18.狂奔の果て

「聞いても、答えてくれないと思うよ」

 アロイスが動くたび肩をすくめるつつ、クラリッサがおずおずと口を挟んだ。

「その人、ずっとそんな感じだよ。それが混合血液のせいか、元からかはわからないけど」

「……恐らく、これは元からだろうな」

 銃口をアロイスに向けたままルシアンは嘆息する。

 アロイスはゆっくりと手を伸ばし、這い出した。徐々に傷口は再生しつつあったが、その速度は先ほどよりも落ちているように見えた。

 その手の先には、黄金の剣が落ちている。

「みんな叩くわ。パパもママも叩いたわ。『男の子が欲しかった』って叩いたわ。祭司様は私のためだと叩いたわ。私が叩かれるのが正しいのなら……私が叩くのは正しいのよ」

 銃声が一つ。黄金の剣はアロイスに握られる前に弾かれ、霧の向こうに消えた。

 アロイスの手は黄金の剣を探し、濡れた地面をさまよう。

「そうでなければ私は何故叩かれたの」

 その言葉は、今までよりもずっと明瞭に聞こえた。

 アロイスがゆるゆると顔を上げる。ぼんやりとした笑みを浮かべていたその顔は、今はまるで泣きじゃくる子供のように歪んでいる。

「どうして私は傷つけられたの。どうして祭司様達は――どうしてパパもママも――皆があたしにひどい事をするのなら、あたしも皆にひどい事をしても良いでしょう?」

 そうして絞り出された言葉は、なにもかもが理不尽だった。

 青白い血と共に吐き出されたのは、ありとあらゆる不合理に対する疑問と嘆きだった。

「めちゃくちゃだわ……」

 メリーアンは両手で口を覆い、ゆるゆると首を振った。

 たしかこの言葉を、【虎】に対しても使った気がする。

 あの時とは状況が違う。ただ、【虎】と同じようにアロイスも粗雑でいびつな存在のようにメリーアンには思えてならなかった。

「……病んでいる」

 ヨハネスが嘆息する。

 病んでいるのはアロイスか、それとも――メリーアンには、わからなかった。

「ねぇ、どうして? どうして、答えてよ」

 宛てのない問いかけを繰り返しつつ、アロイスは地面を這う。白と金で華やかに彩られた神官の衣が、血と泥とに汚れていく。

 まるで亡霊のような彼女の進む先には、ルシアンが立っていた。

「旦那様――!」

 動こうとするメリーアンを、ルシアンは何故か手で制した。

 その間に、ついにアロイスの手が彼の靴に掛かる。青と赤の血に濡れ、半ば焼け焦げた顔を上げて、彼女はまるで子供のように問いかけた。

「あたしの……何がいけなかったの? 男の子じゃなかったから?」

 ルシアンは赤い瞳を伏せ、小さく吐息した。

「……金環教徒とはいえ美女の問いだ。答えてやろう。なにもかも全て推測で話すしかないが、これだけは恐らく確かだ」

 目を開けたルシアンは、あろうことか銃口を下ろした。

 その正気の沙汰とは思えない行動に、場の全員が思わず身じろぎする。しかしルシアンは構わず、濡れた髪を掻きながら物憂げに口を開いた。

「誰も貴女を本当の意味で救おうとしなかった」

 アロイスは、青い瞳を極限まで見開いた。

 その首がふるふると揺れる。青白い血に濡れた唇がわななき、微かな声を漏らした。

「救い……あたし……私は確かに、祭司様に救われて、愛されて……」

。そうしないと完全に壊れてしまうから」

 震えるアロイスの声をルシアンは静かに遮った。

 雨はもうほとんど止み、淡く掛かる霧の向こうには薄く月の影が見えた。ぽつぽつと降る雨の中で、ルシアンは淡々と語る。

「繰り返し自我を破壊され、そのたび無理やりに繋ぎ合わせ――やがて貴女はひび割れ、完全に歪んだ。そして、その痛みを周囲に発散しなければ生きていけなくなった」

「そんな……私……あたしは……」

 アロイスの顔が、泣き出す前の子供のようにくしゃりと歪んだ。

 ルシアンは一瞬、珍しく言葉に迷うようなそぶりを見せた。

 赤い瞳が霧の中をさまよい、やがてまっすぐにアロイスへと戻る。そうして一度深く呼吸してから、ルシアンはとどめの言葉を彼女に落とした。

「貴女はただ、どうしようもなく運が悪かった。――だからこうなった」

「あ、ああ……あああああ……!」

 大きく見開かれた青い瞳から、堰を切ったように涙が零れだした。

 泣き喚きながら、アロイスは何度も地面に手を叩き付ける。

「……もっと早くに会っていたらな。こんな美女、我輩なら絶対に放ってはおかんよ」

 ルシアンの赤い瞳に一瞬影が差す。

 しかし彼はゆっくりと首を振ると、先ほどまでと同じ冷やかな視線をアロイスに向ける。

「さあ、次は貴女が答える番だ。誰が貴女をキマイラにした?」

「あ、あ……あたし……! あたし、アアアアァ……!」

 アロイスは地面に突っ伏し、絹を引き裂くような声で泣き叫ぶ。

 髪を振り乱し、地面に縋り付いて泣く様はまるで駄々をこねる赤子のようだった。

 答えを得ることは、できないと思われた。

「……もういいだろう」

 ヨハネスがコートのポケットから、魔物を封じていた小瓶を一つ取り出す。

 それに一拍遅れて、ルシアンが再び銃口をアロイスに向ける。

「……大きなお屋敷……何かがたくさんいる……」

 かすれた声に、男達は動きを止めた。

 アロイスは地面に手をつき、ゆっくりと体を起こした。さんざん地面を掻き毟ったせいで、その指先は青白く光る血に染まっていた。

 青い瞳は、確かにまっすぐにルシアンを捉えている。

「そこでパンとワインをもらったの……男と女と、何かがたくさんがいた……二人とも半分……半分なの……半分、違うのよ……」

「半分、だと?」

 ルシアンがゆっくりと聞き返すと、アロイスは小さくうなずいたた。

「半分よ……男はもっと細切れかもしれない……でも女は半分なの」

「半分の女と、細切れの男……?」

 曖昧なアロイスの言葉に、メリーアンは首をひねる。

 どう考えても猟奇的な殺人現場しか想像が付かない。一体何が細切れで、半分なのか。

 ルシアンもそれを問いかけようとしたようだった。

「おい、半分とは一体――」

 ざわり、と霧が動いた。

 周囲に淡く漂っていた霧がざわめき、激しく渦を巻く。急に濃度を増した霧によって月光は遠のき、視界は完全に灰色へと染め上げれられた。

 ごうごうと唸る霧に、クラリッサが身をすくめる。

「なっ、何……!」

「リッサ!」

 ヨハネスが叫び、クラリッサの元へと駆け出した。しかしその姿もまた、灰色の霧によって完全に覆い隠されてしまう。

 渦を巻く霧の中で、メリーアンはとっさに身を護ろうと手を上げかけた。

 しかし直後、彼女は紫の瞳を見開き、辺りを見回す。

「だ、旦那様……何か、変です……!」

 構成霊素エクトプラズムが奇妙な違和感にざわめく。

 この霧は何かがおかしい。

 雨上がりに掛かる霧でも、魔女街の機械達が吐き出す煤煙でもない――本能的にメリーアンはそれを察知し、ルシアンへと叫ぶ。

「旦那様!」

 しかしその声は、甲高い女の悲鳴に掻き消された。

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