10.虐殺の時告げる銃

 間髪入れず、メリーアンは左掌を前に突きだした。

「心霊現象――《虚ろな大砲ゴーストドラムッ!」

 現在メリーアンが放てる中で最大の衝撃波。

 それは轟音ともに周囲の瓦礫を吹き飛ばしつつ、もろに【虎】の胴体にぶち当たった。

【虎】の表皮がぶるりと震え、全身にその波が広がっていく。

 表皮の傷はみちみちと音を立てて広がり、青白く光る組織をどろりと零した。

 しかし、【虎】は倒れなかった。

 潰れかかった足で傾く胴体を立て直し、【虎】は甲高い叫びを上げる。その足に無数の裂傷が走り、あちこちから濁った血液が迸った。

「……ゼリーっぽい見た目をしているだけあって衝撃に強いわね」

 苦い顔をしながらもメリーアンは瓦礫の山から跳ぶ。

 直後、それまでメリーアンがいた場所に【虎】の触手が叩き込まれた。衝撃で山が吹き飛び、無数のゴミや瓦礫が宙を舞った。

 浮遊しながらメリーアンは両手を緩やかに広げる。

 念力が作用し、触手によって吹き飛ばされたガラクタが空中で静止する。

「《おぼろな弾雨》ファフロツキィ!」

 メリーアンが両手を跳ね上げる。

 それを合図に停止していたガラクタは動きだした。大量の缶や瓶が雨の如く降り注ぎ、底の抜けた魔女の大鍋やら自転車のフレームやらが【虎】に叩き込まれる。

【虎】の表皮は再びぶるんと震えた。

 しかしそれだけで、【虎】は特に怯む様子を見せない。

 降り注ぐ瓦礫の中、【虎】の触覚がメリーアンを探してざわざわと蠢く。

 触覚がある一点に集中した。

 ふらふらと揺れながら【虎】の首がその方向を向く。

 直後、【虎】の顔面に砲弾の如き勢いで自動車の残骸がぶち当たった。

 濁った体液を噴水のように噴き出しながら、【虎】の上体が大きくのけぞる。ぶるぶるとゼリーのように震える生白い腹が晒された。

「行きます!」

 自動車の背後に潜んでいたメリーアンは飛び出した。

 鬼火をまとった左手を大きく広げる。

 眼前には【虎】の腹。怪しく輝く左手をメリーアンは大きく振りかぶった。

「心霊現象 《幽かな冷徹》フラットライン――!」

 念力による斬撃。それは一番苦手な技だった。単純な衝撃よりも精密な技術が必要になる上、標的のほぼ目の前まで接近しなければ使えない。

 メリーアンの手の先に見えない刃が形成され、【虎】の表皮に深々と食い込んだ。

「てえぇぇ――!」

 不完全に実体化したメリーアンの体は重力に従い、落ちていく。

 それに従って思念の刃も滑らかに進み、【虎】の腹をまるで膾のように切り裂いた。

 壊れた楽器のような不快な悲鳴が響いた。

「よいしょっ――と!」

 地面に着地したメリーアンは慌てて大きく後方に下がる。一拍遅れて、それまでメリーアンが立っていた場所に青白く光る臓物がどろりと零れ落ちた。

 ブチブチと音を立てて裂傷が広がる。

 元々表皮の生成が内部の膨張に追いついていなかったせいで、メリーアンの傷が【虎】に与えた影響は絶大だった。

 はち切れそうになっていた内部の肉が一気に零れだし、【虎】の体が崩壊していく。

「……なんだかめちゃくちゃだわ」

 ゴミ山の上でメリーアンは戸惑う。

 まさしく『めちゃくちゃ』だった。得体の知れない器官を傷口から吐き出しながら倒れていく目の前の怪物は、あまりにも粗雑な存在だ。

 いびつに膨らみすぎた体は動くたびに自壊していく。

 しかし、その脆弱な肉体にはどういうわけかマナを操る能力が宿っている。

「どういう事なのかしら。どうしてこんな魔物にマナを操るなんて高等な能力が……」

 メリーアンは幽体化するとゴミ山から浮かび、地面ぎりぎりのところに降りた。

 辺りは夕暮れを迎えつつある。

 厚い雲が裂け、そこから血のような夕日の色が滲んでいた。

 見回せば、周囲一帯に【虎】の骸が広がっている。すえた臭気を放つ濁った肉片を見て、メリーアンは眉をしかめた。

「うっ……。と、とりあえず死体の欠片を拾って、アルカさんに報告しないと。えぇっと、とりあえず袋を――」

 ごぼり、と。何かが泡立つ音がした。

 エプロンのポケットを探っていたメリーアンは振り返った。

 その鼻先に半透明の触手が迫る。触手の先で小さな口が開き、尖った牙を剥き出した。

 顔面に食らいつこうと牙を剥く触手を前にして、メリーアンは目を見開いた。

「えっ」

 銃声が立て続けに響いた。

 ほぼ同時に触手が爆ぜ、その飛沫がメリーアンの体をすり抜ける。

「――だから油断するなと何度言ったらわかる」

「ッ、旦那様! どうしてここに……!」

 呆れたような声に、はっとメリーアンは振り返った。

 艶やかな黒髪、鋭い深紅の双眸――見間違えようもない。メリーアンから数歩ほど離れた場所に、監獄館の主ルシアンが立っていた。

 その左手には漆黒の機関拳銃『カーネイジ』が、細く硝煙を棚引かせている。

 新たな弾倉をカーネイジに装填しながらルシアンは肩をすくめた。

「急激にプディングが食べたくなった」

「ぷ、ぷでぃんぐ」

「菓子だ。帰ったら作れ。――とりあえずとっとと片付けるぞ。そこをどけ」

「ですが――!」

 ごぼごぼと背後から音が響く。

 見れば先ほどまで地面に散らばっていた【虎】の肉片が一カ所に集まろうとしていた。泡立ちながら膨れあがっていく肉の山に、メリーアンは絶句する。

「嘘っ、再生してる……!」

「それはお前には少し荷が重い。早く下がれ」

 ルシアンは急かすように銃口を軽く揺らした。

 結局主人に頼らざるを得ない自分の無力さが悔しくもあり、惨めでもあった。

 しかし今のメリーアンにはこの敵をどう倒せばいいのか見当もつかない。下手に粘るよりも、ここはルシアンに任せてしまった方が良いだろう。

 メリーアンは軽くスカートを持ち上げて会釈すると、黙って主人の後方に下がった。

「こら、俯くんじゃない」

「え……」

 メリーアンはゆるゆると顔を上げる。

 ルシアンは軽く肩の骨を回しながら、にいっとメリーアンに向かって笑った。

「主人が手ずから手本を見せてやるのだぞ。しっかり見ろ」

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