3.旦那様は片付けが出来ない
「まったく……とても善人には見えないけれど、旦那様は一体この人達に何をしたのかしら。とりあえず縛っておいて、旦那様に後で――」
ぼやきながらメリーアンは手を下ろし、気絶した男達へと近づいた。
警戒が解けた事で、鬼火が音も無く消える。
瞬間、辺りに怒号が響き渡った。
「――やりやがったなガキィ!」
まったく同時に闇に白い閃光が走る。
それはメリーアンの左肩を貫通し、感覚の鈍い幽霊の体に猛烈な激痛をもたらした。
「うッ――!」
顔を歪めつつ、とっさにメリーアンは後退する。
再び閃光がどこからか放たれ、それまでメリーアンがいた地面に焦げ跡を残した。
「幽霊なんざがオレ達の邪魔をするんじゃねぇ! おらおらおらァ!」
連撃をなんとか回避しながら、メリーアンは袖をまくって左腕を確認する。
「魔術師が控えていたのね……!」
左腕にはまるでガラス細工のようにひび割れが走っていた。どうやら貫通した肩の傷から、腕にまで影響が及んでいるらしい。
実体化を解いた幽霊には物理的な攻撃は無意味。
だが霊的なエネルギーであるマナを用いた攻撃――例えば魔術による攻撃ならば話は別だ。
それは構成霊素エクトプラズムに干渉し、幽霊に確実なダメージを与えてくる。
「クソが、ちょこまかと鬱陶しいんだよ! とっとと消えろ!」
「どうしよう、どうにか近づいて倒さないと――!」
射線から相手の魔術師の位置はわかる――前方、左側の門柱の影。
恐らくそこまで魔術の腕は良くない。霊体化したメリーアンをほとんど視認できていないらしく、無差別に乱射しているのがその証拠だ。
しかしそのへたくそな乱射のせいで、逆に近づきづらくなっている。
魔術師のマナが切れ、魔術が打てなくなるのを待つか。しかしそれは一体、いつになる。
「うう、どうしよう――!」
「さっさと出てきやがれ! すぐにもう一度殺し――ぐっ、う!」
突如、呻き声とともに魔術師が門柱の陰から転がり出てきた。
何者かに背後から蹴られたようだ。
「……やかましいぞ、三下」
その人物は不機嫌そうな声とともに、倒れた魔術師の後ろから現れた。
一つにくくった長髪、闇に煌めく深紅の瞳。
仕立ての良いスーツに身を包んだ男の姿に、メリーアンは思わず口元を覆った。
「だ、旦那様……」
「ひっ――て、てめぇ、ルシアン=マレオパール!」
見上げた魔術師の顔が青ざめる。
長髪の男――ルシアンは魔術師を無視して歩き、メリーアンの前に立った。
赤い瞳が冷たく光り、呆れたような声がその口から漏れた。
「メリーアン、お前また手を抜いたな」
「ぬ、抜いてないです! ただちょっと、油断しただけで……!」
「何度目だ。戦った後は前後左右を確認しろとあれほど言っただろう」
「う……その、またちょっと、忘れて――ッ、旦那様後ろ!」
ルシアンの後ろを見たメリーアンは切羽詰まった声で叫んだ。
しかし間に合わず、立ち上がった魔術師が人差し指をルシアンの背中に向ける。
「死ね――ッ!」
その指先が閃光を放った。
ルシアンは振り返りもしない。しかし直後、魔術師の体が弾けたようにのけぞった。
「な、なんっ……で……」
魔術師は信じられないという顔で自分の腹部に穿たれた穴を見下ろした。
やがてごぼりと口から血を零し、魔術師は地面に倒れ込む。
メリーアンは伸ばし掛けていた手を下ろし、魔術師とルシアンとを交互に見た。
「……死んじゃいましたか?」
「知らん。適当に跳ね返したからな。運が良ければ生きている」
事も無げにルシアンは肩をすくめた。
倒れた魔術師に音も無く近づき、メリーアンはその様子をうかがう。かろうじて息はあるようだ。運が良かったのだろう。
「この人達、旦那様に何か怨みがあるそうなんですが……覚えてたりします?」
「さっぱり」
ルシアンの返答は極めて短かった。
男達のことを覚えていないどころか興味もないらしく、ルシアンは屋敷の玄関へと歩き出していた。メリーアンは慌ててその背中にたずねる。
「あの、この人達どうします?」
「いつも通りまとめて路上に捨てておけ。戻ってきたら茶を用意しろ」
「あ、承知しましたー……」
メリーアンはうなずき、倒れた男達をやや憐憫をもって見回した。
これは今月に入って五回目の襲撃だ。魔女街ではさして珍しいことでもない。
倒された襲撃者達は路上に転がしておく。
運が良ければ生きるだろうし、悪ければ死ぬ。
外界――魔女街の外ではもう少し別の処置をしているかもしれないが、この街ではこれが一番穏便な方法だった。
とりあえず気を失った三人を離れた界隈の路上に放置し、メリーアンは屋敷に帰還する。
「えーと、何かやれって言われていたような……あ、紅茶ですね。危ない危ない」
なんとか主人の命令を思い出し、メリーアンは厨房に向かった。
ヤカンに湯を沸かし、ティーポットを温める。茶葉の指定はなかったため、棚にずらっと並ぶ紅茶缶の中で一番量が減っている物を選んだ。
ティーセットと昼間焼いたアップルパイとを銀盆に載せ、それを左手に持つ。
途端、左肩から熱が走った。
「痛ッ! ――あ、忘れてた。こっち撃たれたんだった。馬鹿ってイヤねぇ!」
とりあえず右手に銀盆を持ち、メリーアンは厨房を後にした。
階段を上がり、二階にあるルシアンの居室の外でやや逡巡する。銀盆で塞がった右手と左手とを見比べた後、メリーアンは覚悟を決めて左手でノックした。
「くっ、つ――旦那様、よろしいでしょうか」
「入れ」
「失礼いたします――っ、う」
左肩の激痛をかろうじて堪え、メリーアンはすました顔でドアを開けた。
ルシアンの部屋は混沌としていた。
床には大量の本やおもちゃなどが散乱している。壁には高そうな風景画やらキャバレーの安っぽいポスターが並んで貼ってあったりと、そのインテリアには脈絡がない。
「旦那様! 足の踏み場がなくて歩けないんですけど!」
「浮かべよ幽霊」
「あっはァー! その手がありました! ほんと馬鹿っていや!」
メリーアンは軽く自分の額を打ち、ふわりと浮かび上がった。そもそも今思えば銀盆もわざわざ手に持たず、浮かべれば良かったような気がする。
「それにしても」とメリーアンは呆れ顔で、ガラクタで埋め尽くされた床を見下ろした。
「旦那様、片付けましょうよ。こんなに散らかってたら不便でしょう?」
「これは我輩にとって最適な配置で並べてあるのだ。不便などない」
「片付けができない人の理屈ですね」
「やかましい」
ルシアンは部屋の奥にいた。
黒い革張りの椅子の上に寝転び、分厚い手紙の束を流し読みしている。
メリーアンはなんとか着地すると、紅茶の準備を始めた。
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