8.プリティキャットで待っていて

「ああ。俺達が目障りみてぇでよ。色々邪魔をしてくるんだ。――と、ここだ。今日は悪霊が出てくるまでここで待機してもらう」

 メリーアンとルシアンは目の前の建物を見上げた。

 淡いピンクの可愛らしい壁。王侯貴族の城を思わせる幻想的な作り。妙にカラフルなライトで彩られた看板には『ホテル・プリティキャット』の文字が光る。

「あ、これホテルという名のわりに宿泊が主要目的ではない施設ですね」

「すまん。正直にこれだけ聞きたい。――正気か?」

「う、うるせぇな! 大将が『客人には快適な場所を提供しろ』とか言うから! それにあの悪霊はいつもこの近くで出てくるからちょうど良いんだよ!」

 ディートリヒが顔を真っ赤にしながらホテルの扉を開け、受付へと向かった。

 三人はすぐにそのホテルのスイートルームへと案内された。

 メリーアンはこの手の施設に入ったことがない。

 得体の知れない緊張を感じ、メリーアンはエプロンの胸元をぎゅっと掴む。もし生きていたなら、自分の心臓はきっと破裂しそうになっていただろう。

「旦那様、大変です! 回転するベッドがありません!」

「大丈夫かメリーアン?」

 そして緊張の結果、部屋に入って早々わけのわからない事を口走ってしまった。

「それで? 我輩達はどうすればいい?」

 真っ赤なベッドに腰を下ろし、ルシアンはたずねた。

 窓際に立ったディートリヒは外の様子を確認しつつ、硬い声音で答えた。

「奴が現れるのは大体深夜二時頃だ。それまでここで待機してもらうことになる。なんか気になることがあったら好きに調べろ」

「なるほど。ならばしばらくくつろぐとしよう。――メリーアン、茶をよこせ」

「お湯はどこで沸かせば良いのでしょう?」

「そういう設備ねぇから! 欲しけりゃ注文しろ!」

 しばらくして、なかなか豪勢な食事や飲料がテーブルに並んだ。

 ディートリヒはメイドであるメリーアンにも配慮し、彼女の分の食事も用意してくれた。

「まぁまぁの味だった」

 口元をナプキンで拭い、ルシアンはごく簡単に感想を述べた。

「もっと喜べ、普通は大金払わねぇと入れねぇとこだからな」

「すみません、私の分まで用意していただいて」

 メリーアンが恐縮すると、ディートリヒは牙を光らせてにっと笑った。

「別に良いぜ。俺達だけ飯ってのもなんか変だろ」

「しかし、これで深夜二時まで待機か……。暇だな」

 ベッドの上にごろりと転がり、ルシアンはぼやいた。さすがにこの手の施設に慣れているのか、まるで住み慣れた家のようにくつろいでいる。

「黙って待ってろ。とりあえずこのまま三人でここで待機――ッ!?」

 そこでディートリヒはハッとした表情で口を噤み、まじまじとメリーアンを見つめた。

 その顔が見る見るうちに赤く染まっていく。

「……あの、どうかされました?」

「考えてみたら男二、女一じゃねぇか……!」

「それがどうした」

 ベッドに寝そべったままけだるげにルシアンがたずねる。

 湯気が出そうな顔を押さえ、ディートリヒは何度か深呼吸を繰り返した。

「て、てめぇはなんとも思わねぇのか! 不健全すぎるだろ! なんかこう、やべぇ!」

「だからなんだ」

「うるせぇな! 普通に考えて男女ごちゃ混ぜでこの手の場所で待機ってなんかやべぇだろ! ふしだらにも程がある! だからおれはこの部屋を出る!」

「あの、それでも旦那様と私で男一、女一ですよ。ここは私が抜けた方が――」

 メリーアンがおずおずと口を挟む。

 するとその場の空気が一瞬にして絶対零度にまで落ち込んだ。

「駄目だ。それだと俺がマレオパールを殺す事になる」

「我輩が貴様を殺すの間違いだろう」

 獣のように牙を剥きだすディートリヒと、ぞっとするほど優しい声を出すルシアン。

 その二者に挟まれ、メリーアンは頭を抱えるほかなかった。

 結果。ディートリヒはぶつくさ文句を言いながら、玄関のドアを開けた。

「二時前になったら来るから。なんかあったらフロントに電話を掛けてくれ。あとマレオパールになんかされたらすぐ逃げろ。出来ればブッ殺せ。いいな?」

「い、いえ、ブッ殺すのは無理です。さすがに」

 人差し指を向けられ、見送りに出たメリーアンはぷるぷると首を振る。

「あの……何故、そこまで旦那様が嫌いなのですか?」

「むしろあいつに好きになる要素あるか?」

「ありませんね」

 無意識のうちに即答してしまい、メリーアンは「やってしまった」と口を覆う。

 しかしそれに構わず、ディートリヒは渋い顔で頭を掻いた。

「まぁ俺の場合、初対面が最悪だったってのもあるけどよ……ともかく、あいつとは合わねぇ。なにもかも気にくわねぇが、特にあの目が駄目だ」

「旦那様の目?」

「あれは何もかもくだらねぇと思ってる眼だ。この世の何もかもが無価値だと思って、見下してる……あいつは、そういう眼で全てを見てる」

「そうでしょうか……?」

 メリーアンは首を傾げ、ルシアンの眼を思う。

 冷やかな紅玉の瞳――そのまなざしは、全てを見透かしているようだと思った事はある。

 考え込むメリーアンをじっと見つめ、ディートリヒは眉をひそめた。

「――つーか、あんたこそなんでマレオパールと一緒にいるんだ?」

「え?」

「ガキだし自堕落だし……人間のクズを凝縮したみてぇな存在だろ。俺があんたならとっとと見放すかブッ殺して、もっとマシな奴のとこに行くけどな」

 あまりに直球な質問に、メリーアンは言葉に詰まった。

 さして大切に扱われているわけでもない上に、戦力としても見なされていない。

 なのに何故、自分はここまでルシアンに尽くすのか?

「それは……えっと……」

「答えたくないならいい。――俺はそろそろ出る。そんじゃ、なんかあったら呼べよ」

 ドアを閉め、ディートリヒは出て行った。

 もやもやとした気持ちを抱えたままメリーアンはドアに鍵を掛け、部屋に戻った。

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