18.天を面罵する者

 すると、ジャードは「おいおい」と人差し指を軽く振った。

「全員って言い方はおかしいな。まるでこいつらが人間みたいじゃねぇか」

 そう言って、彼はディートリヒの死体を思い切り蹴り飛ばした。

 野卑な歓声に大きく手を広げて応えながら、ジャードはゆったりと語り出す。

「オレのママはさぁ、そりゃあ敬虔な金環教徒だった。クソ厳しかったが、色んな話を聞かせてくれた。冥軍侵攻、月穿つ槍、神々の宴に――そうして『大狩猟』だ」

 それは、金環教によって行われた大規模な虐殺の一つ。

 金環教最高指導者である聖冠皇せいかんこうは諸国に勅命を下し、改宗を拒否した獣人の国々を焼き払った。その中には、ディートリヒの祖国ティーアガルドも含まれている。

「教典には書いてあった。獣人は二足の獣にすぎねぇ。――そして最高の皮が取れるってな。種類によって違うが雄は大きく頑丈で、雌と子供は柔らかい」

「うッ――!」

 その瞬間、メリーアンは珍しく極めて鮮烈な感覚を覚えた。

 腹の底がせり上がり、背筋がぞわぞわと震える。思わず口元を押さえて初めて、メリーアンはそれが幽霊には縁遠い『吐き気』だと気づいた。

 一方のルシアンは特に顔色を変えず、ただ黙って煙草をふかし続けていた。

「もったいねーじゃん。金貨が詰まった袋がうようよしてるようなもんだ。ママも言ってたぜ、しっかり働かねぇと魂が堕落して親父みてぇなクズになっちまうってさ」

「だからキリキリ働いてたんだよ」と、ジャードはうっとりと獣人の毛皮を撫でる。

 薬による高揚感と、残虐な仕事に対する満足感。――彼の胸を満たしているのは、ただそれだけのようだった。

「……悪趣味な」

 口元を押さえたまま、メリーアンは顔を歪める。

 するとジャードは丸く目を見開き、心外だと言わんばかりに首を振った。

「悪趣味だぁ? 人間様が狩りをしてまっとうに商売してるだけだぜ?」

「狩りって、そんな……」

「何がおかしい? この街には俺達以上の悪党がごろごろしてるじゃねぇか」

 ジャードの顔を、口元を押さえたままメリーアンは睨む。

 異端の園である魔女街は悪人だらけだ。メリーアンもさんざんその手の人間を見てきた。

 それでも、ここまでの不快感を感じることはそうそう無い。

 ジャードは下卑た笑みを浮かべたまま、まるで宣誓するように自分の胸に手を置いた。

「言っておくがな、オレ達は人殺しはしてねぇぞ。人間は一人も殺してない。どう考えても、魔女街のその辺にいるイカレどもよりも遥かに善良だろ?」

「く、くく――かかかッ!」

 その瞬間、ルシアンが珍しく声を上げて笑った。

 わざとらしく胸を張ってみせたジャードが訝しげに眉を吊り上げ、ルシアンを睨む。

「――なんだ、なにがおかしい?」

「……貴様、まさか人間がそこまで高尚な存在だと思っているのか?」

「あ……?」

「まぁいい。――誰も頼んでいないのに、何をだらだらと語っているんだか。誰も貴様の事情になど興味はない。大好きなママにでも話してやったらどうだ」

 ジャードのこめかみが大きく引きつった。

 顔色が見る見るうちに青ざめ、呼吸が上がっていく。ジャードはガリガリと肌をかきむしりながら、痙攣する手をポケットに突っ込んだ。

 ジャードの異様な動きを前にしてなお、ルシアンは呵々かかと笑い続ける。

「しかし――かかっ、善良か。この街で? 笑わせてくれるなよ」

 ルシアンはにいっと唇を吊り上げた。

 その左手が拳を作り、まるで宣誓するかのように胸に当てられる。ルシアンは高らかな声で、まるで世界全土を嘲笑するような口調でのたまった。

「悪を誇れ! 異端を誇れ! 言い訳をするな、開き直れ! 貴様も我々も、皆等しく棄てられ魔女街に流れ着いた畜生だ!」

 ルシアンの嘲笑が静寂をびりびりと振るわせる。

 居並ぶ男達は皆、呆気にとられた様子で彼の姿を見つめていた。

 メリーアンもまたメイドキャップのリボンを握りしめ、ルシアンの横顔を見つめていた。

「この街に正も邪もありはしない! 誰を殺すも誰を犯すも皆自由。例え全世界が許さずとも、魔女街は全ての外道畜生を許容する!」

 唇を大きく吊り上げ、赤い瞳に涙さえ浮かべ――主人は、心底愉快そうに笑っていた。

 一体どんな人生を送れば、あんな啖呵を切ることが出来るのか。

 驚愕と感嘆に声も出せないメリーアンの耳が、ある一つの異音を捉えた。

「はっ、ひぃ、はあ……!」

 それはジャードの異常な呼吸音だった。

 コインや煙草をぼろぼろと床に落し、ジャードはポケットから注射器を取り出した。

 ぶるぶると震える手で針からカバーを外し、彼はそれを手首に打ち込む。

「……薬切れ、かしら」

 小刻みに震えながら目を閉じ、深く恍惚とした息を吐くジャード。

 ディートリヒの言葉通り、重度の薬物中毒者のようだ。

「……悪を為さねば生きられず、異端を叫ばねば魂が死ぬ」

「旦那様……?」

 静かなルシアンの声に、メリーアンはジャードからルシアンに視線を移す。

 うつむき気味の横顔に、先ほどまでの愉楽の色はもうどこにもない。長い前髪が掛かったその面差しは、どこか物憂げに沈んでいた。

「故に皆、この街で好き勝手に生きている。獣人を殺そうと人間を殺そうと貴様の勝手だ。動機も事情もどうでも良い。好きにしろ」

 ルシアンは煙草の吸い殻を床に捨てた。

 それを靴底で踏み、潰れた灰を見下ろして彼は赤い瞳をすっと細める。

「……ただ、それは――」

 その時、メリーアンの眼前からルシアンの姿がかき消えた。

 直後、背後で派手な音とともに壁が崩れる。

「……旦那様?」

 ルシアンが吹っ飛ぶ姿など初めて見た――気がする。

 瓦礫の向こうからルシアンの長い足がだらりと伸びている様子は新鮮だった。

 しかし程なくしてメリーアンは、自分が相当まずい状況に置かれている事に気づいた。

「ヒヒッ……お説教どーも。心配せずともオレ達は長生きするぜぇ」

 メリーアンの前で、ジャードが大きく肩を揺らしながら笑った。

 その顔面や手首などには青白く光る筋が浮き上がり、びくびくと蠢いている。

 彼が、ルシアンに一撃を入れたのは間違いない。

 しかしメリーアンにはその動きさえほとんど見えなかった。

「失敗は取り返せる――ママはおれに殺されるまでよく言ってた。単純だ、ゲファンゲネが落ちたんならまた作る。獣人狩りがバレたんなら知った奴を殺せばいい」

「なんせ」と荒く息を吐きながら、ジャードは注射器を揺らしてみせる。

 アンプル内にわずかに残った液体は赤い。

「オレは金も、力も与えられたんだ。何度でもやり直しがきく」

「与え、られた……?」

 素早くルシアンを庇うように立ち、メリーアンは聞き返す。

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