1.リコリスの咲く魔女街

 クライネバルトの出来事から、一週間が経った。

『――第二区は雨のち曇り、第十一区は強酸性の雨が明け方まで、第七区は快晴ですが昨夜からの抗争により血の雨がしばらく続くでしょう。続いて好評でした『トーマスの魔女街美食道中』のコーナーですが、トーマスが第十二区のカニバルストリートで消息を絶ったため先週で最終回ということに……』

「……え、あれ結構楽しみにしてたのに」

 小さなラジオから流れる声に、クラリッサが残念そうにため息をつく。

 そこでメリーアンは我に返った。そして、釣り竿の先が大きく揺れている事に気づく。

「あ……っととと、釣れたわ」

「あら、結構な大物じゃない。釣れたのは、毒抜き用のバケツに落してね」

「ええ、わかったわ」

 その日、メリーアンはクラリッサとともに釣りをしていた。

 場所は監獄館の丘近く――ラノワール棄領を流れるカロン川のほとり。周辺にはごつごつとした岩場が広がり、いつもならば一面灰色の寂しい景色が広がる。

 だが今日は、その中に異質な色が存在していた。

「それにしてもこの花、不思議ね。昨日までは咲いてなかったのに――っと、また!」

 棘だらけのマスらしき魚をなんとか釣り上げ、メリーアンは辺りを見回した。

 岩の陰や廃墟の足下など、あちこちに色鮮やかな真紅の花が咲いている。昨日までは存在していなかったはずのそれが、赤い絨毯のように辺りに群れていた。

「ああ、メリーアンはこの花を見るのは初めてだったね」

 言いながらクラリッサは指で輪を作ると、そこにフーッと息を吹きかけた。

 途端その呼気は炎と化し、枯れ木を赤々と燃え上がらせた。

「リコリスだよ。墓場とかによく生える」

 クラリッサは木で作った串に魚の切り身を刺し、それを焚き火で炙り出した。

「この花は毎年、降神節が近づくとこうして一斉に咲くの。だからこの花は蛮神アシュタール=ラディアタの象徴でもあるんだよ」

 降神節は、魔女街に異界の神が降りたと言われる時期の事を指す。

 その蛮神こそがアシュタール=ラディアタ。

『紅花天子』、『東の三面王』、あるいは『千の御手』とも呼ばれる。この蛮神の降臨により、魔女街は異端の楽園として成立したという。

「降神節……もうそんな時期なのね」

 降神節は秋の祭事だ。

 春にメイドとなったメリーアンは、これが初めて迎える降神節になる。

「降神節ってどんな感じなの?」

「楽しいよ。魔女街のお祭りみたいなものだから。仮装する人もいるし、お菓子たくさん食べたりお酒を呑んだりして騒ぐの。まぁ危ないことも多いけどいつものこと」

 クラリッサはよく焼けた魚を口に運びながら肩をすくめた。

 一口かじる。するとクラリッサは変な顔をして、自分が食べた魚をじっと見つめた。

「見た目マスなのに中身タコだ。――この花が咲くと、降神節はもうすぐって感じだね」

「そうなんですか……真っ赤で綺麗ね。ちょっと不気味な感じもするけれど」

 改めて、メリーアンはまじまじとリコリスを見た。

 赤い蜘蛛か炎にも似た花の形は、見ているとなんだか背筋がぞくぞくとしてくる。確かにどこか、この世のものではないような雰囲気を漂わせていた。

「いちおう毒のある花だからねぇ。――それにしても、ここの川は綺麗だね」

 ころころと石がぶつかるような音が背後で聞こえた。メリーアンが振り返ると、魚を食べ終えたクラリッサが釣り竿を手に岩へと上がっていた。

 メリーアンは首をかしげ、眼下を流れるカロン川を見下ろす。

「そう? ここも瘴気で結構汚染されているけど」

「水が透明なぶん他の街区よりマシだよ。魚もわりと原型を残してるし」

 穢れた水によって、魔女街に住む魚は大半が魔物と化している。住民達は魔術を使うか、あるいは特殊な浄水器を使って清めた水で魚を毒抜きして食べていた。

 それから二人はしばらく黙って、魚を釣り続けていた。

 メリーアンが何匹目かのマスを釣り上げた時、クラリッサは不意に口を開いた。

「……何か悩んでいるの? メリーアン」

「え? そ、そう見える?」

 メリーアンはやや狼狽えてクラリッサを見た。

 鮮やかなエメラルドグリーンの瞳を心配そうな色を湛え、クラリッサは深くうなずいた。

「うん。だっていつもよりも美人」

「び、美人」

「美人は悩んでいる時が一番綺麗なの。あんちゃんが言ってた」

「ヨハネスさん……」

 もしや彼も大分性癖をこじらせているのだろうか。

 メリーアンが友人の兄に思いを馳せている隣で、クラリッサは釣り糸を川に投げた。

「それでどうしたの? 相談乗るよ?」

「えっと……その、ね――」

 メリーアンは一瞬ためらった。

 しかしきっかけを与えられると、そのまま黙っていることは出来なくなる。メリーアンは迷いながらも口を開くと、クラリッサにキングダムでの出来事を話した。

 クラリッサは水面に視線を向けたまま、時折相槌を打ちつつ話を聞いていた。

「――それで、その出来事が心に引っかかっているんだね」

「ええ……慣れているつもりだったけど。それでもこういう時、何が正しいのかよくわからなくなってきちゃうの。足場がぐらぐらしているみたい」

 メリーアンは力なくうなずき、流れる水面とそこに揺れる釣り糸を見る。

「仕方ないよ。ここはそういう街だもの」

 首元に巻いたストールを引きあげ、クラリッサはため息をついた。

「でも外界ではね、そうしてもやもやする事も許されないんだよ。何が正しいのか、間違っているのか、しっかり線引きされてる」

「……誰が線を引くの?」

「向こうで言うと一番正しい人達。その人達が『魔女は存在自体が間違い』って言ったから、あたし達はここにいるの」

 クラリッサは肩をすくめる。

 彼女は元々、ロピア大陸の東にあったプラヴディア大公国の出身らしい

 昔、プラヴディアを含んだ東ロピア近辺には魔女が多く住んでいたという。しかしプラヴディア大公が金環教に改宗した結果、魔女への弾圧が始まった。

「魔女街にはなんでもある。ここは何を考えても良い場所」

「何を言っても追い出される事はない」――クラリッサは物憂げにそう言った。

 大公の弾圧に、ある一人の魔女が抗議した。結果、周辺諸国をも巻き込んだ魔女狩りが始まり、クラリッサ達は国を追われることになったという。

 自分のように曖昧な存在が、外界にいたらどうなっていたのか。

 メリーアンはぼんやりとそんな事を考えながら、流れる水を見つめていた。

 その水面に、不意に大きな魚影がよぎる。

「だからこそ、この街じゃ自分の足場をしっかり持っていないと。でないと――うわっ、来た! なんか大きいの来た!」

 魚はクラリッサの方に食いついたようだった。

 クラリッサは珍しく声を上げて立ち上がり、ぐいぐいと釣竿を引く。

 メリーアンはクラリッサに手を貸そうとして――そこでぴたりと動きを止めた。

「……旦那様が呼んでる」

「じゃ、じゃあ、今日はこれでお開きね。あたしもそろそろ用事で帰らなきゃだからっとっとっと……とりあえずコイツを釣り上げてから」

「……念力、使う?」

 魚とクラリッサの戦いはずいぶん長く続いている。

 心配になったメリーアンがたずねると、クラリッサは必死で首を振った。

「だめ、だめだよ。あたし、あんちゃんに自慢するの。自分一人で釣ったって」

「そ、そうなの……それじゃ、ご機嫌よう」

 全身で釣竿と格闘しているクラリッサを置いて、メリーアンは自分の魚が入ったバケツを手にその場を後にした。

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