5.冥王と旧子爵

 たどり着いたのは第八区の入り口の近く。

 そこは貴賓区と呼ばれる区画だった。魔女街にいくつか存在する、富豪達の居住区の一つだ。辺りには要塞のような外観の邸宅が整然と並び、入り口のアーチには一帯を取りしきる貴族の紋章が掲げられている。

 そのアーチを潜り抜け、一行は区画の端の方にある邸宅へと向かった。

 この邸宅はまだ建てられてそれほど期間が経っていないようだった。真新しい漆喰を塗られた家のあちこちから、動物の鳴き声が響いてくる。

 鋼鉄製の門扉に掲げられた表札を見て、ディートリヒが眉をひそめる。

「アドラー旧子爵……? 三月前に流れ着いた貴族じゃねぇか。ここになんの用だ?」

「アルカの用事だ。ついでだからまとめて終わらせて来いだと。まったく……何故我輩がこんな使い走りのような真似をせねばならんのだ」

 ため息を吐きながら、ルシアンは邸宅のベルを鳴らした。

 すぐにドアが開き、一行は黒髪のメイドによって大広間へと案内された。

「主人は外出中なので」

 扉を開きつつ、メイドは素っ気なく言った。目の下に濃い隈があり、顔色は青白い。重たい長髪も相まって、まるで幽鬼のようだった。

「こっちで待っててください」

「どうも、お嬢さん」

 ルシアンがにこりと笑い、メイドに会釈する。

 途端メイドは頬を染め、「あたしゃ引っ込んでるんで」とまごつきながら出ていった。

 扉がやかましい音を立てて閉じた後、ディートリヒが大きく舌打ちした。

「……チッ、女は顔さえ良けりゃなんでもいいのか?」

「なんだ、羨ましいのか」

「ンなわけねぇだろ、この節操無しが」

 がみがみと言い争う二人をよそに、メリーアンは視線だけで辺りを見回す。

 そこはこの邸宅の中でも特に立派な部屋のようだった。

 天井はまるで大聖堂のように高く、床は一面大理石張り。熊皮の絨毯が敷かれ、至る所に大昔の絵画や白亜の彫像など様々な美術品が所狭しと飾られていた。

「立派なお屋敷ですね……なんだか動物もいっぱいいるみたいですし」

「ああ。ここ最近入ってきた奴の中じゃ一番の金持ちらしいぜ。――おい見ろよ、これマレオパールの絵じゃねぇか?」

 壁際のガラスケースを覗き込んだディートリヒが口笛を鳴らした。

「えっ……旦那様の絵?」

 メリーアンは一瞬迷った。しかし興味を抑えきれず、ケースへと近づく。退屈そうにしていたルシアンも気を惹かれたのか、メリーアンの隣に並んだ。

「ほら、こいつだよ」

 ガラスケースの中には、何枚かの古い羊皮紙が並べられていた。どうやら古い書物のページを抜き出したもののように見える。

「六百年くらい前の金環教聖典の写本……だそうだ」

 ディートリヒがケースに貼ってあったラベルを読み上げる。

 ルシアンはケースの中を覗き込み、鼻で笑った。

「ふん……くだらんな」

 そのまま興味を失ったようで、ケースから離れた。

 一方のメリーアンはその場に残り、首をかしげてケースの中の絵を見ていた。

「……旦那様はどこに描いてあるんですか?」

「でけぇ黒い化物描いてあるだろ。これだよ。これがマレオパール。嬢ちゃん、冥乱期のこと知らねぇのか?」

「あまり……。旦那様、ご自身のことはあまり教えてくださらないので」

「本とか読まねぇのか? ――あ、ダメだ。外界だと、この手の本は大半金環教の検閲のせいでロクなこと書いてねぇからな。まるで参考にならねぇ」

 思えば、メリーアンは主人であるルシアンの事についてほとんど何も知らない。

 一体、どこで生まれ育ったのか。

 何故、冥王と恐れられる存在になったのか。

 この絵を見れば、そんな主人の事が少しはわかるかもしれない。

「昔、アニムス=グロリア皇国っていうでけぇ国があったんだよ」

 ディートリヒの言葉を聞きながら、メリーアンはケースの中を覗き込んだ。

 巨大な皇国に、金の円環を描いた旗を持った人々が現れる。次の場面では金の輪を身に付けた巫女が、豪奢な服を着た老婆を看病していた。

「そこにあのクソッタレな金環教の巫女どもが来た。巫女が皇帝の母親の病を治したから、アニムス=グロリアは金環教を国教にした」

「全部がここからおかしくなったんだ」と、ディートリヒは吐き捨てるように言った。

 その次は、いくつか場面が飛んでいるように見えた。

 いくつもの頭を持った巨大な黒い悪龍。それが街を焼き払い、騎士達を殺していく。

「金環教が広まってからしばらくして、皇国の東から黒い軍勢が来たんだと」

「軍勢? ここには龍が」

「よく見てみろ。龍の後ろに、死神みたいな連中がいるだろ」

 確かによく見ると、黒いもやの中に牙を剥く無数の悪鬼の姿が見える。それは手に手に剣や、槍を持ち、赤い炎の波に乗って人々に襲いかかっていた。

「これが冥軍。冥王が率いたという黒の軍勢だ。教会の奴らは相当この侵攻がトラウマだったらしくてな。だから冥軍を化物の姿で描くんだ」

 場面が切り替わった。最後から二番目の場面のようだ。

 冠を戴いた皇帝が怯え、玉座にすがりついている。その周囲には八つ裂きにされた騎士や皇子達の体が散らばり、辺りは血の海だ。

 皇帝の眼前に迫った悪龍――冥王は、いびつな笑みを浮かべながら皇帝に言った。

『■■■■■■■■■■■』

「これ、は……?」

「冥軍は金環教圏の諸国に棄教か滅亡かを迫ってな。最終的にアニムス=グロリア皇国の都まで攻め込んで、皇帝一家を皆殺しにした」

「ここ……なんて書いてあるんですか? ここだけ記号ですよね?」

 メリーアンは絵を指さすと、ディートリヒは難しい顔で首を振った。

「誰も知らねぇ。冥王が皇帝になんか言った結果、それまで勇ましかった皇帝が急に恐怖に震えだしたって話だが。――本人に聞いたらどうだ? そこにいるし」

「い、いえ、そういうわけには――」

 ルシアンがとてもまともに答えてくれるとは思えない。

 なにより過去のことを下手に持ち出すと機嫌を損ねてしまうかもしれない。

「おい、マレオパール!」

「だ、大丈夫です! 大丈夫ですから――!」

 構わずルシアンを呼ぼうとするディートリヒをメリーアンは必死で止めようとする。

 しかし制止もむなしく、暇そうに絵画を見上げていたルシアンが振り返った。

「なんだ?」

「てめぇはこの時、皇帝に何を――」

「――大変お待たせした! 買物が長引いてしまってね!」

 ディートリヒの言葉を遮るように、大広間の扉が開いた。

 褐色の肌をした壮年の男だった。銀髪を短く切り、見事な顎髭を蓄えている。堂々とした体格で、紳士服が窮屈そうだ。襟元には銀の車輪を模した飾りが輝いている。

 一際目立つのはその耳だ。人間に比べてやや長い上、先端が尖っている。

 ルシアンがやや目を見張った。

「スカード……!」

「正確にはハーフスカードといったところだ。――しかし、なるほど。魔女街ではその呼び方の方が主流なのか。外じゃ、ダークエルフと呼んでいた」

 興味深そうに壮年の男は顎に手を当てる。

 エルフと呼ばれる種族が身を隠した時期は定かではない。

 それでも『傷あり《スカード》』と呼ばれた彼らの尖兵の記憶はまだ鮮明だ。

 それほどスカードは強靱で、恐れられた存在だった。

「私はアッシャータ。アドラー旧子爵アッシャータ・ブレイズ・アルタイルだ。領地も爵位も奪われ、この街に流れ着いた半端者だ」

 アッシャータは名乗り、胸に手を当てて優雅に一礼して見せた。

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