14.血で喉を潤す

「素晴らしい。盗んでおいて良かったな。あとでヨハンに一杯奢ってやろう」

「ど、どうやって盗んだんですか? 魔術と違って魔法は、作ったその人にしか使えないものなのでは――」

「そうでもない。術式を知った上で修練を積み、適性を獲得すれば使える」

「なるほど……それでも生半可な事では使えないのですね」

 適性を獲得すれば使えるとは言うが、それは内臓の位置を自力で変えるほど困難な事だ。

 過酷な修練を思い、メリーアンは改めて主人に感嘆する。

「――が、それは至極面倒くさい」

「え?」

 ルシアンの溜息に、メリーアンは間の抜けた声を出した。

「実は我輩の魔法に相手から情報を盗み出す物があってな。それを使ってヨハンから術式の情報を盗みだし、その適性に合わせて体内構造を少し変異させているのだ」

「え、それってようするに物凄いズル――」

「体内に突入するぞ。先導しろ、メリーアン」

「あ、はい」

 腑に落ちないままメリーアンはルシアンを連れ、ゲファンゲネの口を潜り抜けた。

 目の前が一気に暗闇に包まれた。

 間髪入れずに大きなマナの波が前から押し寄せ、幾百もの声がメリーアンを包み込む。

「くっ……やっぱり、きつい……!」

 メリーアンは歯を食いしばり、力と意思の奔流に耐える。

 先ほどとは異なりそれらはメリーアンを拒み、追い出そうとしているように感じられた。

「――やかましい」

 声の嵐の中で、何故かその不機嫌そうな声ははっきりと聞こえた。

 途端、意思の奔流はぷつりと消えた。同時に絶え間なく押し寄せていたマナの波も消え、辺りは不気味なほどの静寂に包まれる。

 ぱちりと指を鳴らす音に、メリーアンははっと振り返った。

 何事もなかったかのように腕組みをしながら、ルシアンが前方を軽く顎でしゃくる。

「あれか。あの赤い光」

「あ、えっと――」

 常人ならば確実に発狂するであろう意思の奔流。あれをもろに喰らって無事とは、一体どういう精神構造をしているのか。

 戸惑いながらもメリーアンは主人の指し示す方を確認し、うなずいた。

「え、えぇ。あれで、間違いありません」

 先ほどと同じように、前方にぼうっとした赤い光がある。

 ルシアンは腕組みを解き、その方向へと飛行を開始した。メリーアンも慌てて後に続く。

 そして墓場のような静けさの中、二人は赤い輪の元へとたどり着いた。

「――ふむ。これは面白い」

 ルシアンはしげしげと輪を観察する。その間メリーアンはメイドキャップのリボンをいじりながら、じっと主人の言葉を待っていた。

「……どうです? これ、なんだかわかりますか? どうすればいいんですか?」

 やがて沈黙に耐えられなくなったメリーアンはたずねる。

 ルシアンはぐるりと輪の周囲を回り、左手で口を隠して考え込んだ。

「これは人工物だな」

「そ、そんな事はどうでもいいでしょう! 問題はこれをどうするかで――」

「いや、重要だ。――ひとまずメリーアン、こいつに念力をぶつけてみろ」

「え? 念力を……ですか?」

「早く」

 急き立てられ、メリーアンは慌てて赤い輪に手をかざした。

 歪んだ鐘の音が響き渡る。暗闇を揺るがし、赤い輪に強力な衝撃波が叩き込まれた。

 しかし――赤い輪には一片の傷もない。

「なっ……こ、壊れません!」

「ふん、そこそこ高級品だな。――とりあえず、取り除くか」

 ベルトに吊していたホルスターの一つに手を伸ばし、ルシアンはナイフを取り出した。

 その時、辺りに鈍い地鳴りのような音が響き渡る。

「……どうやら本格的に追い出しに掛かるようだな。――メリーアン、少し実体化しろ」

「は、はい!」

 すぐに『肌』を形成し、メリーアンが背筋をただす。

 ルシアンは刃に指を滑らせた。ぷつりと皮膚が裂け、赤い血が刃を伝って滴り落ちる。

「だ、旦那様……? 一体何を――んむっ」

「少しの間、お前に掛けている力の制限を一部外す。――そら、しっかり味わえ」

 戸惑うメリーアンの口に、ルシアンはその傷ついた指を突き入れた。同時に反対側の手を素早く動かし、彼女の額と喉とみぞおちに触れた。

「――冥王が告ぐ。主たる我が血を以て、呪詛の剣の枷と成す」

「うっ、ん――くっ……!」

 鈍いはずの幽霊の五感。

 なのに主人の血の味は、それまでに口にしたどんな物よりも強烈に感じる事ができた。

「ぐっ、んくっ――」

 メリーアンはえずきながらなんとか喉を鳴らし、血を飲み下す。

 鉄錆の味にくらくらしつつも指先に舌を這わせれば、裂けた傷の形をはっきりと感じた。

 痛くないのかしらとぼんやり考えた。

 けれども、それ以上に奇妙な昂揚感が胸の内に湧き上がった。

 ――私はこの人の血に侵蝕されている。私はこの人の痛みを支配している。

 感じた事のない激しい情動にメリーアンは戸惑う。

 それでも無我夢中で指に吸い付けば、ルシアンはどこか愉快そうに赤い瞳を細めた。

「……ふむ。なかなか美味しそうな顔をする」

 どこか仄暗い昂揚感は、ルシアンが指を引き抜くのと同時に終わった。

 実際の時間は十秒と少しくらいのはずなのに、永遠のように感じた。荒く息を吐きながらみメリーアンは口元を拭い、自分の両手を確認する。

「……なにか……変わりましたか?」

「変わっているぞ。劇的にな。――とりあえず時間がない。こいつを貸してやる」

 ルシアンはくるりとナイフを回し、その柄をメリーアンに差し出した。

「これを軸にありったけのマナを注ぎ込み、《幽かな冷徹フラットライン》の要領で念力を発動させろ。そうして輪を切れば良い」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る