16.死者は語る
「あれは……?」
「恐らく最初に囚われた幽霊だろう。――こいつにな」
ルシアンがポケットを押さえた。そこにはゲファンゲネの体内で見つけた、あの赤い輪の破片が入っている。
幽霊が三人の前に降立ち、優雅に会釈する。
クリノリンで大きく膨らんだドレスに身を包んだ老婦人の霊だった。死因は火事だったのか、ドレスのあちこちが燃えている。
老婦人は燃え盛る日傘を折りたたみ、話し出した。
「今回の件――今この時に私は――我々は感謝し、喜び、歓喜して――」
「……駄目だ、何言ってるのかさっぱりわからねぇ」
「メリーアン、通訳」
「が、合点承知でございます! ――マダム、どうぞお話を」
たいていの幽霊の言葉は混沌としており、生者には理解できないものになっている。
メリーアンは膝を折って礼を示すと、老婦人の言葉に耳を傾けた。
「――まずは私をあの醜い怪物から解放してくださってありがとう。お礼にあなた方をお茶会に招待したいところですが、あいにく私のお屋敷は五十年前に全焼してしまいました。心苦しいですが、言葉だけでも感謝の念をと」
「これはどうも、マダム」
ルシアンは優雅に笑み、流れるように右足を引いて貴族の礼をする。
ディートリヒはそんな彼を胡散臭そうにちらっと見て、軍帽の鍔を軽く持ち上げた。
「まぁ、結果的に助けることになったな。ただ――」
「あとディートリヒ様を見ていると甥のジョゼフ様を思い出すそうです。あの子が戦争から帰ってきたらこんな感じだったのかしらと」
「そ、そりゃ気の毒な――じゃねぇ! 俺はさらった連中の行方を聞きたいんだよ!」
ディートリヒは激しく首を振る。
「あの……覚えていらっしゃいますか? ゲファンゲネ――あの巨大な怪物だった時に、この街の方々を攫っていったそうなのですが」
メリーアンはおずおずと問いかける。
すると老婦人の霊は首を振りながら、混沌とした言葉で答えた。
「そ、そんな……」
「……メリーアン、このご婦人はなんと仰ったんだ?」
絶句するメリーアンにルシアンは静かにたずねる。
問いかけてはいるものの、そのまなざしはすでに何もかも見透かしているようだった。
メリーアンは口元を押さえたまま、主人を見上げる。
「醜い怪物だった時の事は全て覚えている……でも、獣人を攫ってはいないと」
「そ、そんなはずがねぇ!」
ディートリヒが目を見開き、激しく首を振った。
「ゲファンゲネが現れた時はいつもそうだった! さんざん街を破壊して、住民を攫っていくんだよ! 三十人いなくなったんだぞ!」
「……ディートリヒ。確認するが、貴様はゲファンゲネが人を攫うところを見たのか?」
顎を撫でながら、ルシアンが重々しくたずねる。
「てめぇも見ただろ、さっき嬢ちゃんが攫われてた!」
「ああ。だが、メリーアンは幽霊だ」
「あれは恐らく、私を取り込もうとしていたんだと思うのですが……」
メリーアンが恐る恐る口を挟むと、老婦人の霊は申し訳なさそうにうなずいた。
ルシアンは赤い瞳をすっと細める。
「改めて問うぞ、ディートリヒ。貴様は――あるいはこの街の住民は、ゲファンゲネが生きた奴を攫うところを一度でも見たのか?」
「それは……ッ」
「見ていないのだな?」
「でも、本当だ! 本当にゲファンゲネが暴れた後は誰かがいなくなる! そうして帰ってこない! だから、俺達はゲファンゲネが攫ったんだと――ッ!」
「――そもそもあの集合霊は最初からおかしかった」
必死で言葉を続けようとするディートリヒを遮り、ルシアンは静かに言った。
「集合霊は大量の霊が合体することにより生まれる存在だ。多くの場合、内部に抱え込んだ霊達の欲求によって頻繁に長距離移動を繰り返す性質を持つ」
「えぇ……地縛霊を多く取り込んでいると、複数の縄張りを徘徊したりしますね」
メリーアンの言葉にうなずき、ルシアンは探るようにディートリヒを見る。
「――だが、ゲファンゲネはどうだった?」
「クライネバルトから、出て行こうとしなかった……」
目を限界まで見開き、ディートリヒは辺りを見回す。
破壊され、炎上する家々――全て、ゲファンゲネが偏執的なまでに破壊した場所。
「それどころか延々と旋回し、この街を徹底的に破壊しようとしていた。――まるで地ならしをしているようだったではないか」
「なんだ……なんだよ畜生ッ、くそったれ!」
ディートリヒは大きく頭を揺らし、叫びを上げた。
怒気を纏うその顔がぐにゃりと歪んだ。鼻が尖り、牙がより鋭く、銀の瞳は爛々と――。
ぞわりと
反射的に身構えるメリーアンの傍で、怯えた老婦人の霊がドレスを翻して姿を消す。
「てめぇ……マレオパール……ッ!」
「旦那様!」
ルシアンの胸ぐらを掴み上げ、ディートリヒは牙を剥きだした。
怒りのせいか、小柄だったはずの体が今やルシアンに並ぶほどに大きく見える。
「勿体ぶらないで答えろ! 八つ裂きにされたくなかったらなァ……!」
「うッ――!」
爛々と光る銀色の瞳――まるで、血に飢えた狼のようだ。
ディートリヒのまなざしに怯み、メリーアンは思わず一瞬行動を止める。。
それでも己を奮い立たせ、どうにか鬼火を一つ出現させた。
「旦那様……ッ!」
「良い、メリーアン。下がっていろ」
動こうとするメリーアンを、しかしルシアンは手で制した。
そうして心底不愉快そうに眉を寄せ、眼前で地獄から響くような唸り声を上げているディートリヒを見下ろした。
「……ぎゃんぎゃん吠えるな。獣臭い」
「ゲファンゲネはなんだったッ! どうして俺達の街をブッ壊そうとしたッ!」
「――まぁ、これを見ろ」
ルシアンは掴み上げられた状態で器用にポケットを探り、赤い輪の欠片を取り出した。
「なんだ、そりゃ……?」
「……ゲファンゲネの体内にありました。幽霊達を捕らえていたものです」
肩をきつく抱きしめつつ、メリーアンは静かに説明する。
ルシアンはくるりと輪の欠片を指先で転がした。
「これは人工物だ」
「だから何だ! 俺はあの霊がなんだったのかを――」
「わからんのか? ――つまりこれを作って、仕掛けた人間がいるという事だぞ」
「あ……?」
その瞬間、急激にディートリヒから怒気が消えた。
ディートリヒは呆然と銀色の瞳を見開き、口をわななかせていた。その手が自然と下がり、ルシアンの足がまた地に着いた。
「この街が邪魔で仕方がない奴――覚えがあるだろう? 貴様が自分で言ったことだぞ」
スーツの皺を伸ばし、ネクタイを直しながら、ルシアンは冷徹に言った。
その言葉に、メリーアンは思い出す。
クライネバルトにたどり着く前に見た、ぎらぎらとした酒場やキャバレーの群れ。
そこを仕切っているという――急に羽振りの良くなったギャングの名前。
「――ジャード……ッ!」
吐き出すようにその名を呟くディートリヒの瞳は、獣の如く光っていた。
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