17.ロイエリオンの剣

「旦那様……?」

 メリーアンはよろよろと体を起こす。

 最初に見えたのは、アロイスだった。ほとんど原型を止めていない顔を手で隠しながら、剣を杖にしてよろよろと起き上がっている。

 クラリッサが息を呑み、ヨハネスのコートを掴んだ。

「嘘……なんで動いているの……」

「っ、く――おい、ヨハン。我輩の見間違いか? こいつ、確かに死んでいたよな?」

 顔をわずかに引きつらせつつ、ルシアンが鋭く問う。

 その左手には、赤い裂傷が走っている。

 ひたひたと血の滴る主人の手を見て、メリーアンは言葉を失った。

 ルシアンが、アロイスに斬られた。――メリーアンを庇って。

「間違いなんかじゃない」

 ヨハネスがクラリッサを庇いつつ、アロイスめがけて牽制の鎖を放つ。

 アロイスは距離を取ることで鎖を回避。ルシアンの血に濡れた剣を構え直し、彼女は潰れた顔に触れた。

「き……せき……を……に……」

 唇と思わしき箇所がかすかな言葉を紡ぐ。

 その時、アロイスの手から滴り落ちる血液が青白く変じた。そしてその手が撫でた箇所の肉が異音を立てつつ、元の形を取り戻していく。

「――なされました。奇跡は確かに、なされました」

 アロイスは手を下ろし、荒い息を吐きながらも剣を構え直す。

 その顔の大部分は元の美貌を取り戻していた。

 だがクラリッサの炎のせいか顔の左半分は再生せず、醜い火傷が残っている。そして、その部分の血肉だけがぼんやりと青白く光っていた。

 ほう、とヨハネスが感嘆の声を漏らす。

「キマイラか。興味深い。ジャードよりもさらに理性を保っている」

「……単にこれ以上壊れようがないだけでは」

「シャアアアアッ!」

 呆れたルシアンの声を奇声で掻き消し、アロイスは突撃する。

 その先には――ヨハネスとクラリッサ。刃を振り回し迫り来るアロイスを目にして、クラリッサが悲鳴を上げる。

「あんちゃん! こっちに来たよ!」

「いちいち言わなくてもよろしい――《皇帝の獄》!」

 地面を突き破るようにして、石壁が現われた。鉄格子で補強されたそれが剣を弾き、アロイスはよろけるようにして後退する。

 ヨハネスはさらにそこに魔法を叩き付けた。

「《暴走の車輪刑》!」

 がら空きになったアロイスの胴体めがけて車輪が飛ぶ。

 アロイスはどうにか歯を食いしばり、黄金の剣を車輪へと叩き付けてそれを弾く。しかしその体がふらりと揺れ、アロイスは地面に膝をついた。

 その隙に、ヨハネスはクラリッサの体を自分に引き寄せる。

「やれやれ。まだ元気そうじゃないか」

 疲れた声とともに、その体が空中へと浮き上がる。

 アロイスの頭上を飛行し、メリーアンとルシアンのそばに着地。クラリッサをメリーアンの傍に下ろすと、ヨハネスはルシアンへと近づいた。

「どうする、ルシアン? こいつ、生け捕りにできると思うか? 僕は出来うる限り早く殺したいんだが」

「……さて、どうするか」

 静かなルシアンの声に、ヨハネスは怪訝そうな顔をした。

「なんだ、いつになく大人しいな。――いや、待て。その手、どうした?」

「……旦那様?」

 メリーアンもまた違和感を感じ、ルシアンを見上げる。

 ルシアンは忌々しそうに顔を歪め、自分の左手を見つめていた。

 アロイスに切り裂かれた掌。そこを中心に、蜘蛛の巣状に赤黒い亀裂が走っていた。亀裂はみしみしと音を立て、見る見るうちに広がっていく。

「だ、旦那様! その手は一体! まさか、キマイラの力で?」

「違う……奴の剣の影響だ」

 ルシアンはアロイスを――正確には、彼女が握る黄金の剣を見る。

 傷は完全には癒えていないようで、アロイスは剣を杖代わりにして荒く呼吸していた。

「で、でも、あたしもあれに軽く斬られたけど、そんな風にはなってないよ?」

 先ほどヨハネスに治療されたばかりの頬を、クラリッサが押さえる。

 ルシアンはそれには答えなかった。

「……あんな骨董品を、教会の連中が未だに使っていたとはな」

 アロイスの剣を睨んだまま、ルシアンは低い声で呟いた。

 笹の葉のように優美な形状の両刃剣。

 柄には目を閉じた獅子のシンボルが施されている。そしてその刃の表面には、いくつもの太陽を表わしたような図柄が銀色の線によって描かれていた。

「……ロイエリオンの剣か。確かに久々に見るな」

 嫌なものを見たといわんばかりに、ヨハネスが眉をしかめる。

 その名前を、メリーアンは呆然として繰り返した。

「……ロイエリオン?」

 それは――かつて冥王を殺したという騎士の名前。

 メリーアンは目を見開いてアロイスの剣と、ルシアンとを見る。あの狂った女が持っている剣が、かつて冥王を殺した騎士のものだというのか?

「……当然、本物のロイエリオンの剣ではない」

 メリーアンの混乱は、ヨハネスによって否定された。

「あれは金環教の連中が使う儀礼剣の形式の一つだ。彫り込まれた紋様は冥王を呪い、騎士ロイエリオンと主神セル=アウルバオトへの礼賛を意味するもの。つまりあれはルシアンを呪う剣という事になる」

「まったく、迷惑にも程があるな」

 左手に治癒の魔術を施しつつ、ルシアンが苛立たしげに舌打ちする。

「しかし通常、あの骨董品には戦意昂揚以上の効果はないと思っていたが……その辺りどう考える、准教授?」

「どうやら魔女の血を吸いすぎて、妙な力を付けてしまったようだな」

 ヨハネスは物憂げにため息を吐いた。

 しかし顔を上げると、そのエメラルドグリーンの双眸で辺りを見回す。

「……殺人現場周辺で、異界との境界が歪んでいるという話が合ったろう。この分だと、それも恐らくあの剣のせいだな」

「厄介な……アルカの奴め。とんでもない案件を持ってきたものだな」

「だから僕達を呼んだんだろう。――それで? お加減いかが、冥王様」

「やかましいぞ、童貞。この通り問題はない」

 淡々とからかうヨハネスに、ルシアンは鬱陶しそうに左手を振ってみせた。

 確かに治療はうまくいったようで、亀裂はその肌から溶けるように消え去っている。

 しかしその言葉に、メリーアンはわずかに眉を動かした。

「……旦那様?」

「なんだ」

「……それは、本当ですか?」

ルシアンは、嘘を吐いている。

 それを瞬時に理解したのはメイドの勘か――それともかつて結んだ契約の影響か。

 メイドの問いかけに主人は一瞬沈黙した。

 濡れた黒髪を掻き上げて、ルシアンはメリーアンを見下ろす。

「……我輩を誰だと思っている?」

 そう言って、ルシアンはたいそう愉快そうに薄い唇を吊り上げた。そして彼はそれ以上の問いを拒むように、メリーアンに背を向けた。

 腰のホルスターから、右手でカーネイジを引き抜く。

 漆黒の機関拳銃をくるりと掌中で回転させ、彼はすっと目を細めた。

「さくりと終わらせるか……とはいえ」

「――アァアアアアアアッ!」

 アロイスが再び悲鳴にも似た叫びを上げ、黄金の剣を手に地を蹴った。

 極めて単純な突撃。先ほどメリーアンとの戦いで見せたような、微妙な間合いの調整もない。そしてその剣の動きは、子供の振り回す棒きれのよう。

 ルシアンは容赦なく引き金を引いた。

 銃声は四発。それだけで足の関節が爆ぜ、アロイスは悲鳴と共に崩れ落ちた。

「この分だと、そこまで長引くまい。――なるほど。確かにキマイラは異常な再生力を持ってはいるが、それには相当の力を使うようだな」

 ルシアンは淡々と分析すると、催促するように銃口を軽く揺らした。

「女、これだけは答えろ。誰がお前をキマイラにした?」

「あ……は……はは……」

 アロイスは笑い声を漏らした。

 ぼうっと光る血液を零しながら、彼女はゆっくりと起き上がる。その銃痕に、ぼこぼこと泡立つように青白い肉が盛り上がった。

 銃声、四発。完全に再生したその足を、再びルシアンの銃弾が撃ち抜く。

 アロイスは再び地面に倒れ込み、引きつった笑い声を漏らして身をよじった。

「混合血液を誰に渡された? ――これだけ答えれば、楽にしてやる」

「私は間違っていないわ。間違っていないの……神様は、神様だけは私が正しいことを知っていらっしゃるのよ……」

 口元を光る血液で薄青く染めつつ、アロイスは譫言を繰り返す。

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