4.ふしだらな外道と馬鹿な狂犬
「何があったんだい?」
ビールジョッキにサラミソーセージを三本添えて、アルカがカウンターに置く。
ディートリヒは手を伸ばし、サラミソーセージをとった。それを強靱な顎と鋭い牙とで噛みちぎりながら、彼はうんざりした様子で語り出す。
「悪霊だよ。ここ最近、俺達の陣地で好き勝手暴れてやがるんだ。街は壊すし、人はさらう……おかげで商売あがったりだ。うちの大将や娼館の姐さんも困ってる」
「悪霊なんざ鼠みたいなモノだろう。人狼は鼠も払えないほどに落ちぶれたのか?」
メリーアンの頬をぐにぐにといじりながら、ルシアンは素っ気なく言った。
するとディートリヒは思い切り牙を剥きだした。
「そんなわけがないだろ! とびっきり狂った奴なんだよ!」
ディートリヒは怒鳴り、ビールを一気に煽った。
苛立ちをぶつけるようにジョッキをカウンターに叩き付け、ディーは唸る。
「もう俺達には手に負えねぇ。元々ああいう形がない相手は苦手なんだよ。だから組合側からオーダー出してもらいてぇんだが……それか良い魔術師を紹介してくれよ」
「君達が手に負えない悪霊、ねぇ……」
唇に指を当てて、アルカはしばらく考え込むそぶりを見せた。
「――いってみる? メリーアンちゃん」
「え?」
真っ赤になった頬をさすっていたメリーアンは顔を上げ、アルカを見る。
「ディーくん達が手に負えないっていうならよっぽどだ。それに相手は君と同じ幽霊みたいだし、ちょうどいいんじゃない?」
「で、でも……」
「おい待て、アルカ」
アルカの言葉に驚愕したのはメリーアンだけではなかった。
ディートリヒは椅子から腰を浮かせ、大きく目を見開いてメリーアンを見つめた。
「……幽霊? 待て、あんたは幽霊なのか!?」
「は、はい……どうして死んだかはわかりませんが、私は幽霊ですよ?」
メリーアンは困惑しながらもこくこくとうなずいた。
「いや、それにしても……」
ディートリヒは口元を覆い、首を振りながらメリーアンの足下を見る。
メリーアンは『肌』を消し、幽体の状態になった。体が半ば透き通り、足下がほとんど見えなくなったその姿にディートリヒが驚愕の声を上げた。
「本当だ、白い煙みてぇな感じになった……! やべぇ、全然気づかなかった!」
どうやらルシアンと比べると、霊感は低いようだ。霊感の乏しい人間が幽体となった幽霊を見ると、白いヴェールを被ったような曖昧な姿に見えるらしい。
「さっき思いっきり鬼火を出していただろう。鈍いな、さすが駄犬」
からころとグラスの中の氷を転がしながら、ルシアンがフンと鼻を鳴らす。
そんな彼とメリーアンとを見比べ、ディートリヒは深々とため息を吐いた。
「いたいけな嬢ちゃんが死に、マレオパールみてぇなろくでなしがのうのうと世にのさばってる。……つくづくこの世は糞だな」
「ならばあの世にでも行け」
「あァ……?」
青筋を立てるディートリヒ。その手の中でソーセージがぐちゃりと潰れる。
そこでアルカがちりちりとグラスを鳴らして注意を引いた。
「はいはい、喧嘩しないの。それでどうする、メリーアンちゃん。やってみる?」
「その、やってみたいのは山々なんですが、私は旦那様の――」
「いーじゃん!」
慎重に断ろうとしたメリーアンの言葉をアルカの歓声が遮る。
アルカは両手を合わせ、ぱあっと微笑んだ。
「やってみたいならやるべきだよ! というわけで決定ね」
「え、えぇええ!?」
「やりたいと思う人がやった方が一番だって。とりあえずパパッと書類を――」
「……待て、アルカ」
浮き足立つアルカをルシアンの低い声が制した。
空のグラスを睨みながら、ルシアンは苦い物を吐き出すような顔で言葉を発した。
「……我輩が行く。メリーアンは駄目だ」
「あ?」「え……」
その言葉にディートリヒの顔が引きつり、メリーアンの胸にちくりとした痛みが走った。
不思議そうな顔でアルカが小首をかしげる。
「いいの? ディー君のところだけど」
「構わん……我輩がオーダーを承る。それとうちのメイドにあまり妙な事を吹き込むな。こいつは未熟者だ。また素っ頓狂なことをやらかす」
メリーアンは何も言えなかった。
実際、自分より遥かに強いルシアンがやった方がずっといいに決まっている。
「待て待て待て!」
しかしディートリヒは抗議の声を上げた。
テーブルを叩き、ディートリヒは必死の形相で首を横に振る。
「却下だ! マレオパールなんざ冗談じゃねぇ! 嬢ちゃんが行きてぇってんならそれでいいじゃねぇか! 歓迎するぞ!」
「何故貴様のような犬っころに我輩のメイドを貸さねばならんのだ」
「犬犬うるっせぇんだよ、黙ってろ! なんならここで死ぬか!? そうだ、そうすりゃ完璧だ! 最初っからそうすれば良かった! なにもかも丸く収まるぜ!」
「さすが駄犬だな。勝てもしない相手によく吠える」
「てッめぇ……!」
怒りに激しく顔を歪ませ、ディートリヒは椅子を蹴飛ばし立ち上がる。
その瞬間、アルカがパンと手を合わせた。
「じゃあ、こうしたらどう?」
全員の視線がアルカに集中する。
するとアルカは唇に指を当て、なにやら考え込みだした。やがて一人で何か納得した様子で、こくりと小さくうなずく。
「――うん、これでいこう。 というか、もうこれ以外認めない」
外に出ると、まだ日は高い。
薄暗い店内に慣れた目には真昼の日差しは眩しく、メリーアンは思わず目を覆う。
その耳に、ディートリヒの怒号が響いた。
「――なんだあれはァ!」
戸口を出て早々、怒り狂ったディートリヒは街灯に蹴りを入れた。
「何か提案するのかと思ったら有無を言わさず流れるように決定しやがった! あのカマ野郎ふざけてんのか!」
「おい落ち着け。保健所に通報されるぞ」
「うるせぇ死ね! 魔女街に保健所があるわけねぇだろうが! 殺すぞ!」
冷めた顔のルシアンめがけてディートリヒが回し蹴りを叩き込む。しかしルシアンは長身に見合わぬ機敏な動きでそれをひょいと避けた。
「う、うわぁ……」
そうしてぎゃんぎゃん言い争う二人を見て、メリーアンは内心冷や汗を掻いていた。
店を出る前にかわされた、ヨハネスとルシアン達のやり取りを思い出す。
ヨハネスはメリーアンを見て、哀れむように目を細めた。
『……ふしだらな外道と馬鹿な狂犬か。この二人と行動しろと言われた時点で僕なら舌を噛み切るな。気の毒に』
『うるせぇ万年モヤシ』『根暗童貞が何を言う』
これから先、一体どうなってしまうのか。
すでに嫌な予感しかしないが、ヨハネスと違ってメリーアンは舌を噛み切ったところでもはやどうにもならない。
「……祈ろう」
異界には、強大な力を持った無数の蛮神が存在しているという。
メリーアンは彼らの名前をほとんど知らないが、祈りを捧げていればそのうちの一柱くらいは興味を持って助けてくれるかもしれない。
「は……仕方がねぇ。改めて嬢ちゃんに名乗ろう」
歩きながらメリーアンが祈りを捧げていると、ディートリヒがため息を吐いた。
「――俺はディートリヒ・アイゼンベルク。元はティーアガルト軍『銀星旅団』の大尉だ」
改めて名乗り、ディートリヒは自分の左胸を示した。
そこには銀色の星が三つ連なったデザインのバッジが留めてある。着古した軍服とは違い、このバッジだけは新品のように煌めいていた。
「今は……国が焼かれたんで、第八区の片隅にあるクライネバルトってとこに住んでる」
ディートリヒはがりがりと頭を掻き、ひどく言いづらそうに言葉を続けた。
「第八区というと、すごく賑やかなところですよね」
「ああ。カジノとかそういうのが多いな。第七区の連中も稼ぎに来たりしてる。上品なとこじゃねぇが……まぁ、そこそこ居心地は良い」
「祖国の森ほどじゃねぇけど」とディートリヒは最後に小さな声で付け加えた。
故郷の記憶を持たないメリーアンには、何も言えなかった。
黙り込んだメリーアンに代わって、ルシアンがどこか億劫そうに口を開いた。
「――クライネバルトには獣人が多かったな」
「そうさ。ほとんど皆、教会のクソッタレどもに国を焼かれた連中だ。……そこで最近、ずっと悪霊が暴れててな。こいつが凶暴な上に強力でたまらねぇ」
「それほどか」
「ああ。あのテンペスト並みと言っていい」
「そ、そうなんですか……」
かつてテンペストと呼ばれていた幽霊は思わず爪先に視線を落とした。
その頭上で、ディートリヒとルシアンの会話が続く。
「あいつは人間をさらうんだよ。皆怯えちまって、街から出て行く奴もいるんだ」
「ふむ、人をさらう幽霊か。さらって一体どうするのだろうな」
「知るかよ。――とりあえずもう現地直行で良いか。とっとと終わらせてぇ。長いことマレオパールと同じ場所の空気吸ってると魂が穢れる」
「我輩とて服に獣の臭いが移る前に終わらせたい。が、先に寄らねばならん場所がある」
「なんでそんなに仲悪いんですか……」
びくびくしたまま、メリーアンはルシアンとディートリヒについていった。
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