15.解放
「私、ですか? でもさっきは壊せなかったのに……」
「元々はお前が言いだした事だろう。それに我輩がやると幽霊どもは跡形もなく消える」
「わ、わかりました。がんばります……」
メリーアンはそっと手を伸ばし、ナイフを受け取った。
シャープな見た目とは裏腹にずしりと重い。血の滴るそれを握りしめ、精神を集中する。
地鳴りのような音が辺りを揺るがした。
同時に巨大なマナの波が自分に向かって迫るのを感じ、ナイフに意識を向けていたメリーアンは一瞬身を固くする。
「《
ルシアンが左手の指をぱちりと鳴らした。
途端、黒い影の粒子が渦を巻いた。ごく単純な呪文によって発動した闇の魔術は、押し寄せていたマナの波が一瞬にして打ち消した。
左手をひらひらさせ、事も無げにルシアンは肩をすくめた。
「これくらい単純な攻撃ならば一文節の魔術で事足りる――そら、どうした。主人が時間稼ぎをしてやっているのだぞ。作業に集中しろ」
「あ、は、はい――!」
メリーアンは改めてナイフを握り直した。
赤く濡れた刃をじっと見つめる。考えてみれば、今まで自分は念力で物体を浮遊させた事はあっても、こうして念力を物体に纏わせた事がない。
切っ先に紫の鬼火が灯る。それは瞬く間に刃を流れ、柄までを呑み込んだ。
「刃に透明な膜を被せる感じで―う、うん……っ!?」
体の底がかっと熱くなるのを感じた。
同時に刃に灯っていた鬼火がごうっと膨れあがり、篝火のように燃え盛る。
それは先ほどの火事場の馬鹿力と感覚が似ている。ただ、今のメリーアンに怒りはない。
「えぇと、とと、と――こうして、ああ! こう? うわぁあ――!」
巨大な力に戸惑いつつ、メリーアンは必死でそれを制御しようとする。
しかし火勢は増す一方。
さらに炎は不安定に揺らぎ、激しく火花を散らすようになってきた。身の丈をも越す火柱と化した鬼火を抱え、メリーアンは悲鳴をあげた。
「だ、だだ、旦那様――旦那様ァ! な、なんか変です――!」
「何をもたもたしている。早くしろ」
言いながらルシアンはまた指を弾き、マナの波を打ち消した。さらに立て続けに襲い来る波を反対側の指を鳴らし、闇のマナによって防ぐ。
幾百もの怨嗟の叫びが響き渡った。暗闇の中で膨大なマナが蠢く。
抵抗が激しくなってきている。――それを理解し、メリーアンは唇を噛む。
「でも鬼火が不安定で! これではマナが飛散して、爆発してしまうかも――!」
「安定させろ」
「そんな無茶な――」
「これは命令だ! 三つ数えるうちに安定させろ! そら三、二、一――!」
ルシアンは容赦なく声を張り上げ、パンッと手を打ち鳴らした。
それは、メイドとして染みついた本能だろうか。
「お、おぉおお――!」
ルシアンが数を数え切ったまさにその瞬間、メリーアンは鬼火の制御に成功した。
盛大に散っていた火花が散り、流動する鬼火が収束する。
大剣の形にまとまった鬼火を握りしめ、荒く息を吐きながらメリーアンは前を睨んだ。
狙いは一つ――鬼火の剣を振り上げ、赤い輪めがけて突進する。
その時、無数の悲鳴が耳をつんざいた。
青白く光るマナが津波のように立ち上がり、メリーアンを阻もうとする。
「《
ぱちんと指が鳴る。
同時に闇の力を帯びたマナが広がり、メリーアンを包み込んだ。
黒い霧にも似たそれに青白いマナの波が打ち消され、光を失って四散する。
「――切れ、メリーアン」
「合点承知でございます」
黒い霧を突き破り、メリーアンは飛びだした。。
眼前に光る赤い輪めがけ、メリーアンは大上段から鬼火の剣を振り下ろした。
ゲファンゲネの眼が限界まで見開かれた。
滅茶苦茶についた口がそれぞれ悲鳴を上げ、不気味な不協和音を奏で上げる。
まさに斬りかかろうとしていたディートリヒは息を飲み、そのまま地面に着地した。
「ディートリヒ! ゲファンゲネが!」
狼の頭をした獣人がディートリヒに駆け寄る。
周囲では、狼や牛の頭をした獣人達が旧式の大砲を撃とうとせわしなく走り回っている。
ディートリヒは鋭く片手を振るい、声を張り上げた。
「攻撃止めッ! 総員待機!」
「攻撃止めッ!」「詠唱止めろ!」「何が起きてる!」「射ち方止めッ!」
砲撃の音が止まり、魔術の光が地上から消える。
クライネバルトの獣人達が見守る中、ゲファンゲネの体が大きくのけぞった。
その身を縛り付けていた鎖が砕け散り、塵となって風に消える。
直後、ゲファンゲネの全身から青白い光が零れ落ちた。
それはまるで輝く雪のように暗い魔女街へと降り注ぎ――あるいは風に舞う花弁のように夜空の彼方へと飛んでいった。
「幽霊どもが、解放されていく……」
ディートリヒは大きく目を見開き、光と化して消えていくゲファンゲネを見つめる。
「ゲファンゲネが.……消滅するぞ!」
「やってやったぞ! 勝利だ!」
「これで何もかも元通りだ! 皆帰ってくる!」
獣人達の間で歓声が弾けた。皆手に手に杖やらマスケット銃やらを振り回して狂喜し、犬系の獣人達は野太い遠吠えを夜空にぶち上げた。
「お前も吠えろよ、兄弟!」
「今日は宴だ! ウシ頭ども見てぇにガンガン食って呑もうぜ!」
「いや……俺はまだやる事がある」
狼や犬の頭をした仲間に背中を叩かれつつ、ディートリヒは獣人達の輪から外れた。
一っ飛びで屋根の上に上がり、銀の瞳を細めて暗い家々を見回す。
「……さらわれた奴らは、どこに」
頭上を影がよぎった。
ディートリヒがはっと振り返ると、メリーアンとルシアンが降り立つところだった。
「嬢ちゃん、無事か! 良かったぜ! マレオパールはくたばらなかったのか。残念だ」
「ずいぶんな言いぐさだな。貴様は我輩に感謝するべきだぞ、駄犬」
黒豹の如く軽やかに着地し、ルシアンはにやりと笑った。
メリーアンはその後ろに音も無く舞い降りる。実体化しつつ空を見上げれば、ゲファンゲネが消滅していくところだった。
「よかった……皆、あるべき場所に戻っていきますね」
幾万もの蛍を解き放ったように、青白い霊達が夜の闇に溶けていく。
見守っていたメリーアンはふと、一つの光が自分達の方に向かっている事に気づいた。
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