19.貌
「ヒッ、すげぇだろ? コイツの力でオレはここまでのし上がってきたわけ。――それで、もうここにはメイドちゃんしかいねぇんだけどさ」
にやにやと笑いながら、ジャードが距離を詰めてきた。
メリーアンは身を引きつつ、素早く周囲を確認する。
ディートリヒは息絶え、ルシアンは崩れた壁の向こう。周囲はにやけたギャングに囲まれ、出入り口は門番と思わしき大柄な男に塞がれていた。
『ギャング程度はお前の相手ではない』――かつて主人はメリーアンにそう言った。
しかし、『おかしな相手には用心しろ』とも言っていた。それは魔術師や、あるいはマナを宿した武器を操る者の事を示すらしい。
「おい、邪魔すんなよ。オレが先だ。手ぇ出したらあいつみたいにブッ飛ばすぞ」
ジャードは引きつった笑みを浮かべながら周囲を制す。
その顔面にぼうっと光る青白い筋。メリーアンはそれを見つめ、眉をひそめた。
「……やっぱり、強いマナを感じる」
異様な怪力と速度――そして先ほどまではなかったはずの、ジャードに宿るマナ。
どう見ても『おかしな相手』だ。
メリーアンは構えつつ、次の対応を考える。念力でポルターガイストを引き起こし周囲を一掃するか。しかしジャードに果たして通用するのか――。
知恵を絞ろうとするメリーアンに、ジャードは青白い筋の浮いた手を伸ばしてきた。
「もうどうしようもねぇよ、メイドちゃん。だから怖い顔やめてさぁ――ッガ」
その時、ジャードの顔面に石塊がぶち当たった。
鈍い衝突音の直後に、ぐちゃッと何かが潰れる音が響く。ジャードはその勢いのまま吹き飛ばされ、舞台へと叩き込まれた。
「ッアァ――! クソッタレ! クソが! なんだ! なにが起きやがった!」
落下してきたビロードのカーテンを吹き飛ばし、ジャードが起き上がろうともがいた。しかし先の一撃で脳を揺らされたのか、何度も地面に倒れ込んでいる。
「――予想外だったな」
「ッ、旦那様……!」
あれくらいでルシアンが死ぬとは最初から思っていない。
それでも自分のすぐ後ろから響いた主人の声に、メリーアンはぱっと顔を明るくする。
振り返ったその先に、ルシアンは立っていた。
深くうつむいているせいで、長い黒髪がその顔を完全に覆い隠していた。
「……いや、正直のところ少し驚いた。ただの薬物中毒の極道者が、あんな動きをするとはまるで思っていなかった。油断禁物だな、まったく」
顔を左手で覆い、ルシアンは深くため息を吐いた。
なにか様子がおかしい。顔の見えない主人に、メリーアンは一瞬奇妙な不安を感じた。
「だ、旦那様……あの……?」
「死に損ないが! クソッ、クソッ! やりやがったな!」
ようやく立ち上がったジャードが吠える。
その鼻は完全に潰れ、顔面全体が大きく歪んでいた。青白い筋がミチミチと音を立てて広がり、蜘蛛の巣のように顔を覆っていく。
その手が腰のホルスターに伸び、リボルバーを引き抜いた。
「ッ、させません!」
念力は間に合わない。
それでもメリーアンはとっさに実体化し、せめて盾になろうとする。
「死ねぇ――!」
引き金が引かれ、メリーアンは一瞬の痛みと衝撃を覚悟した。
しかしその瞬間、どす黒い影がメリーアンの視界を覆った。木々のざわつきにも似た奇妙な音が響き、強烈な硫黄のにおいが鼻先を突く。
「えっ……!」
予想外の出来事にメリーアンは目を白黒させる。
その時、眼前でパキンと小さな音が響く。小さな金属片が割れるような音だった。
「銃弾が……」
何が起きているのかはわからない。
ただ、銃弾が喰われた――それだけはメリーアンにも理解できた。
「余計な事をするな、メリーアン」
ルシアンの言葉が聞こえた。
瞬間、影が動く。まるで幾本もの黒い帯の如く、視界を覆っていた影が一点に収束する。
その先を、メリーアンは振り返った。
顔の左半分を軽く手で押さえつつ、ルシアンが不満そうに唇の端を下げた。
「体が壊れたらどうする気だ? 直すのは我輩なのだぞ」
その言葉はろくに頭に入らなかった。
メリーアンの眼は、主人の顔に釘付けになっていた。
「旦那様……その、影は一体――?」
ルシアンの顔の左半分は、ぐらぐらと揺らぐ奇妙な影に覆われていた。
その向こうで赤い瞳がまるで地獄の火のように光り、異様に鋭い歯が露わになっている。
いまさらルシアンに対して恐怖などは感じない。
ただ今まで見たことのない主人の姿にメリーアンは困惑していた。その問いかけに、主人はまともな答えを返さなかった。
「これか? 安心しろ。そのうち元の美形に戻るから」
そう言ってルシアンは肩をすくめると、ジャードを見た。
異形の顔を向けられたジャードが息を飲み、ふらふらと後ずさった。
「こ……こ、こいつ、人間じゃ――!」
「なんだ? 今さら気づいたのか? それはそれとして、だ」
ルシアンが心底不快そうに唇を歪めた。
影に覆われた左側の口角は耳の下まで裂け、鮫の牙にも似た歯がぎらぎら光る。
「いつまで寝ている? ――ディートリヒ」
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