15.狂えるキマイラの見た夢

「――しかしロイエリオンは単騎だった!」

 女の金切り声に、ルシアンはちらと視線を横に移す。

 アッシャータの傍で、ジャクリーンが拳を堅く握りしめてルシアンを睨んでいた。

 青白い頬を怒りでさらに白くして、彼女は喚いた。

「当時のあんたの軍勢は何万人いたと思ってる! その数で押せば――!」

「全滅する。あれはそういう男だ」

 淡々と、しかし断固たる口調でルシアンは言い切る。

 過去も未来も――この世のものは、ロイエリオンには勝つ事はできない。

 そもそも、戦いさえ成立しない。

「――故に無理に戦線を継続させるよりは、我輩が時間を稼いで撤退させた方が良いと考えた。そうした方が、生き残りは多いだろうと」

 ルシアンはゆっくりと煙草をふかしながら、そう語った。赤い瞳は、細く棚引き消えていく紫煙を物憂げに見つめていた。

「……だが、現状はどうだい」

 押し殺した声で囁き、ジャクリーンは自分の胸元をグッと掴んだ。

「あたしら異端者は未だに押し潰されたまま――! どれだけの犠牲を払ってでも、ウロボロスを戦い抜いた方が良かったんじゃないか!」

 ジャクリーンは怒鳴ると、まっすぐにルシアンを指さした。

 ルシアンはさして表情を変えなかった。彼は相変わらず物憂げな顔のまま、じっとジャクリーンの鋭い爪を見つめていた。

 やがて小さくため息をつくと、ルシアンは前髪をくしゃくしゃと掻いた。

「昔、同じ事を駄犬にも言われたな」

「……悪かったよ」

「謝罪するな。気持ち悪い」

「なんだとてめぇ」

 いまにも斬りかかりそうなディートリヒに、ルシアンはにっと笑った。

 しかしすぐに表情を消し、深くため息をつく。

「……とはいえ、そう言われても仕方がない。なにせ我輩自身も、あの選択が正しかったのかいまだに量りかねているのだから」

 下がるべきだったのか、進むべきだったのか。

 こつこつと指先でテーブルを叩き、クロスの模様をなぞる。そんな動作を続けつつルシアンはゆっくりと、珍しくためらいがちに口を開いた。

「ただその時、あの現在を生きていた我輩は――下がるべきだと、考えた」

 未来のために今は退く。

 そう言って、ルシアンは顔を上げる。赤い瞳は、静かに凪いでいた。

「逃げよ。地の果て、海の彼方……逃げ切れば、必ず。生きていれば、必ず。何百年経とうと、何千年経とうと再起の機会は訪れる」

「……気の長い話だな」

 アッシャータのため息に、ルシアンは肩をすくめる。

「偉くなるとな、大変なのだ。先を考えた上で今を生きなければならんからな。――それで、貴様の番だ。貴様は一体、何を望む? 混合血液で、一体何をしようとしている」

「世界征服」

 真顔で答えるアッシャータに、今度はルシアンとディートリヒが呆気にとられた。

「……は?」

「あ……? いや、何を言ってやがる?」

「ハッハッハ、これは痛快だ、驚いているな! しかし、私は真面目だぞ!」

 アッシャータは大声で笑い、両手を広げてみせた。

「昔からの夢だったのさ。幼少の頃に君の話を聞いてから、ずっと私は夢見ていた……大陸を蹂躙し、大海を制覇し――世界を支配してみたいと」

「……正気か?」

「言っているだろう! 私は大まじめだと!」

 アッシャータは大きく両手を振るい、声を張り上げた。

「そもそもだ! 何故、人は皆、子供の頃の夢をいつか忘れていくのだ? あれだけ熱く夢を語り合った友は、皆いつしかそれを忘れていく。『その夢は現実的ではない』『自分には無理だ』『なれっこない』と」

「妥協しただけだろ」

 ディートリヒはやれやれと肩をすくめる。

「そんないつまでも夢見心地で生きていけるほど、現実甘くねぇよ」

「そうだ! 皆、幼少の夢よりも現実の生活の方が重要になっている」

 アッシャータは髪を振り乱し、両手でテーブルを叩いた。

 爆音にも似た音が響く。アッシャータはもう一度テーブルを叩くと、両手を天板に突いたままの姿勢で大きく何度か深呼吸した。

 そんな彼を、ルシアンはどこか面白そうに、ディートリヒは冷めた目で見つめていた。

「……やりたくもない退屈な仕事をして、うんざりするような面々と会話をする毎日で無理やり納得する――そんな灰色の世界の中で、私だけが情熱を持ち続けている」

 荒い呼吸の中で、アッシャータは呟く。

 汗ばむ顔に髪が掛かり、その狭間から緑の瞳がぎらぎらと光っている。彼の振舞いはまるで演劇のようだったが、その瞳に宿る狂気は紛れもない本物だった。

 そしてアッシャータは三度テーブルを叩き、天を仰いだ。

「何故、忘れてしまう! 何故、棄ててしまうのだ! どうして皆、安定のある退屈な人生で満足してしまうのだ!」

「知らんよ。我輩、わりと好きに生きているからな。金と美貌と暴力に任せて」

 アッシャータの絶叫に、ルシアンは淡々と最低な台詞を返した返した。

 そして煙草をたっぷりと吸い、灰皿に灰を落としながら語る。

「ただ別に皆、諦めたくて諦めているわけではないと思うぞ。貴族の貴様と違って全員が全員、金や地位を持っているわけではないのだ。ならば現実の生活を重視し、少しでも豊かな暮らしをしようと考えているのでは――」

「ならば奴らの夢というのはそこまでだったということだな!」

「発想が乱暴だな、貴様。スカードの血筋か」

 煙草から口を離し、ルシアンは呆れたようにため息をつく。

「私は諦めない……諦めないぞ! 私はただ、あの頃の自分を裏切りたくない!」

 アッシャータは歯ぎしりをして、きつく拳を握りしめた。

 そしてその拳を、自分の胸に当てる。まるで宣誓をするようなその姿勢のまま、彼は一語一語に力を込めて叫んだ。

「だから! だからこの街に来た! どんな夢も許される、この魔女街に! そしてこの街から、私の夢が始まるのだ!」

「この街から……? おい、もしや魔女街を足がかりに大陸制覇に乗り出そうなどと考えているのではあるまいな?」

 ルシアンが赤い瞳を見開く。

 その言葉に、あくびをしていたディートリヒがぎょっとした顔でアッシャータを見た。

「い、いや冗談だろ? さすがにそこまで頭がトンでるはずが――」

「さすがは冥王! 察しが良いな!」

「……冗談だろ」

 ディートリヒは頭を押さえ、ルシアンはにやけた唇を押さえた。

 呆れを隠そうともしない二人を意にも介さず、アッシャータは熱弁を振るう。

「まずは魔女街の全街区を掌握。戦力を整えてから、ゴールドランド合衆国へと攻め込む。狙うは海と陸からの挟撃だ!」

「ッ……ククク……! 貴様、どうやらよほどの狂人と見える」

 ついにルシアンが笑いだした。

「貴様の計画は夢、幻に過ぎん。何一つ現実的ではない。第一、この魔女街を掌握するという時点で破綻している。貴様一人――いや、そこのメイドも含めて二人。どうやってこの混沌の街を支配するつもりだ?」

「そのためのキマイラの血だ。そうとも、私はそのためにあの血を作った」

 アッシャータは大きくうなずくと手を広げ、脇に控えるジャクリーンを示した。

「そのために、彼女を我が腹心として迎え入れた!」

「キマイラの血はひとまずは完成した。まだ微調整は必要だけどね」

 ジャクリーンが言って、青白い顔に笑みを浮かべる。

「アッシャータ様のおかげで、あたしの研究は完成した。大学連中は何もわかってくれなかった……あたしの作った血液が、どれだけの戦力を作り出すか」

「これを使えば、金環教との戦いは変わる……!」

 興奮に頬を紅潮させ、アッシャータは夢見心地といった様子で呟く。

「狂人が。キマイラの血ってのは脳細胞を破壊する効果でもあんのかよ?」

 ディートリヒが吐き捨てるように言い放った。

「教会の金ピカ野郎どもの力は、確かに昔に比べて落ちた――だが奴らの恐ろしさはその数にある。ガチでやりあおうってんなら双方自滅しながらの戦いになるぞ!」

「第一、あの血はまだ人間に使える代物ではないだろう」

 ルシアンが軽く肩をすくめた。

「肉体の変化に魂がついていけない。重要なのはバランス、風船と同じだ。空気が足りなければ醜く萎み、空気を詰め込みすぎれば――」

 パンッと口で破裂音を立てつつ、ルシアンは片手を開いてみせた。

 そしてその手を軽くひらひらとさせ、にやりと笑う。

「あれほどの肉体の変化、人間にはまず耐えきれん。使えんよ、あの血液は」

「っく……はは……!」

 しかしその言葉にアッシャータは吹き出し、小さな声で笑った。初めは微かだったその笑い声は徐々に膨れあがり、やがて広間にこだまするほどの哄笑に変わる。

「こいつ……! なにがおかしい!」

 ディートリヒが吼え、サーベルを抜き払った。

 アッシャータは笑いながら顔を覆い、耐えられないとばかりに首を振った。尖った耳が、笑いと興奮にぴくぴくと揺れている。

「ははっ……君達は本当にそっくりだな」

「……何?」

 ルシアンは眉をひそめた。

 アッシャータは何度か深く呼吸を繰り返した。

「……主従揃って、肝心なときに忘れてしまう」

 アッシャータは囁き、顔を覆い隠していた手をゆるりとずらす。真っ白い歯を剥き出して、彼は凶悪に笑っていた。

 の瞳が煌めいた。

「――私が一体、何者なのか」

 轟音。

 広間の中央で爆弾が炸裂したかのようだった。一瞬で周囲が塵煙に包まれた。

 ディートリヒが息を飲み、サーベルを構えてとっさに防御をはかった。しかしその衝撃は凄まじく、彼の体躯は大きく後退する。

「くそっ、なんだ……!」

 悪態をつきつつもサーベルを構え直し、ディートリヒは目をこらした。

 立ちこめていた塵煙が徐々に薄らぐ。その時、ディートリヒは奇妙な光景を目にした。

 広間の片側――それまでルシアン達がいた場所に、大穴が穿たれていた。天井は半ば崩れかけ、頭上から午後の日差しが降り注いでいる。

 そして、大穴の向こうに、ルシアンは立っていた。

「……ふん」

 赤い瞳を細め、ルシアンは構えていた右手を降ろした。

 ぽたり、とその手から血が滴る。

「――む。ここまで吹き飛ばすつもりはなかったのだがなぁ」

 一方のアッシャータは不思議そうに首をかしげた。

 拳を前に突きだし、両足で地面をしっかりと踏みしめた姿勢。正拳突きの姿勢だが、ルシアンとアッシャータとの間には大きく距離があいている。

「ジャクリーンくん、やはりこれはまだ調整が足りないぞ。パンチ一発で、ここまで衝撃波が出るなんて想定外だ」

 アッシャータは姿勢を解き、こまったように片手を何度か握り開きした。

 それに薄く笑って、ジャクリーンは肩をすくめる。

「あとは慣れですよ、御主人。実戦で感覚を掴んでください」

「なるほど。仕方があるまい」

 淡々と答えるメイドに肩をすくめ、アッシャータはルシアンを見やった。

 ルシアンもまた、右手を軽く握りしめながら彼を見た。

「君の言うとおりだ。人間にはキマイラの血は使えない。――しかし」

 アッシャータは軽く拳を握りしめる。

 途端――その顔から首筋、腕にかけて青白い光が走った。それは瞬く間に皮膚を駆け、ジャードやアロイスのものとはまったく異なる幾何学的な模様を形成する。

 青白い模様の浮かぶ顔で、アッシャータはにっと笑った。

「スカードの血が流れる私には、関係のない話だ」

「……なるほど。確かに、そこを考えていなかった」

 ルシアンは薄く笑う。

「まさか黒幕が、あんな得体の知れないものを自分で使う狂人だと考慮していなかったのは――我輩の手落ちだな」

「そうとも。さて――ひとまず、君達に二つの選択肢をあげよう」

 アッシャータはぐるりと肩を回した。

 控えていたジャクリーンがワゴンの下段に手を伸ばし、そこからケースを取り出す。

 ケースを開くと、そこには一対の籠手があった。

 鈍い金色で手の甲から肘までを覆うような作り。それぞれの手の甲にはアッシャータの襟元を飾る物に似た、車輪のモチーフがついていた。

 ジャクリーンから受け取ったそれを嵌めつつ、アッシャータはたずねた。

「私に従うかね? それとも、抗うかね?」

「ふん、そんなものは決まっている。三番目だ」

 ルシアンは肩をすくめると、両手を緩やかに広げた。

 それだけで、瞬く間にその手に二丁の機関拳銃カーネイジが現われた。安全装置を外し、ルシアンは脇を締めてそれらを構える。

「そうだ。三番目に決まってんだろ」

 ディートリヒも低い声で言って、サーベルをまっすぐにアッシャータへと向けた。

「ほう? 三番目とは?」

 軽く準備運動をしながら、アッシャータは興味深そうに首をひねった。

 それぞれの殺意と敵意で、崩れかかった広間の空気が塗り潰されていく。

 ちりちりと肌を刺すような殺気の中、ルシアンとディートリヒは凶悪に笑った。

「「ここで殺す」」

 ほぼ同時に同じ言葉を言って、ルシアンとディートリヒは嫌そうな顔で相手を見た。

 運動を終えたアッシャータは天を仰ぎ、何度か深呼吸を繰り返した。

 そして視線を下ろし、閉じていた目を開く。

 に煌めく瞳で二人を見ると、アッシャータは心底面白そうに笑った。

「やれるものならやってごらん」

 そう言って、黒幕は誘うように片手を軽く動かした。

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