13.旦那様は手癖が悪い

「お、お待ちください!」

 思わずメリーアンは声を張り上げる。

 まさに行動しようとしていたルシアンとディートリヒはその声に振り返った。

 ルシアンが訝しげに片眉を上げた。

「なんだ、メリーアン」

「消えてしまうのですか? あの、ゲファンゲネに囚われた幽霊達は」

「ああ。消えるぞ」

 ルシアンは当然のことと言わんばかりにうなずいた。

「あれはもはや悪霊の域を脱している。幾百もの幽霊達が『何か』の作用で捕らえられ、凝固している。ほとんど魔物だ」

 そういえば先ほど、ディートリヒはゲファンゲネに素手で触ることが出来ていた。

 あれは幽霊が実体を持つほどに大量に寄り集まった結果だったのだろう。

「あの状態でゲファンゲネを殺せば幽霊達は二度目の死を迎える。その衝撃により構成霊素エクトプラズムは破壊され、跡形もなく消滅するだろう」

「……その『何か』の正体は?」

 あまりにも惨い話にやや青ざめつつ、メリーアンはたずねた。

 ルシアンは渋い顔で首を振る。

「さっきも言ったが、《冒涜の瞳》の解析が不完全でな」

「私に心当たりがあります」

 メリーアンの言葉に、ルシアンはぴくりと眉を動かした。

「あれを取り除けば、幽霊達を助けられるかもしれません。ですが私一人では……どうか、力をお貸しいただけませんか?」

「何故、助ける必要がある?」

「それは……ゲファンゲネの体内で、助けを求められたので」

『たすけて』と。

 赤い輪に触れようとしたあの時、か細い声がメリーアンに助けを求めた。

「罠かもしれねぇぞ? ゲファンゲネの策謀かもしれねぇ」

「そうかもしれません。その時は私が、その、責任を……――」

「出来もしないことを言うな」

 消え入りそうなメリーアンの言葉を、ルシアンは苛立ったような口調で遮った。

「何故、あの霊を助けようとするのかが我輩にはまったく理解できん。しかもあれは、お前を喰おうとしただろう。――再度問う。何故、あれを助ける?」

「……正直なところ、私にもよくわかりません。だけど――」

 メリーアンはスカートの裾をぎゅっと握りしめ、うつむく。

 あの荒れ狂う意思の奔流を思い出す。怨念、悲哀、愛惜、憎悪……あの闇の中には、死してなおも存在を示そうとする者達の叫びが渦巻いていた。

 記憶を持たない自分に、あれだけの叫びを上げることが出来るだろうか。

 そして、あの声が掻き消されてしまうのは――。メリーアンはそっとスカートから手を離し、赤く煌めくルシアンの瞳を見上げた。

「……あんな場所で消えてしまうのは、きっと悲しい事だと思うのです」

「同情したわけか。甘い奴」

 ルシアンは鼻を鳴らし、不機嫌そうに前髪をいじりだした。

「それは……あの……もちろん、旦那様が、駄目だと仰るなら……」

 思えば今までこうしてルシアンに向かって主張したことはなかった。急に不安になったメリーアンはおずおずと言葉を足す。

 ルシアンは毛先をくるくると弄びながら、唇を思い切り歪めた。

「……こう言っているが。どうする、ディートリヒ」

「構わねぇ。あいつが消えるならなんだって――クソッ、動き出したぞ!」

 ディートリヒが憎しみの声を上げた。

 白煙を引きながら、停止していたゲファンゲネがゆっくりと泳ぎだした。相変わらず地上から魔法や砲弾を喰らっているが、ダメージを負っている様子はない。

 ルシアンは髪をいじるのをやめ、メリーアンを見下ろした。

「好きにしろ。我輩は知らん」

「は、はい……頑張ります……」

 ルシアンは手を貸すつもりはないようだ。元々、彼は自分に利がないとみればとことんまで腰が重い。許可してくれただけ感謝するべきだろう。

 それでも一瞬肩を落しかけたメリーアンに対し、ルシアンは小さく舌打ちした。

「――と、思ったが。やはり我輩も手を貸してやろう」

「え、えぇ? 本当ですか?」

「ヘマをして消滅でもされたらまたメイドを探す事になるからな。――それに、やはりあの霊には少し気になることがある」

「旦那様……」

 自分は替えの効く存在なのだろうか。

 口元を隠してゲファンゲネを見上げるルシアンを、メリーアンは喜びと悲しみのない交ぜになった複雑な心境で見つめた。

 その耳に、ディートリヒの怒鳴り声が響いた。

「方針が決まったならとっとと動け! あいつをブチのめすぞ!」


 鬼火を伴い、メリーアンは空を飛ぶ。

 彼女の視線の先には、ゲファンゲネの巨体があった。地上から熾烈な攻撃を浴び、白煙を体のあちこちから噴き上げながら、まだ怯む様子を見せない。

 そしてその体の周囲では、怒号とともに銀色の閃光がちかちかと瞬いている。

「――このクソマグロが! 悲鳴の一つでもあげやがれ!」

「よし、駄犬がしっかり働いているな」

 満足げな声にメリーアンは隣を見る。

 夜風に黒髪をなびかせて、ルシアンはにやにやと笑いながらゲファンゲネとその周囲で暴れるディートリヒを見つめていた。

「ああいうしぶとくてやかましい奴は囮にはうってつけだ」

「……旦那様、空飛べるんですね」

 現在のところ、鳥や魔物を除けば空を自由自在に飛べる種族というのは限られている。代表的なのは幽霊、魔女だろう。

 しかしこの男はそのどちらでもないのに、当たり前のような顔で空を飛んでいる。

「当然だ。我輩は陸海空を制した男だぞ。海は微妙に嫌いだが。――さて、どうにかしてあのデカブツの口を開かなければ」

 作戦はメリーアンの頭にも理解できるレベルで極めて単純だった。

 つまりゲファンゲネの気が逸れているうちに体内に潜り込み、あの赤い輪を取り除く。

 しかし――メリーアンは固く閉ざされたゲファンゲネの口を見る。

「でもガッチリ口を閉じていますよ……それに私が原因でダメージを喰らったと理解していれば、絶対侵入を阻止してきますよね」

「あれを構成している幽霊達を傷つけずに口をこじ開ける方法か……」

 ルシアンは左手で口を隠して考え込んでいたが、やがて肩をすくめた。

「――仕方がない。昔ヨハンからパクった奴を使うか」

「え……パクった……?」

 ルシアンはスーツのポケットに手を伸ばすと、タロットカードのケースを取り出した。

 その中から、ルシアンは一枚のタロットを指先で抜き取る。

「冥王がかたる。此なるは始まりの鍵。卓上の祭具はやがて四象を通じて世界へと到る。此は技と力と意識によって未知をひらく者、即ち――」

 歌うように呪文を紡ぎながら、ルシアンはタロットを示した。

 テーブルに祭具を並べ、手品を披露する大道芸人の図柄。記された数字は【Ⅰ】。

「――解法カイホウ《魔術師の鍵》」

 ボッと音を立て、タロットが青白い火に包まれた。

 そこからぼうっと輝く魔法陣が浮かび上がり、ゲファンゲネへと飛んでいく。

「ヨハンによれば、本来この魔法は門や扉――あるいは魔術的な封印をこじ開けるために使うものらしい」

 ゲファンゲネはヒレを激しく動かし、魔法陣を回避しようとした。

 しかし抵抗もむなしく魔法陣はその頭から尾びれまで通り抜け、ふっと消える。

 途端、みちみちと奇妙な音が辺りに響き出した。

 ゲファンゲネが大きく頭部を揺らし、苦しむように体をのけぞらせた。よくよく見ると、その上下の顎が大きく震えているのがわかった。

「あれだけ巨大な口ならば門扉と見なすことも出来るだろう。――そら、開いた」

 ルシアンが含み笑いをした直後、ゲファンゲネの口ががばりと開いた。

 薄暗い口内に、あの青白い魔法陣がぼうっと光っている。

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