20.Howling
轟音がキングダムを揺らした。
塵煙で目の前が真っ白になる。聞こえるのは男達の悲鳴と――そして獣の唸り声。
「――俺達は深い森の中で暮らしていた」
「うそ、ディートリヒ様……?」
メリーアンは目を見開く。
奇妙にくぐもったその声は間違いなく、先ほど頭蓋を吹き飛ばされた彼のもの。
「俺達は、祖たる神々を尊びながら生きていた。教会の奴らの要求はとうてい受け入れられる物じゃなかった――そうして奴らは俺達を焼いた」
「ヒッ、ギッ……! い、いやだ、いやだいやだいやだ――!」
「ジャ、ジャード! おい、どうした!」「舞台だ! 舞台の方から――!」
狂ったように叫びだしたジャードの声に、ギャング達の間にどよめきが走る。
塵煙は徐々に落ち着いていった。
ちぎれたカーテンと、崩れた舞台が見える。――そして、そこに立つ巨大な影も。
「同胞が死ぬ中、命からがらこのクソッタレな街に逃げてきた。――それで、これだ」
うつろなディートリヒの声とともに、影が振り返る。
それは狼だった。錆色の毛並みに覆われた肉体は筋骨隆々として、小山のように大きい。その肩には、見覚えのある古い軍服の上着が引っかかっている。
狼は崩れた舞台に二足で立ち、鋭い鉤爪を備えたその手にジャードを掴んでいた。
「クソったれ! 離せ! 俺を離せよ、犬もどきが――!」
恐怖のあまり泡を吹きつつ、ジャードは右の拳を振りかぶる。
その拍子に、その手の青白い筋がブチリと音を立てた。
「ひ、ギイッ、アァア―――!」
肉が潰れるような音ともにジャードの右肩が爆ぜる。奇妙な蛍光色に変異した血液が噴水の如く噴き出し、ジャードの絶叫が響き渡った。
その時、狼が押し殺した声で笑った。
「……おいおい、副作用か? 勘弁してくれよ、ヤクに殺されるんじゃねぇぞ。これから俺がてめぇを殺すんだからよ」
「ディートリヒ様……?」
狼の口から零れたその声は間違いなく、ディートリヒの声だった。
戸惑うメリーアンにディートリヒは答えず、ジャードを放り投げる。
光る血を撒き散らしながら、ジャードは壊れかけのジュークボックスへと叩き込まれた。
「人狼だ――!」「増援を呼べ! 早く!」「化物がッ、死ねッ――!」
直後、ギャング達の銃口が火を噴いた。四方からディートリヒめがけて鉛弾が降り注ぐ。
たくましい獣の体から血が飛び散る。
「――よくもまぁ。ジャードに当たるかもしれないのに撃つ気になったものだ」
ルシアンが鼻で笑った。その顔から影は消え、確かにいつもの美形に戻っている。
表情は通常の二倍不機嫌そうだったが。
「だ、旦那様! ディートリヒ様を助けないと――!」
「必要ない」
ディートリヒを護ろうとするメリーアンを、ルシアンは何故か制した。
主人の制止にメリーアンは一瞬面食らった。
しかし、すぐにその意味を理解する。
「え……嘘……?」
機銃掃射を全身に浴び、時にその頭を撃ち抜かれてなお。
銀の瞳をぎらぎらと光らせて、ディートリヒは無言で立ち続けていた。
「死ねぇええ!」
誰かが火炎瓶を投げつける。
火を灯したウィスキーの瓶は的確にディートリヒの頭部を捉え、たちまちそれを爆炎で包み込む。飛び散る硝子と炎に、ギャング達は一瞬歓声を上げた。
しかし、錆色の影が飛ぶ。
途端、歓声はどよめきに――そしてすぐに悲鳴へと変わった。鋭い鉤爪と太い腕が乱舞し、鮮血を撒き散らしながら首や手足が宙を舞う。
「なにがどうなっているんです? どうしてディートリヒ様は――」
「ティーアガルドには終焉の獣と呼ばれる伝承があった」
混乱に頭を抱えるメリーアンをよそに、ルシアンは機関拳銃カーネイジを抜いた。
椅子を振り上げ、狂ったように雄叫びを上げながら一人の男が躍りかかってきた。
ルシアンは椅子をかわし、男の膝を撃ち抜いた。
崩れ落ちた男の頭にさらに二発撃ち込み、ルシアンは語る。
「魔の森に異界より蛮神が降り立ち、そこに住む一匹の狼に知恵と与えた……狼はやがて人狼となり、その子孫達が国を作った。そして彼らに蛮神は予言したそうだ」
――もし汝らの国が脅かされれば、倒れた戦士達の力と命は最も優れた狼の元に集う。そうして最も強き戦士を生み出すだろう。
――無限の狼群の如く彼の命は尽きず、彼の怒りは世界を喰らう。
「それが、ディートリヒ様……?」
メリーアンは信じられない思いで、荒れ狂うディートリヒの姿を見る。
たった一人で、まさしく幾千幾万もの狼の如く。
弾雨を浴び、時にナイフを突き立てられながらも、その暴走が止まる様子はない。
それどころかその体は徐々に大きく、力強くなっていくように見えた。
もはや誰にも止められない。
怒り狂った人狼はその爪で数多の頭部を刎ね飛ばし、巨大な拳で男達を潰した。
「恐らくは。あれは見ての通り不死身だ。そして、怒れば怒るほど強くなる。――それよりメリーアン、出入り口を封じておけ。誰も逃がすなよ」
「え……? 旦那様、一体何を――?」
「なんだ、忘れたのか? いや、言っていなかったか」
カーネイジをもう一丁抜きながら、ルシアンは鋭い歯を剥き出して笑った。
「昔からな――我輩、顔を狙った奴は全員殺す事にしているのだ」
獣の威嚇じみた、禍々しい微笑――それは機嫌が最高に悪い時に主人が見せる顔。
もう――誰も生き残らない。
メリーアンは小さく身震いしつつ鬼火を灯し、扉に向かって手をかざした。
独りでに錠が落ち、念力が扉を塞ぐ。まさにその時、ギャング達が扉へと殺到した。
「開かねぇ! お、おい、どうなってんだ! びくともしねぇぞ!」
「あ、あいつらだ! あの人でなしどもが細工を――!」
「殺せ! 死ぬ前に奴らを殺せぇッ!」
目を血走らせ、狂ったように雄叫びを上げながらギャング達が襲いかかってくる。
ルシアンは鼻で笑って、カーネイジをくるりと回した。
「少し踊るか、メリーアン」
「こんな時にかっこつけない!」
メリーアンはさっとルシアンの前に立ち、両手を突き出した。
歪んだ鐘の音が響き、滅茶苦茶に撃ち込まれる弾雨を念力が尽く粉砕する。
「代われ!」「承知!」
背中合わせに一回転。エプロンを翻してメリーアンが後方に回り、ルシアンが前に出る。
間髪入れずのフルオート掃射。
ライトが火花を散らして砕け散り、割れた酒瓶が色とりどりの酒をぶちまける。
ドラムロールの如き銃声とともに弾幕が射撃を終えた男達を襲い、黒い影の魔法が尽くギャング達を滅ぼしていった。
さながら踊るような足取りで、攻守はめまぐるしく入れ替わる。
主人が敵を撃ち滅ぼし、メイドの念力が障害物ごと的を吹き飛ばす。黒いスーツのジャケットがはためいて、メイドキャップのリボンが風に舞う。
銃声、悲鳴、壊れた鐘にも似た念力の音――そうして獣の雄叫びが、夜の闇を震わせた。
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