7.バーテンダーの退場

「おれも君の過去には興味があるんだよねぇ。どうして魔女街で暴れてたのかとか、どうして処刑されちゃったのかとか」

 処刑。その言葉に、メリーアンはゆるゆると顔を上げる。

 アルカは椅子の肘掛けに頬杖をつき、薄い笑みを浮かべてこちらを見つめていた。

「……私が、処刑された? どうしてそう思うのです?」

「それくらいはわかるよ。首の傷を見てピンときた。前に店に来た時にさ、ルシアンがお仕置きで君の首を外したことがあったじゃん?」

 思い返してみると、確かにそういう事もあった。

 メリーアンは無意識のうちに首を押さえた。『肌』を調整してごまかしているものの、確かにそこにはメリーアンの首と胴体とを両断している傷が存在している。

 その傷の位置をゆらりと指さし、アルカは語った。

「喉元の傷口がひどいわりに、首の裏側の傷はそうでもない。これはつまり、正面から斧で斬りつけられたと言うこと。一度で切断できなかったから、何度も何度も」

 とんとん、と。アルカは二本の指で自分の喉元を叩いてみせた。

 さらに、とアルカはその指先を軽く振る。

「君の鬼火の出方。アレも特徴的だ。左半身が燃え上がるようにして、鬼火を出す。ああいう鬼火の出し方をするの、生きている間に焼かれた幽霊が多い」

 そして、とアルカは再度指先をメリーアンに向ける。

 今度は首ではなく、まっすぐにメリーアンの顔を指さしていた。その唇は笑みを浮かべていたものの、こちらを見つめるまなざしは冴えている。

「これと似たような殺し方が金環教の古い処刑法にあるんだよ」

 そのやり方を、アルカはまるで料理のレシピを語るような軽い口調で説明した。

 目隠しをせず、正面から首に断頭斧を振り下ろす。

 そして首を切断された死刑囚の体に火を付けて焼き、来世での復活を妨げる。

「これってさ、相当重大な異端者以外にはやらなかった処刑法らしいんだけど……一体君、なにをやらかしたのかなぁって」

「……わかりません」

 首元の傷を押さえ、メリーアンはうつむく。

 アルカの話を聞いてなお、何も思い出すことができなかった。ルシアンと契約したあの春の夜以前の記憶は、蘇らない。

 アルカは小首をかしげ、探るようなまなざしでメリーアンを見た。

「やっぱり話だけじゃ思い出せない?」

「まるで実感がありません……本当に、何も引っかかる物がないんです」

「やっぱり長いこと幽霊やってたから、魂が摩耗しているのかしらねぇ。――まぁ、その欠落も、この神涙晶を使えば補えるだろう」

 視界の端で、誘うように結晶が煌めく。

 メリーアンは顔を上げ、青い迷宮のようなそれを見つめた。この結晶を使えば、失った記憶を取り戻せるかもしれない。

 そろりと、メリーアンは右手を持ち上げる。

「使い方は単純だ。そいつを持って、強く念じること。何を望むのか――」

 アルカの猫撫で声を聞きながら、メリーアンはその結晶に指先を触れさせる。

 ひやりとした感触が伝わってきた。

 あとは念じるだけ。しかしメリーアンは唇を噛み、怪しく瞬く結晶を睨み付けていた。

「……もし」

「うん?」

 訝しげに首をかしげるアルカの存在は眼中に入っていなかった。

 頭をよぎるのは、ルシアンのこと。あの春の夜、メリーアンを見出した主人の姿。

「もし記憶が戻ったら、私は――」

 ルシアンの傍にいられるのか。

 そんな問いかけを口にしようとしたその時、アルカが小さく舌打ちした。

「……ああ、バーにいたやつが死んだな。もう時間か」

「アルカさん……?」

 メリーアンは顔を上げ、アルカを見る。

 アルカは袖をまくって腕時計を確認し、やや舌を突きだした。

「どのみち君もそろそろ時間切れだ。――おれの力とさっきの酒でずいぶんもたせたけど、これ以上君の霊体に負担をかけるのも良くない」

「ふ、負担? 私は特に、何も感じていませんが――」

「感じていないだけさ。君の正体は気になるけどお預けだ。やれやれ」

 アルカはふうと息を吐くと、どこかけだるげな様子で椅子の背に体をもたせかけた。

 肘掛けに頬杖をつき、メリーアンを見やる。

「……実の事をいうとさぁ。おれ、君は龍なのかなって思ったんだよ」

「龍……? あの、御伽噺の怪物の?」

「とんでもない怪物だよ」

 首をかしげるメリーアンに、アルカは囁いた。

「……人間は自由だが、その体は脆い。そして蛮神は莫大な力を持つが、代わりに題目によって行動と意識を縛られる」

 アルカによると題目とは蛮神にとっての鎖であり、命綱のようなものだという。

 そもそも蛮神は幽霊と同じく実体を持たず、その体は超高密度の霊的細胞で構成されているらしい。彼らは題目を軸とすることで、存在を保っているという。

「人間は肉体、幽霊は記憶――そして蛮神は、題目を器にしているのさ」

「……私、記憶がないんですけど」

「だから君はおかしいのさ。普通、生前の記憶という器を持たないなら構成霊素は散逸するから。それを意思の力だけでどうにかしているなんて」

 おかしいよ、とアルカは嘆息する。

 蛮神は題目によって霊的細胞をまとめているため、マナと瘴気の海である異界に溶けることはない。代わりに、その意識や行動は題目に縛られるという。

「たとえばあのアロブ=マブ。奴の題目は『永久の子供』だ。奴はその題目に意識と行動を決定づけられ、子供を常に攫い、遊びを続ける」

「名前覚えてるじゃないですか」

「たった今思い出したんだよ。人間は蛮神と違い、脆弱な存在だ。しかし彼らはまったく以て自由。いちいち特定の行動を取らなきゃいけないなんて縛りもない」

「……蛮神は、それが羨ましいんですか?」

「様々さ。アロブ=マブみたいな下位の連中はそこまで意識が及ばないから、羨ましいとも思わない。それが当たり前だと思ってる。……上位の連中はまぁ、色々と」

 灰色の髪をいじりつつ、アルカは天井を見上げる。そのまなざしからはなんの感情も読み取れない。

 メリーアンは黙って、バーテンダーが再び口を開くのを待った。

「……話を戻そう。龍というのはね、規格外なのさ。蛮神の力と、人間の奔放さを持った怪物。あらゆる呪縛から完全に逸脱した……人間の残骸さ」

 蛮神の力を持ちながら、題目に縛られない。

 人間の自由を持ちながら、強靭。

 アルカは、メリーアンがそんな恐ろしい存在だと思ったらしい。

「私はそんな……ただの幽霊ですよ。一度死んでるせいで、物覚えも悪いですし」

「だから幽霊みたいな特徴を持った龍なのかなーって。龍って色々あるからさぁ。そもそも龍というのは、人間が蛮神の心臓を――」

 アルカは身を乗り出し、まるで内緒話をするかのようにメリーアンに顔を近づける。

 しかしその時、ドアの一つがかたかたと音を立てて震えだした。

「あー……いよいよ、おでましか。どうやら向こう側のおれ達、全員殺されちゃったのか」

 ため息交じりに意味不明な言葉を吐き、アルカは椅子に体を戻した。

 ガン! ガン! ドアの向こう側で、何かがぶつかっている。

「おやおや、相当お怒りのご様子。……先に高いボトルを片付けておいて良かったぁ。これは久々にひどい目に合いそうだ」

「あのドアの向こうには、一体何が――」

 ピシッと奇妙な音が下から聞こえた。

 メリーアンは口を噤み、自分の体を見下ろす。気づかないうちにメリーアンの体はびっしりと亀裂に覆われ、足下はすでに崩れてなくなりつつあった。

 壊れていく自分の体を映し、メリーアンの紫の瞳が見開かれる。

「え……なんで? 体、が……」

「おや、君もちょうど時間切れか。ご苦労様。なかなか興味深かったよ。頭の部分だけの構成霊素でも、結構話せるもんだね」

 組んだ指の上に顎を乗せ、アルカがにやりと笑う。

 ガツン! 衝撃音とともに、ドアが弾け飛ぶようにして開いた。

 その向こう側から、ざわざわと木々が揺れるような音とともに影が押し寄せてくる。

 輪郭も定かではない影の中には一対の目があった。

 篝火のように燃えるそれが、崩壊していくメリーアンをまっすぐに睨んでいる。

 どこかで見たことのあるようなまなざしをしていた。

 身をすくめるメリーアンに向かって、影が黒い腕らしきものを伸ばしてきた。

「い、嫌っ……! 助けて、アルカさ――!」

「結晶はもう君のものだ。必要な時に取り出せば良い」

 アルカは素っ気なく、手をひらひらと振った。

 叫んだ拍子に喉が完全に割れ、メリーアンの首がごろりと零れた。首を失った上半身は直後、まるで幻の如く霧散した。

 落ちていくメリーアンの首を黒い腕が攫い、影の中に引きずり込む。

 熱くもなく、冷たくもない。ただざわざわとした音と――重たい薔薇に似た香りがした。

「久々に全員死亡かぁ……急いで新しいおれを用意しないと」

 アルカは意味不明な言葉と共に、けだるげに椅子の背に体をもたせかけた。

 赤く燃える瞳を細め、影がアルカに向かってもう一つ腕を伸ばす。

「めんどいなぁ……あんまり痛くしないでね」

 ため息交じりのアルカの言葉。直後、なにか硬い果物が潰れるような音がした。

 同時に、メリーアンの視界が黒く塗り潰された。

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