3.メイドの鋏と憂鬱な准教授
第六区は相変わらずしんと静まりかえっている。
ただ瘴気がいつもよりも濃く、空は薄い紅色の雲に覆われていた。そのせいか、心なしか他の街区よりも大量にリコリスが咲いている気がした。
しかし、レッドスパイダーの様子は先日と変わりない。
ルシアンが扉を開けると、アルカが鼻歌混じりに酒瓶でジャグリングをしていた。
「ヘイらっしゃい! 歓迎するぜ、ふしだら主従! まぁ好きなとこに座るがいいさ」
「今日はずいぶん失礼だな、アルカ」
「そうですよ、私はふしだらではないです。旦那様はともかく」
「ともかくとはなんだ」
「わわっ、事あるごとに首を外そうとしないでくださいぃぃい!」
頭に向かって伸びてくるルシアンの手をメリーアンはなんとかかわす。
そのまま攻防を続ける主従にアルカはけらけらと笑った。
「いーじゃん! 仲良くふしだらって事で。うーん、仲良きことは素晴らしい事だ。仲が良ければ基本的に誰も死なないしね! ほら、よく言うだろ? 殺し合うほど仲が良いって! あれ、何かおかしいな? ねぇねぇルシアン、どう思う? ねぇったらぁ」
まるで機関銃のような語り口調だ。
「知るか。鬱陶しいから絡むな」
しっしと手を払いつつ、ルシアンはいつもの席に座った。メリーアンもまた、以前と同じようにおずおずとその隣の席に腰を下ろす。
ジャグリングをやめ、アルカはにんまりと笑った。
「うふふ、今のおれはやばいぜ? なにせ誕生日を迎えたキッズ並みに機嫌が良い。心が弾みまくって月まで飛んでいっちゃいそうだ」
「そのまま帰ってくるな。その前に酒だけは出していけ」
「んまっ、ルシアンったらひどぉい! ――というかそうだ、誕生日だよ。それで思い出した。誰も誕生日じゃないけど君達にプレゼントがあるんだよ。ディー君からだ」
「ディートリヒ様から……?」
クライネバルトの一件以来、あの人狼の青年とは会っていない。
あの凄惨な夜の後、彼は一体どうなったのだろう。メリーアンはメイドキャップのリボンを落ちつきなくいじりつつ、おずおずとアルカにたずねた。
「あの、えっと……ディートリヒ様、大丈夫なのですか?」
「んー? ああ、わりと大丈夫だと思うよ」
ルシアンの前にウィスキーを満たしたグラスを置きつつ、アルカは肩をすくめる。
そしてアルカはしゃがみこむと、カウンターの下をごそごそと漁りだした。
「多分知ってると思うけど、結構頑丈な奴だし。メリーアンちゃんにかなり感謝してたよ」
「わ、私に……?」
まごつくメリーアンに、アルカはカウンターから顔を出して笑う。
「ああ。ゲファンゲネを消してくれたし、あのヤク中を捕まえるのも手伝ってくれたしって。すごく助かったって言ってたよ」
「おい。我輩も協力したはずなのだが?」
「あ、うん。きみにも『まぁ感謝してやる』って」
「感謝してやるだと」
「で、これがこの前のお礼」
眉を吊り上げるルシアンを無視して、アルカはカウンターに二つの包みを置いた。
「本当はディー君本人が渡したかったみたいだけど、色々忙しいみたいでさ。おれに預けたんだよ。二人に渡してくれってさ」
「ほう、駄犬のわりには気が利くな」
一気に機嫌が良くなったようで、ルシアンが満足げにうなずく。
「これはメリーアンちゃんの分。ほら、開けてみなよ」
「あ、ありがとうございます。これは……鋏?」
包みを解くと、大きな銀色の鋏が姿を現わした。
メリーアンの肩から指先までの長さとほぼ同じくらいの大きさがある。見事な装飾が各所に施され、見た目のわりに羽根のように軽い。
しかしその刃の作りは見事なもので、オレンジ色の明かりを冷やかに照り返した。
ルシアンは目を細め、小さく感嘆の声を漏らした。
「……ほう。これは結構な業物だな」
「銘はオールワーカー。ミスリル製。かつてドワーフが打ち上げた変形双刀だ。こういう複雑なのは苦手だからメリーアンちゃんにあげるって」
「変形双刀? ——あ、すごい! これ、二つに分離するんですね」
堅く噛み合っていた連結部がするりと解けると、たちまち大鋏は二つの刀に形を変える。
その見事な変容に、メリーアンは思わず歓声を上げた。
「幽霊の武器としてはちょうど良いんじゃないかな」
「すごい……ミスリルで出来たものなんて初めて見ました……」
ミスリル――鋼以上の強さを持ち、マナを増幅する作用を持つという金属だ。すでにこの地上からは尽きたと言われ、実際もう百年以上採掘されていない。
そんな貴重なものを『使いづらい』という理由であっさり渡すとは。
大鋏の見事な造りだけでなく、ディートリヒの鷹揚さにもメリーアンは驚嘆する。
「なんだか私にはもったいない代物ですね……」
「うむ、そうだな。その業物は我輩にこそふさわしい。我輩によこせ」
「そ、それはイヤです! ダメですってば……!」
「そらよこせ、すぐよこせ」
猫撫で声とともに繰り出されるルシアンの手を、メリーアンは必死で防ぐ。
「こらこら、喧嘩しないの。ところで忘れたの? ルシアンにも贈り物があるんだけど」
「む、そうだったな。それで、中身は何だ」
ルシアンがアルカの言葉に反応し、メリーアンの頭から手を下ろした。泣きそうになりながら鋏と自分の首とを護っていたメリーアンはほっとして姿勢を直す。
アルカはもう一つの包みに手をかけると、うやうやしい手つきでそれを開いた。
ごつごつとした岩塊。あちこちから歪んだ鉄筋が突き出ている。
「銘は無し。またはそのへんのコンクリ塊。制作者は当然不明。ディー君曰く『マレオパールにはこれで十分だ』とのこと」
「わかった。とりあえずよこせ。あいつの顔面に叩き込む」
ルシアンのこめかみが引きつった瞬間、ドアベルの音とともに玄関の扉が開いた。
「……邪魔する」
のっそりと店内に入ってきたのはヨハネスだ。
「これはこれは准教授殿。今日も酒か。そんなに暇なのか、魔法大学は」
「だ、旦那様! 失礼ですよ!」
妙に刺々しいルシアンをメリーアンは必死でなだめようとする。
ヨハネスは心底面倒くさそうな眼でルシアンを見た。
「……何に拗ねているのか興味もないが、僕に八つ当たりするのはやめろよ。子供か」
「やかましいな! 誰が八つ当たりなどするか」
ルシアンはぶつくさ言いながら、カウンターのコンクリ塊を指先で弾いた。
ヨハネスはさして気にする様子もなく、先日と同じようにボックス席の片隅にその長身を納めた。どうやらそこが彼の定位置のようだ。
そのままむっつりと黙り込むヨハネスに、アルカがひらひらと手を振る。
「ヘイヘイヨハン、調べてくれた? 例のクライネバルトのやつ」
「調べたが……君達は僕の事をなんでも博士だと思っていないか? 専門外のことばかりやらせないでくれ」
じとっとした目で睨むヨハネスに、アルカは軽く頭を下げた。
「ごめんごめん。それで? なにかわかった?」
「……とりあえず僕に林檎のカクテルを」
アルカはうなずき、背後の棚から林檎酒とオレンジのリキュールを選び取った。それを銀色のシェイカーに注ぎ、キレの良い動きでシェークする。
「まずあの赤い輪だが、あれは『墓標輪』という。幽霊を従わせる呪術道具だ。魔術機械の電池代わりに幽霊を使う時に、用いられる事が多い」
「幽霊を、電池代わりに……? ひ、ひどい……幽霊の人権って……」
「現在の魔術界は幽霊に人権は存在しないと考えている」
思わず身震いするメリーアンに、ヨハネスは淡々と答えた。
『魔女街において幽霊は野良猫と同じ』といわれる。それはありふれた存在であると同時に、雑な扱いをされる存在だと言うことを示す。
それを改めて思い知り、メリーアンはがっくりと肩を落した。
「……まぁ、僕としてはこの考え方にはいまいち賛同できない」
メリーアンの落胆を察したのか、ヨハネスはぼそりと言葉を付け足した。
そしてポケットからタロットを取り出し、その箱を開く。
「そして、あの薬物についてだが……結論から言えば、前の【虎】と同種だ。複数の魔物の血液を混ぜ、精製したもの」
「同種……? 同一ではないのか?」
ルシアンが鋭く問うと、カードを並べながらヨハネスはうなずいた。
「配合が違った。リストは後で渡そう。ただ組み合わせられた血液の種類、そしてその分量を見ると……すぐに結論は出せないが、恐らく今回の混合血液は——」
「正解に近づいている?」
シェイカーを開け、グラスに酒を注ぎながらアルカがたずねる。
「正解……? 一体、どんな答えを求めているのです?」
「単純だ。これを作った奴は、人間を超えたいのだろう」
答えは隣に座っている主人から返ってきた。
ルシアンはつまらなそうな顔で煙草を取り出すと、その先端に火を付ける。
「人外の血肉を取り込み、超人となる――そんな事を考えた奴は、昔から腐るほどいた」
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