アッシャータの言葉に、ルシアンは「論ずるまでもない」と言わんばかりに首を振る。
「リスクの完全な解消は無理だ。どんなものにも危険はつきものだろう。故に、常にリスクがあるものとして考える」
「ほう、慎重なんだな」
「物が物だからな。想定できる中で最悪の事態が起きた場合、それにどう対処するかを考えれば……まず、長期間摂取した場合の情報が少なすぎる。さらに暴走が起きた場合の被害、そしてそれを止めるのにかかる労力」
「……話が長ぇよ。それ以上だらだら喋ってたら、ただじゃおかねぇぞ」
大きく深呼吸しつつ、ディートリヒが低い声で唸った。やや落ち着きを取り戻したのか、その顔は徐々に人のものに戻りつつあった。
ルシアンはふっと笑って、軽く両手を広げてみせた。
「話にもならんな。我輩ならまず使わんよ」
「意外だな」
アッシャータは紫の瞳を見開き、大げさにのけぞってみせた。
「君が本当にかつての冥王だというのなら、新しい兵器や戦術はすぐに取り入れるものだと思っていたが」
「ふん……似たようなものを昔、見たからな」
ルシアンは唇を歪めると、ポケットから煙草を取り出した。
咥えたそれにライターで火を灯しつつ、彼はどこか苦い表情で語る。
「――かつての戦乱末期。金環教の神官どもは、手勢の騎士に奇跡を与えた」
「……征伐戦士どもの話だな」
記憶があるのか、ディートリヒが思い切り眉間に皺を寄せた。
ルシアンは煙草を吸いつつ、小さくうなずいた。
「ああ。奇跡を摂取すれば貧弱な臆病者も睡眠が不要となり、身体能力も増強され、恐れ知らずの勇壮な戦士となった。彼らは最前線に投入され、大きな戦果を上げた……志願すれば富と成功を約束されるとかで、大量の信者どもが名乗りを上げた」
「けど、そいつらはすぐに使い物にならなくなった」
ディートリヒは吐き捨てるように言って、銀の三連星のバッジをそっとなぞった。
「……当然だ。あれは、人間が摂取するようなブツじゃねぇ」
教会が征伐戦士達に与えたのは、いわば麻薬だった。
ある者は幻覚に耐えられず自分の喉を掻ききり、またある者は恐怖を感じぬが故に自ら矢の雨に身を晒した。そうでないものは尽く強化されたはずの肉体が急激に衰え、肉と骨ばかりになって崩れるようにして死んでいった。
ほうと煙の輪を吐き、ルシアンは消えていくそれをじっと見つめた。
「あれを見ていれば――似たような物を使おうとはまず思わんよ」
「……君は、本当に冥王なのか?」
その言葉に、ルシアンはアッシャータへと視線を移す。
アッシャータは両手の指先を突き合わせ、まっすぐにルシアンを見つめていた。
「君が冥王だというのなら……教えてくれ。君は何故負けた? あの圧倒的有利であったはずのウロボロス包囲で、どうして敗北したのだ?」
「ロイエリオンが裏切ったから」
ルシアンはあっさり答えた。
二、三秒の間があった。アッシャータは緑の瞳を瞬かせ、口をわななかせた。
「……な、何?」
「ほぼ勝利が確定していたような状況下で敗北する理由など、限られてくるだろう。我輩の場合は単純だ。自軍で一番強く、一番信頼されていた奴が裏切った」
「いや……待て、待て。何を言っている? 金環教の騎士であるロイエリオンが――」
「ふん、連中は必死で歴史をねじ曲げたようだな」
「そりゃ連中、清廉潔白が売りだからな。手前のとこで一番強ぇって宣伝の戦士が実は敵から寝返った奴ですってのは締まりがねぇんだろ」
ニヤリと笑うルシアンに、ディートリヒが淡々とした口調で言った。
「実際のところ、ロイエリオンはウロボロス包囲までは我が冥軍の将だった。我輩の腹心だったのだ。それが突然裏切り、背後から我輩を襲った」
言いながら、ゆっくりとルシアンは左の脇腹をさする。
そこはちょうど、メリーアンも見たあの異様な傷痕が刻まれた場所だった。
「内臓を八割ほど吹き飛ばされた……復元にずいぶん掛かったぞ」
「ハッ、そこでおとなしく死んどけば良かったものを」
ディートリヒがべっと舌を突き出す。
それに対しルシアンは鋭い歯を剥き出して、勝ち誇ったように笑った。
「ふん、残念だったな。……とはいえ我輩もちょっと後悔したぞ。あんまりにも痛すぎてあっさり死んでおけば良かったと何度か思った」
いまいち締まりのないセリフだった。
ルシアンはふっと紫煙を吐き、テーブルをコツコツと指先で叩いた。
「奴は地上最後の半神――蛮神と人間の間に生まれた子だ。その戦力はまさに一騎当千。奴が敵に回ったのなら、冥軍はもうどうにもならん」
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