9.【虎】との遭遇

 左右の廃墟から黒い人影が飛びだす。骨とナイフとを両手に握り、新たな二人の幽霊喰いがメリーアンめがけて躍りかかった。

 一切無言。もはや相手に油断はない。

 乱射される光線を防ぎ、メリーアンは再び衝撃波を繰り出そうと両手を持ち上げた。

 しかしその瞬間、辺りに異様な叫び声が響き渡った。

「……何?」

 壊れたアコーディオンをめちゃくちゃにかき鳴らしているような――しかしどういうわけか明らかに生物の声だとわかる、異様な叫び。

 聞いたこともない声に、メリーアンは思わず動きを止める。

 あまりにも大きな隙。しかし、幽霊食い達が仕掛けてくることはなかった。

 幽霊喰い達は凍り付いていた。一人はまるで怯えた小動物のように辺りに視線を向け、もう一人は震えのせいでナイフを取り落とした。

 再び異様な叫び声が空気を揺るがす。今度はもっと近くから聞こえた。

 ――そして、小さく地面が震えだした。

「トラガラ! トラガラ!」

 二人の幽霊喰いは『トラガラ』と叫びながら跳躍を繰り返し、廃墟の向こうに消えた。

 残されたメリーアンはじっと周囲の様子をうかがう。

 幽霊喰い達の言った『トラガラ』という言葉。そしてクラリッサの庭で聞いた『ガロウズで人が喰われている』という話。

「……虎?」

 メリーアンは鬼火の揺れる左手を構え、辺りを見回した。

 無機質な灰色の建物と、高く積み上がるゴミの山――どこから現れてもおかしくはない。

 鈍い地鳴りとともに、地面の震えが徐々に大きくなってきた。

 周囲に積み上がった瓶や缶が音を立てて崩れていく。

 メリーアンは油断なく周囲に視線を配る。震動の伝わってくる方向を探ろうとしても、鈍い幽霊の感覚だとどうにも判別がつかない。

 ややくぐもった叫びが驚くほど間近から響いた。

 後方から聞こえたその声にはっとメリーアンは振り返る。

 その視線の先にあるのは特に高いゴミの山。潰れたラジオやら蓋のない石炭オーブンやらのガラクタの中に獣の姿は見えない。

 山の陰に隠れているのか。メリーアンは一瞬迷った。

「――先手必勝!」

 しかし意を決し、瓦礫の山めがけて一歩踏み出そうとする。

 まさにその瞬間だった。爆発音とともにゴミ山が吹き飛び、巨影が地表を突き破った。

 同時に強烈な腐臭が辺りに広がる。

「えっ……地中から……!?」

 予想外の出現にメリーアンは仰天する。その体に砲弾の如く無数のガラクタが降りかかり、すり抜けていった。

 眼前に現れた怪物は苦悶するように身をよじらせ、あの異様な叫び声を上げる。

 メリーアンは構え、現れた敵の姿を睨んだ。

「これは――!」

 さながらナメクジの出来損ないと言ったところだった。

 ずんぐりむっくりとした巨体は異様に柔らかく、絶えずぶるぶると震えている。

 短い足が四本生えているようだが自重で半ば潰れかけていた。

 表皮は熟しすぎた果物のようにところどころが裂け、生白い肉が覗いている。どういうわけか、肉の膨張に表皮の生成が追いついていないように見えた。

 頭と思わしき部位からは黄色い触覚のようなものが無数に伸び、絶えず蠢いている。

 身の毛もよだつような風貌。しかし、メリーアンに恐怖はない。

「えっ……? ん、ん? これは何?」

 むしろメリーアンは動揺していた。

 メリーアンは額を押さえ、甲高い奇声を上げる見知らぬ怪物を見上げる。その頭に、出かける直前に図鑑で確認した虎の姿が思い浮かぶ。

 猫の仲間。黄色と黒の縞模様の毛皮が特徴らしい。

 改めて怪物の姿を見る。てらてらと光るその表皮は、黄色と黒の縞模様に覆われていた。

「い、一体どんな呪いを受けたらこんな――うわっ!」

【虎】が尾と思わしき部位をぐりんと振りまわした。

 青白く光るクラゲの触手にも似たそれがさらに分裂し、メリーアンめがけて迫る。

『肌』を作っていない幽体の状態なら、物理的な攻撃は通じない。

 だが嫌な予感を感じたメリーアンはとっさに背後に跳んだ。触手はメリーアンの足をわずかに掠め、地面へと突き刺さる。

 チクリとした痛みが走った。

 メリーアンは息を呑み、さらに大きく距離をとる。見れば、触手の掠めた右足首にごく小さなひび割れが走っていた。

「ッ、マナを使える! 魔物の仲間なの――ッ!?」

 この世界での魔物とは、マナを自由自在に使える生物の事を示す。目の前の得体の知れない怪物もまた、その一類だというのか。

 メリーアンは唇を噛みつつ、霊体の上に『肌』を形成した。

『いいか、覚えておけ。鉛弾には幽体。呪術には実体で対応しろ』

 マナを用いた攻撃や呪術に対しては、物理攻撃とは対処が逆になる。不完全でも実体化していた方が構成霊素エクトプラズムへの損傷は少ないらしい。

 それは最初の頃にルシアンに教えられたことだった。

「……気休めにしかならないけど」

 不完全ながらも実体化をしたメリーアンは瓦礫の山の上に降り立つ。

【虎】は軟らかな身をよじり、耳障りな叫びを上げる。それだけで体中の裂け目が一気に開き、シューッと音を立てて血液が噴き出した。

【虎】の触覚が空気を舐めるように動く。

 直後その首がぐらりと揺れ、メリーアンのいる場所に向けられる。

「感覚が鋭い」

 メリーアンは確認するように呟きながら、いつものように上半身左側に鬼火を灯した。

【虎】が叫び、全身から血液を噴き出しながら触手を繰り出してくる。

「弾いて!」

 念力が空気が揺るがす。

 放たれた衝撃波は触手にぶち当たり、その軌道をずらした。透明な槍にも似たそれが大きく逸れた位置に叩き込まれる。

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